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どんなものでも傷付く者はいる【歓楽叶わぬ納骨堂庭園さま】
私は、ネット上ではある程度気持ちを落ち着かせてから、文章やコメントなどを書くようにしています。普段、口が悪さや短気などで、ついつい言いたくもなかった酷いことを相手にぶつけてトラブルを起こしてしまうことがあるので、せめてネット上では自分の言葉や感情をコントロールしておきたいと思っているのです。 いわば、ここでの「私」は、私自身が作り上げた「私」です。とはいえ、演技が得意な方ではないですし、いつも同じ状態で文章をかけているとも思えませんので、時々は、文章から本性が透けて見えていることはあるかもしれませんが。
文体が基本的に「である調」なことが多いことから、私自身は、もっと固い印象をもたれているのではないかな、と思っていました。自己顕示欲も、自分では強いほうだと思っています。これは正直意外でした。 卑屈という部分も、思っても見なかったのでちょっと驚いています。文章が断定を避け、どこか曖昧ではっきりしないところが多いからでしょうか。 私としては、自分の文章は常に「ただの私見」であることをわかってもらいたいだけなんですけど。思いつきで書いていることも多いですし、私の文章に説得力や確実性は要らない。ただ「そう思う人がいる」ことがわかってくれればそれでいい、と。ああ、こういう部分がある種の卑屈さを感じさせるのかもしれませんね。 やはり、互いが作り上げるイメージというのは違いがあるもののようですね。 酷いことを言わなければ誰も傷つかないなんてことは無いし、まして誰にとっても優しい言葉なんてない。自分が誠意を尽くしているつもりでも、そのままの形で受け取ってもらえないことは当然ある。 そのこと自体は解ってはいるつもりです。私自身がやや過剰なぐらいに、何気ないことで一喜一憂していたりする部分があるので。 ただ、「自分の痛みに敏感な一方、他人の痛みに対してはどうだろうか?実は鈍感だったりしないだろうか」と思うところはあるし、だからといって酷い事をいってもいいというわけではないでしょう。 だから、対処できる部分だけでも、なんとかしたいな…と思っているところだったりします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 9, 2006 12:33:47 AM
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