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カテゴリ:心理・思考
「嫌い」と思うことが嫌い【鼻が赤くなりにくいティッシュですさま】
私は嫌いなものとはなるべく接点を持たないようにしている。接する機会そのものが少なければ、気になる時間も不快になる時間も減るだろうと思っているからだ。 考えることもできる限りしたくない。嫌いなもののことについて考えていても、私にとってはろくなことがないように思える。 「嫌い」と感じているとき私の中は、強い不快感でいっぱいになっている。おまけにそのことに神経を向けていると、どんどん嫌な方向に考えが向かっていく…。普段思わないようなこと、思わないようにしている方向に考えが向かっていってしまう。 嫌いなものなら、消えてしまってもかまわない。と自分の気持ちだけで考えてしまったりする。ものによってはむしろ、無くなってしまえばいいとさえ思っているだろう。好きな人もいるとか、そういう考えは一切抜け落ちている。 嫌いな奴が相手だと、衝突があるたびに、全て相手のせいと考えがちだ。他の人が相手なら、自分の悪いところをまず探そうとするだろうに…。 あげく、他の人なら許せることさえ、許せなくなる。 冷静さも欠いて、感情に突き動かされるようになる。何でもいいからとにかく、その不快感を何処かにぶつけたくなってきてしまうことさえある。 後で気分が落ち着いてから、その時のことを思い返すと、自分が嫌になる。 結局、嫌いなもののことには、考えない、気にしない、私にとってはそれが一番のように思える。 気にしたって、考えたって、不快になるだけ、嫌いな理由なんて、「嫌いだから、嫌い」でいいじゃないかと思えてしまう。 そして、そのためにできる限り距離を置いて、かかわらないのが一番いいと思っている。 身近にいれば、どうしたって触れる機会は増えてくる。機会が増えれば、つい気になってしまったり、考えたりして、自分の心を不快感でいっぱいにしてしまう。 嫌いな奴やもののことなんて、一瞬たりとも考えたくないというのにっ。 とはいっても、仕事とかだと嫌な奴だからといって、回れ右するわけにもいかないし、嫌いな奴、嫌な上司(あるいは部下)のいずれもいない職場というのはなかなかないみたいで、どこかで「嫌い」と対面する機会が出てきてしまうようなのだけど。 「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」だとはいうけれど、私は嫌いなものに対してこそ、無関心になりたいと思っている。 嫌いな奴がそばにいようが、何しようが、なんとも思わなければ、どれだけ気分が楽か……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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