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――そんなことは いつの時代にも あるサ、とおとこは言う ――時代? ちがうわ (いま)と(ここ) だけよ、あるのは、 とおんなは返した 《空はすみれ色に淡く 風はもう夏を含み たしかに季節は 今をうごかしていく》 みなわ ひとし 「やあ」 薄明かりの中で、その男はかすれた声を発した。 商店街の真ん中に、その黒い扉はあった。 扉を開けると、さらにもう一つの 黄色いドアが続いている。 喜一は、重い足取りで、 そのドアを押した。 天井の半分は、黒い闇の色に覆われている。 奥の半分は、一面の星空だ。 床は金茶で、ロゴが白く浮き出している。 「Kent Boy’s Club」 「ヨオ、こっち」 男が物憂げに手招きした。 「やあ、久しぶり」 喜一が、足早に男に近づき、 手を差しだす。 その瞬間、男の手がカウンターの下に すばやく伸びる。 喜一は、無意識に身構えた。 と突然、満天の星が、頭上に煌めき始めた。 天井のミラーボールを指して 男が、いたずらっぽい笑顔を見せた。 「まあ、飲んだら」 男が、ウイスキーを生で注ぎかける。 「ここ、いつから」 と、グラスを受けながら、喜一。 「今度の金曜日にオープン」 喜一を横目で見て、 「いや、設計をやっただけよ、オレ。 バツイチの女がやるのさ」 と、男の浅黒い顔が沈む。 「戻ってきたのかと思ってた」 喜一が、おずおず言うと、 「またまた。 相変わらずの根無し草」 男は、その言葉を楽しむようにつぶやいた。 コルトレーンのトランペットが 地の底から聞こえてきた。 あれから、いったい、何年たっただろうか。 さっきの黄色いドアが、バタバタと開いた。 黒いシフォンのドレスを着た女が ふわっと入ってきた。 「あら、喜一ちゃん」 二人の高校時代のクラスメート、 安村かほり、だ。 「まさか。ここ、やるの、安村?」 喜一は、目を丸くしている。 「そう、専業主婦から、華麗なる変身、よ」 「そうか、すごいね。けど、びっくりした」 喜一が、間の抜けた素直さで応えた。 「でしょ?」 とすまして、かほり。 「ちょうど、匡(ただし)が帰ってくるって 聞いたもんで、ダメ元で頼んでみたの」 「というわけさ」 匡は、言いながら、空のグラスを もてあそんでいる。 かほりが、気ぜわしそうに 奥の小部屋に入っていくと、 匡が、初めて真正面から喜一を見つめた。 「変わりないかい、レモンは」 深くて、いつくしむような 声音で、そう訊いた。 「元気だよ。 レモンさんは、レモンさんのままでいる」 コルトレーンの音楽が、 静かに終わりを告げた。 グラスの中の氷が 小さな音を立てて溶けていく。 喜一の目の中に 匡とレモンの結婚式の写真が 浮かんでは消えた。 楠田レモン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Jul 15, 2005 01:45:04 AM
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