ロボコップ
オリジナル作品の完成度が高いだけに、
新生ロボコップ誕生には、正直 期待と不安でいっぱいだった。
メガホンを取ったのは、ブラジルの鬼才ジョゼ・パジーラ監督だ。
(ごめんなさい。監督よく知らない。私の勉強不足だ・・・。)
パンフを読むとデビュー作「バス174」(2005)は、
2000年にリオ・デジャネイロで起こったバスジャックを取材した
ドキュメンタリー映画だという。
テーマやメッセージを映画に込めることは必然だろう。
それをどう受け止めるかは、観る人自身の状況や立場で変わってくる。
今回、新生ロボコップを観て、その世界観が今現在の現実に近いことに
あらためて、はっとさせられた。
1987年公開されたロボコップ(ヴァーホーベン版)
SF設定された=近未来=
設定された未来だからこそ、荒廃した都市のロボコップがヒーローに見えた。
しかし、新生ロボコップの世界は、=切迫した近未来=
そしてそこは現実のハイテクいて危険と不安の渦巻く世界になっていた。
そう、30年近い時の流れは、近未来を当然のように
現実へと近づけていたのだった。
でも、変わらないことは一つだけあった。
ロボコップが家族を愛しているということだ。
愛する者の為に闘う
世界観も立ち位置も違うけれど、この事は共通する。
オリジナルのロボコップは、陰から愛する家族を見守り支え、闘う。
新生ロボコップは家族と共に受け入れがたい現実と向き合いながら、
愛する家族の為に闘う。
ロボコップの<悲哀><葛藤>に満ちた姿
オリジナルのマスクは秘密を守るためのマスクだった。
新生ロボのマスクに光る赤いスリットは悲しみと怒りの表情だったのかもしれない。