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カテゴリ:心理・思考
自分と向き合うということ【Say::So?さま】
読んでいて、なぜか、昔の自分の姿を見たかのように感じられた。おそらくは錯覚だろうけど。 かつて、私は、ただひすら自分と向き合っていた時期があった。自分の頭によぎった言葉を何度も、何度も、繰り返し、自分にぶつけていた時があった。 その言葉は、私を追い詰め、走らせた。しかし最後には、心の奥底に潜む不安に飲み込まれ、動けなくなるばかりか、無気力に陥ってしまった。 私は、考えすぎたのだろうか。それとも、考えがたりなかったのだろうか。 自分と真正面から向き合いすぎたのだろうか。それとも、向き合った気になっていただけだったのだろうか。 未だによくはわかってはいない。どちらも正しいようにさえ思える。 だた、それ以前に、結局私は考えるのをやめて生きつづけることはできなかった。向き合うのをやめることも。 考えてもどうしようもないとわかっていても、考えれば、考えるほど、動けなくなりそうに思えても、考えてしまう。 このままではらちがあかないからと、一度は動くために考えることを切り上げても、また後でそのことを蒸し返して考え出すのが私のサガのようだ。 なら、とことん向き合っていくしかないのかもしれない。
ある程度、納得はできる。そうだろうと思うところもある。でも、閉じこもってしまうのはあまりいただけないような気がする。 一人の時間を持つのはいい。でもずっと一人だと、どうしても思考は狭まってしまうように思える。視点も一つに固定されがちになる思う。 自分が、他人を見ているように、他人も自分を見ている。他人は、自分が見ていない、気づいていない新たな視点に気づかせてくれる存在にもなりえると思う。 「自分を見つめることは、他人をみつめることに繋がる」のかもしれないけど、逆に他人を見る、触れ合うことから、自分を見る、触れ合うことに繋げる事もできるんじゃないだろうか。 自分と向き合うにしても、いつも同じように向き合っていたら、見える部分はおのずと限られてしまうんじゃないだろうか。 視点を変えたり、距離をとってみたりして始めて見えてくるものもあると思う。 関連: 考えない事が私には合っているようだ【歓楽叶わぬ納骨堂庭園さま】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 25, 2007 12:52:22 AM
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