静かなる大覚寺
本来なら紅葉の頃に訪れると風流な嵯峨野大覚寺。
ちょっと季節はずれではありますが、ココを訪れました。
春の頃は、美しい桜の花が遠くの借景に映えて麗しく、秋中秋の名月には、観月の宴が催される名所です。時代劇の撮影などにもよく使われるお寺だけに、ご存じの方も多いはず。
多くの観光客が押し寄せる大覚寺ですが、さすがにクリスマスのこの時期にお参りする人はまばら。それでも、人気スポットだけに人影はとぎれません。
大覚寺の寺内には、大沢の池という大きなお池があります。
観月の宴には、竜頭の美しい舟が行き来するわけですが、今は水鳥たちの楽園。
紅葉を終えて寒々とした枯れ枝を揺らす風にも負けず、水鳥たちは羽ばたき、潜り泳ぎして、水面に波紋を描きます。
大覚寺の中の建物は、いくつもの縁側で繋がっていて、その中でも一番美しく整っているのは東福門院和子の御所だったという寝殿。
東福門院和子は、家康の孫娘で関東と朝廷のつながりのために後水尾天皇に嫁しました。
後水尾後宮にその財力を見せつけるためにも、徳川幕府は和子に多くの持参金を付けて提供しました。
寂れていた京都の寺院を復興させたのも、その一環。大覚寺の寝殿は和子の女院御所を移したものです。
そういう所ですから、蔀戸はどの御堂よりも黒漆が美しく、金の金具も整っていて一つ一つに蝉の装飾も施されています。寝殿前には左近の桜と右近の橘が構えられていて、春先などは美しく花開くのだろうなぁと、思われます。今は橘の方だけに、緑の葉っぱがみえるのみなんですけど。
不思議なもので、京都のお寺にはいくつもの時代が同時に存在しています。
一方では狩野派の筆になる障壁画があるし、もう一方では南北朝時代の後宇多天皇の御筆があるし、またあるところには近代の天皇のお位牌が並んでいたりします。
昭和になってから建立された塔もあります。
元々は、平安初期の嵯峨天皇の建立から始まっているわけですが、景勝地の嵯峨は多くの天皇の別荘としてもてはやされたところ。
とくに、南北朝に分かれるきっかけとなった後嵯峨上皇が、亀山院に与えた領地も大覚寺統(南朝)という名前をいただいていますし。(もう一方は持明院統=後深草院・北朝)
今回は時間がなくてなこその滝に行くことが出来なかったのですが、大納言公任の和歌でも有名なこの滝も大覚寺の目玉のひとつです。
滝の音は 絶えてひさしくなりぬれど
なこそ流れて なほ聞こえけれ
つまり大納言公任の生きていた時代でさえ、なこその滝は「絶えて久しく」なっていたわけです。
現在も、やはり同じ。百人一首のこの歌で、名前は通っていますが、見た目は細々とした流れなんです(^^;)。
おみやげに、可愛い小さな花守りというものを買いました。
十二ヶ月の花々を刺繍した、とてもキュートなおみやげです。
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