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今日は手伝っている劇団が大道具作り作りをしていると言うので俺も行って先週使ったケーブル類の整理と仕分けをしようと午後から出かけた
場所はとある私立高校の一角 車を駐車場に停め、稽古場まで歩いていると昼食中の運動部の面々が一人一人わざわざ立って挨拶してくる。 一人二人ぐらいは 「よう学生諸君!ガンバッとるかねガッハッハッハ」 と言う気分になるが、10人を超えたあたりで 「もういいから!立たなくていいから!ゴメンなさい、ホントゴメンなさい!」 って気分になってくる所に俺の人としての器の小ささを思い知らさせる。 なんでただ稽古場に行くだけなのに十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩くイエスの気分を味あわなければならないのか疑問に思いながら稽古場につくと、誰もいないどころか鍵までしまっている。 ム!飯でも食いに言ってるのか?それとも今日は無いのか? とりあえずメールで今日の有無を確認した所 「あ゛?大道具作りぃ?今日はねぇんだよ!寝言は布団の中で言っとけ!」 と言う正確な情報と的確なアドバイスをいただいた。 仕方ないので帰ろうと思ったが、今来た所でまた学生諸君の食事を邪魔するのも申し訳ないので、なるべく人のいない所を通って駐車場まで行く事にした。 運動部の部室の横から食堂の前を抜け塀沿いの隙間をぬけて行く。 学校と言う閉鎖された場所の部外者がほとんど通ることの無い場所。 見上げると聳え立つ剥き出しのコンクリートの質感に行儀良くならんだ窓 いつもは学生たちで賑わっている分、人気が無いと余計寂しくて切なくなる景色。 なんだか高校の時を思い出した。 あの頃はそれが日常で、明日も明後日もずっとずっと同じ景色を見ていられると思っていたから取り立てて何も思わなかった景色。 それが時が経ち、始めて大切で忘れられない日であり景色である事を知る。 例えば小高い建物に挟ませて長方形に切り取られた青空。 雲ひとつ無く、澄んだ秋の大気のせいでよりいっそう色を深めてはいるが、ただそれだけの景色。 この前まで金木犀の匂いが漂っていたのに、今ではそれも落ち、そこまで近づいている冬を予感させる匂いがするものの、ただそれだけの景色。 それでも、同じ景色を見て同じ思いを共感出来る人がいてくれるだけで「一生忘れられない景色になるんだろうなあ」と思う。 今当たり前にある物もいつかはいつかは形を変える。 昨日一緒に見た景色もいつかは姿を変える。 それがどんな物になるのかは誰にも分からない。 でもね、大切な物は何一つ無くなってしまわないんだよ。 心の中からけっして消えない物の事を大切な物と言うのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 2, 2012 04:57:00 PM
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