カテゴリ:日記(覚え書き)
おめでとうございます 呉竹の一夜に春の立つ霞、今朝しも待ち出で顔に花を折れり。 匂ひを争ひて並び居たれば、我も人並々に差し出でたり。 蕾紅梅にやあらむ、濃き紅の袿、萌黄の上衣、赤色の唐衣などにてありしやらん。 梅唐草の浮き織りたる二小袖に、唐垣の梅を縫ひて侍りしをぞ着たりし。 現在、メルマガで配信している「とはずがたり」の冒頭部分です。 後深草院二条という女房の日記なのですが、彼女の十四才の初春の思い出から書き始められているんですよ。 なんとなく、華やかで新年の浮かれた感じにあってるかな?と思い書いてみました。 呉竹は一夜の「よ=節」にかかる枕詞です。春立つ霞も、歌語の一つ。 お正月には御所で元日の節会をするのですが、二条もそのメンバーとして大盤所という場所で、お正月用の美しい晴れ着を着て、居並んでいる。 皆工夫した美しい衣装で着飾っているわけですね。これは今も昔も同じでしょう。 若く美しかった自分を更に美しく飾り立てていた豪華な衣装を、一つ一つ思い出しながら書いているところも、女性的で微笑ましいです。 一日 庚辰 晴 昨日雪終夜不止。今朝望前庭、白雪満尺。 已是豊年之瑞也。萬福可悦之春也。 これは文治二年の正月一日、玉葉の作者藤原兼実の日記の冒頭部分です。 それまで摂関家の三男で右大臣として、歴史の表舞台からは遠ざけられていた兼実が、やっと内覧の宣旨を受け、晴れ晴れとした心地で書いたものでしょう。 昨日からの雪はやまなかった。今朝、前庭を見ると白雪が一尺ほど積もっている。 これこそは、今年が豊年である兆候であろう。万福、喜びに満ちたる春である。 いかにも、自分本位に生きている兼実の筆です。 今までの冷や飯食い生活から抜け出て、やっと掴んだ春。 今からが、自分の政治力を発揮する天下なのだと豪語しているかのようです。 でもまあ、彼のこの気合いも、山積する幕府と朝廷の問題に、すぐにしぼんでしまうんですけどね。この時は、夢をみていたのでしょう。 時は更に下って、以下は土佐日記の承平五年一月一日の部分です。 元日、おなじ泊まりなり。 白散はあるもの、夜のまとて、舟屋形にさしはさめりければ、風に吹きならされて、海に入りて、え飲まずなりぬ。 芋茎(いもじ)荒布(あらめ)も歯固めもなし。 かうようのものなき国なり。求めしもおかず。 ただ、押鮎の口をのみぞ吸ふ。 この吸ふ人々の口を、押鮎もし思ふやうあらむや。 「今日は都のみぞ思ひやらるる。小家の門のしりくへなはの鯔(なよし)のかしら、柊らいかにぞ」とぞいひあへなる。 土佐からの帰り道、船旅の途中で新年を迎えた紀貫之一行の風景です。 同じ泊まりというのは、前日から泊まっているところでお正月を迎えたよ、という意味。 前日に屠蘇白散をもらっていたけれど、一夜のことだからといって、船の屋形のところに挟んでいたら、風でとばされてしまって、お酒に入れることができなかった~不首尾だと嘆いています。 いもじやあらめというお正月の縁起物もナシ。歯固めというのも、お正月の料理で歯を固める=歯ごたえのある料理、ですね。 このようなお正月を祝う料理などない、舟の上だからと貫之は自虐気味に書いています。 ただ押鮎の口をしゃぶっているだけだと。 これは、面白い洒落言葉ですね。 縁起物の押鮎は固い食べ物だから、かみ切れずしゃぶるのですが、口なので、しゃぶられている押鮎の方もどう思っているのだろうか?と。 元日のことなので、やっぱり都のことが忍ばれるのでしょう。 しりくへなわは注連縄のこと、鯔(なよし)のかしらとは、ボラの頭のことで柊をさしていたらしいです。 この風習は現在でも節分の時、鰯の目に柊を差すのと同じ流れでしょうか。 お正月=節分なので、この風習があったのでしょう。縁起物というか、厄よけであったようですね。 舟の中で、祝うお正月。 歌聖貫之の筆は、ちょっと変わっていて面白いです。 新玉の春の幕開けです。 今年も宜しくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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