い ち ね ん 。
もう、社会人2年目。去年のいまごろは、真新しい制服に身を包み、なれないサービス業界の礼儀作法を学び、発声練習や歩き方練習、そして原稿暗記・・・寮生活もしてたんだなぁ。ゴキブリや激味の食事やらなにこの不衛生!?とかと戦いつつw(調理場がすごかった)地元企業っていう激戦区を「まぁ他の会社の面接の練習に~」程度にうけて受かって。もちろん受かる人数少なかった分落ちる人も多かった。けどやっぱり嫌でたまらなかった。私が嫌がっていたその当時の私の生活は、きっと誰かの憧れだった生活なのに。それにも気付かず、ただ。自分のことばっかり。この一年。うだうだと過ごしてきた気がする。漠然と「死にたい。」って気持ちを肌身離さず持ち歩いて、自ら好んで背中が寒くなるような痛くなるようなそんな気持ちの中に引き篭もった。光が半分くらいしか見えなかった。死を考え始めたのは何も社会人になってからじゃない。考え始めたのは小学生。哲学書と出会い、「メメントモリ(死を考えよ)」という言葉に出会ってから、ずっと。当時は、もっと全体的に、世界全部と時間を合わせて・・・さらには宇宙と元素のつながりまでひっくるめてメメントモリを考えていた。今は、一人。自分だけだった。でも気付いた。私が死にたいと漠然と思いながら無駄に過ごした一年は誰かが生きたいと切実に必死に願って祈った一年だったんだ。今は亡き私の友人は、相談に乗ってくれたときにこんな言葉をくれた「元気で生きていることが最高の親孝行なんだよ。」今、なんどもなんどもその言葉が頭の中で響いてる。元気で 生きて 居ること「生」をその人は考えていたのだと思う。「死」は身近で忘れたい存在だったのだと思う。私とは 逆。けど・・・けど・・・すごくすごく今になってその言葉に隠された沢山の気持ちや記憶や思いや苦しみ悲しみ全部つまってるんだってことが解った。私が哲学書と出会ってからもうすぐ 10年 になる。それは死を深く、広く沢山の方向から見始めて10年になるということ。死は、お金とか宝石と似て、調べれば調べるほど憑依して意識をじわじわと占領していく。やがて考えさえも麻痺させて、それを思う人をまさに死に誘う。思春期全部をかけて「メメントモリ」の思想を考えてきた。そしてまさに死にとりつかれて死のうとしていた。そんなときに銀の弾丸が気付かせてくれた。私は。「死」を考える思想家でした。しかし「生」を教えてくれた沢山の人たちに出会いました。答えのわからなくなったこの世界の中で、ちゃんと知って消化して血肉にできた知識たち。だから私は、皆に自分が得てきたものを教えて行こうと思う。生きて教えて行こうと思う。解りづらい世界だから、時代だからなおさらゆっくりと教えて行こうと思う。そして一緒にまた新たなる「死」と「生」を皆から学ぼうと思う。私には本当によき人たちが集ってくれた。未だ出会えていないすばらしき人たちにも、これから生きて逢いたい。生きて生きて。皆で生きて。気付けた事にどう感謝したらいいのかわからないけれどそれをだれかに伝えていこう。私は自称だけど・・・哲学者に、思想家になります。