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みなわひとし 筏が、ぐらりとゆれた。ウエオの恐怖は、そこにはじまる。たぶんそれは、三歳か四歳の、体験というよりは、体感のような気がする。ウエオが泣いたかどうか、それは記憶の彼方にしかない。ただ情景だけが、ありありと浮かんでくる。青黒い淵を、水はどこか、魔性を帯びたように刃を逆立てていた。ウエオの記憶は、なぜか、そこで消える。 家は、大きな川のまん前であったようでもあり、川と家のあいだに、柳の木や藪があったような気もする。すべて、おぼろな記憶である。 サイレンが鳴り、敵機の来襲をつげる。逃げる先は、防空壕とよばれた。ウエオは、たぶん、母に連れられて、防空壕に走った。そのとき、弟が生まれていたのかどうか、なんの記憶もない。ただ、防空壕の暗さが、やはり、なにか体感のようにのこっている。しかし、なにか変な気もしないではないが、その暗さは、安堵の感情とともに、ときによみがえる。暗さが恐怖を消したのか、それとも、恐怖を暗さが包み込んだのか、それもまた確かめようがない。とはいえ、死ななかったことだけは事実である。 あるとき、航空廠の屋根に練習機が激突し、何人かの死者を出したことがある。ウエオの父は、徴用を受けて航空廠に勤めていた。ウエオの父は、その事故のとき、幸運にも死をまぬかれたが、頬に傷を負った。三、四歳のウエオに、正確に、その事故のことが記憶されているはずもないが、たぶんその事故は、のちにウエオの父が語ったことが、いかにも当時の記憶さながらにウエオの脳裡に刻まれているのだろう。 練習機が航空廠の屋根に激突したとき、ウエオの父は、まっさに咄嗟の判断で廊下を、右だか左だかに走った。その反対に逃げた同僚は、帰らぬ人となった。ウエオはそれをひとつの事実としておぼえているが、父が自分の幸運をことさらに、なにか意味があるように語ったことはなかった。 ニホンがアメリカとセンソウをしていたあいだの、ウエオに記憶されたもろもろは、これですべてである。酸鼻をきわめた空襲の結果をウエオは見ていない。そして、人間がどこまでも動物と化す、というより人間そのものの残虐がむきだしにされる戦闘を、ウエオは記憶していない。 ときどき耳にもし、書かれたもののなかにもいつも現出する、ニホンの敗戦の日――八月十五日の全的虚無のごとき青空を、ウエオは記憶していない。ニホンが敗けたことに、ウエオの父や母が、どんな気持ちをいだいたか、どんなに思い出そうとしてもいっこうによみがえってこない。たぶん、ウエオにとっては、ニホンが敗けたことも、アメリカが勝ったことも、おのれになにかを加えるという性質のものではなかったのだろう。というより、ウエオは、まだ自分が外に向かって、なにものかでありうる年齢にはいなかった、というほうが事態の説明になるかもしれない。 たしかに、防空壕に逃げたことは記憶されているが、それがほんとうにセンソウであることを、理解していたとは思えない。防空壕の暗さが、むしろ安堵のひとつの世界としてよみがえることが、ウエオにとってしばしば重要のことに思えた。 センソウは、暗さの安堵としてよみがえるが、そこに死をまねくものとしてあらわれることは、あるときまでなかったのである。 ――ウエオは、ずいぶんのちに、南の小さな島、というより市街地から、目と鼻の先の、島まるごとが小さな一集落である島をおとずれた。残暑の、まだあつい陽をうけて、波打ち際に波はタプタプと心地よい音をたてていた。たしかに、平和な一光景というほかなかったが、しかし、対岸を見ると、船のドックがあり、赤茶けた大きな工場が見えた。 いま、平和であることの象徴として見えるものが、かつて戦間期に、それはべつの象徴であったかもしれない――という想念が、ふとウエオのこころをよぎった。 南の空は、青さが深く、からだごと心地よくしてくれる。釣り人は、サオを海に投げ入れ、釣果をしずかに待っている。ヘイワがタイセツでない――とだれにいえるだろう、ウエオはかんがえる。 センソウが、ほんとうはなんであるのかを知るようになったのは、街に傷痍軍人を見かけるようになったころか、とウエオは思うのだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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