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テーマ:猫のいる生活(138873)
カテゴリ:再放送
今日は世の中がスローモーションで動いとる。 忙しさから解放された夜はいつも、動く歩道からピョンと飛び降りたように体が重く、こんな時はなるべく誰とも口を聞かないことに決めとる。夕方から冷え込んだせいか空気がキレイで夜の通天閣の輪郭がハッキリと見える。 駅前のうどん屋できつねうどんと稲荷寿司を食い、コンビニで煙草と剃刀とヘアワックスを買った。コンビニを出てから家に着くまでの間、オレの耳は無意識で周りの雑音をシャットアウトし、まるでドス黒い海底をノッソリと散歩するように歩いた。塞ぎきれない雑音はまるで頭上はるかかなたの海面からかすかに聞こえてくるウミネコの鳴き声のようである。 部屋に戻ってポケットの物をテーブルにジャラリと放り出す。ボフフとストーブに点火して、アホ猫にエサをやり、ラジオをつける。こういう日は断じてテレビを観てはいけない。テレビは漬物石のようにただジっと押し黙っていればいいのである。 国営放送のラジオアナウンサーは自社の激変がまるで嘘のように淡々とした調子で明日の満潮時刻を一つ一つ正確に読み上げる。それは正しいことである。と一人納得しながらオレは郵便物をチェックした。 はい。税金は払いません。 ラジオはいつの間にか映画音楽特集に変わり、クソみたいなポール・モーリアの音楽に時々ザザザと波のようなノイズが入って心地よい。オレはアンテナを伸び縮みさせ、部屋の中をぐるぐると歩き、一番おもしろいノイズが入る箇所を探し出した。ピー。ガー。ポロリロ。ザザ。ははは。ムチャクチャなりよった。 オレはラジオをベッドに放り出して、メールをチェックし、決断を迫られない案件にだけ返事を書いた。 眠くはないのに海藻に足をとられたように体が重い。 アホ猫はしばらくストーブの前で寝転んで伸びをし、再びベッドにもぐり込んで丸くなった。 明日は休みや。天王寺MIOのFrancFrancで前から目をつけとる壁掛け時計を買おう。無印で安いクッションを買おう。DIESELでデニムのパンツを買おう。オレは買い物リストをメモった。 ラジオを切って、ストーブの灯油をベランダから運ぶ。邪魔臭いがオレは灯油ストーブでないと不安なのだ。実際に燃えた炎で暖をとることは冬の幸せである。ガラガラと窓を開けるとピンと張りつめた冬の夜が少しずつ部屋の中に入ってくる。アホ猫はフトンの奥にもぐり直した。オレは吐く息が白いのを確認しながら、両手をシャカシャカと擦り合わせ、深呼吸をして冬の匂いをかいだ。 ハードディスクの音が気になり出し、電源を落とす。まだジーとどこかで音がする。蛍光灯を消す。テレビのコンセントを抜く。まだ何かの音がする。冷蔵庫の扉を一旦開けて閉める。オーケー。室内は深海のように静かになった。 耳の中でチリチリと妙な音がした。血潮の音ではないかと思う。 頭上はるかかなたの海面では、電車のブレーキの音とホステスに送り出される酔っぱらいの声がかすかに聞こえる。オレはなお海藻に絡まったまんまで、ストーブに再び点火し、コーヒーを沸かした。 妙に甘いもんが食べたい。今日はこのしょうもないオレオクッキーなんぞで辛抱しといたるが明日はそうはいかん。キース・マンハッタンのケーキをごっそり買うてくることに決めた。 上方の演芸に関する記録本を読む。花菱アチャコが全盛期に妾を囲っていたのはこの家からすぐ近くやった。妾に一戸建てとお手伝いさんをつけて囲える漫才師は今でもなかなかおらんやろな。明日チャリンコでその場所を通ってみることにする。 遠くに見える駅のホームの電灯が消えた。 オレは寝間着に着替え、歯を磨き、今日は性衝動がゼロであることを確認してフトンに潜り込んだ。 深海で巨大ダコを相手にモリ一本で勇敢に戦える夢が見れたらええなと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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