長らく、放置していました。
2月は、1月から続く体調不良・・・3月になり、何かと忙しく・・・・
放置しだすと、「まっ、いっか。また明日・・・」となり、なかなか気が向かわずにいました。
と、今日は、もとくん3歳のお誕生日です。
「何が食べたい??」ときくと、
「卵焼きと納豆!!」と大好きなものだけど・・・・?なメニューをいい。
「ケーキは??」
「ハルボンママのイチゴのチーズケーキ!!」と・・・
「プレゼントは何がいい??」と聞くと
「サンタさんがこの前もって来きて、もらったよ。」と、クリスマスプレゼントで言いといい。
なんとも、張り合いのないもとくんです。
思い起こせば・・・・
3年前の3月20日 陣痛のような痛みがあり、
一度、病院にいきました。
行くときにはるくんが、私のお腹に耳を当てて「23日に生まれるって言っているよ」って言ったんです。
そのときは、「今日生まれるんじゃないの??」と思い病院にいったんですが、そのまま痛みも遠のき、帰ってきました。
そして、23日になり、「本当に今日生まれるの??」なんて思ってお昼ごはんを食べようと、
リビング(実家にいました)に行こうとするときに、急激に痛みがあり、
そのまま、病院へ。
そして、病院到着(午後2時)と同時に破水。その後、45分くらいでもとくんが生まれました。
だけど、「うまれましたよ、男の子です」と言う助産師さんの声がしたのに、産声は聞こえず・・・Dr.の「小児科のDr.に連絡して!!」とか「至急○○手配して!!」と言う声が聞こえるばかり・・・・
「泣いてないの」と不安げに聞くと、「もうすぐ小児科のDr.が来るからもう少し待ってて・・・」と言われて、私の処置は続けられた。
そして、やっと、か細い声の産声が聞こえた。
と思ったら、顔も見せたもらえないまま、連れて行かれてしまった・・・・
「保育器に入ります」と言われたけど、その後の説明もなかった。
私が病室に戻り、待っていてくれた、母とはるくんが私のところにきてくれた。
「あかちゃん、チラッとしか見せてもらえなかったけど、はるくんの生まれたばかりの頃にそっくりだったよ。生まれるときに、負荷がかかって、呼吸していなかったんだって、
でも、すぐ呼吸したらしいよ。一応、保育器に入るんだって。」といって、帰っていった。
その晩、私も、個室で不安な夜をすごした。
たまに様子を見に来る看護師さんに「あかちゃん、大丈夫ですか?」と聞くが、
みな、一様に「大丈夫よ、元気よ!!」と言うばかり。
だけどね。生んだだけで、一目も見ていないんだよ・・・・
本当に、不安で不安で・・・・・
眠れない夜をすごしました。
そして、やっと会えたのは24日の午後3時半過ぎでした。
←初めて会ったもとくん。
2906gで生まれたのに保育器に入ってしまいました。
小児科医の説明がありました。
生まれたとき呼吸していなかったと。「新生児仮死」だった
甦生して、念のため24時間、保育器に入りました。
今後も、入院中は毎日検査すると言うことと、もしかしたら、そのことで、障害や後遺症が残るかもしれない、母子一緒に退院は出来ないかもしれないうことを聞かされました。
「ガーーん」となりました。
でも、目の前にいる子は、すごく元気に動いていたし、その日から、おっぱいも飲めてた。
3日目には、母乳だけで過ごせるようになったし、
落ち込んではいられなかった。この子のためにと、退院したら、はるくんもいるんだし。
だけど、もとくんがんばりました。
一応、ぎりぎりの時点で、一緒に退院できました(私が一日退院を伸ばしたんだけど)。
障害も、後遺症も心配ないということでした。
そんな不安いっぱいの始まりでした。
1歳までは、毎月のように熱を出し、喘息もあり、国立病院に通院していました。
2歳半くらいまで、そんなに丈夫ではないけど、怪我もなく、すごせました。
2歳半からは、発熱も風邪もなくすごせています。
今年、インフルエンザ大流行で、小学校でも学年閉鎖や学級閉鎖があったのに、
我が家の息子たちは、元気いっぱいでした。
(その分、私が体調を崩していたけど・・・・)
そんなことを、昨日の夜思い出していたら、なかなか寝付かれなくなってしまって、
はるくんを送り出してから、書き綴ってみました。