全124件 (124件中 1-50件目)
1 2 3 >
久し振り
2016年07月14日
コメント(0)
我が家の災害準備は一人当たりご飯9食、おかずとして缶詰9食もちろん缶切りも、ミネラルウオーター6リッター(消費期限の管理が大変)紙コップ、割り箸、携帯ガスコンロ及びガスボンベ3本/1人、寝袋は春秋用各1人1個及び+極寒用0.5/1人、風呂の水は洗うまで流さず、洗えば速やかに風呂の水は入れる(トイレ及び火災)。大災害時には3日の準備をすれば食事等は救援が来るであろうと思い。もちろん懐中電灯、携帯ラジオ、電池、携帯電話は絶えず充電を忘れない。まだまだ有ると思うが速やかに備えなくては。ガスコンロは未使用なので早急に一度使わなくては。
2007年07月16日
リビアに残る、2世紀末から3世紀に掛けて作られた最大のローマ遺跡「レプティス・マグナ」。沢山の石像があるがその中で目がハートの形をした石像。ハートマークはその時代から既に有ったのか? ハートの形をした目
2007年07月14日
スタート地点はウルムチから車で2泊3日掛かるダリアブイ郷。今回のコースは'04の探検時の中継地で'05縦断探検でクチャに向けての出発地、今回もスターと地点として選ぶ。東へ直線で130.5Km(実距離は150Km位になるであろう)のヤオトングス村に向けて進む。最新の地図だが1990年製の航空地形図、沙嵐で一夜で地形が変わるのであまり頼りにならない、地図を見れば途中に100mを越すであろうと思われるが沙丘が無いのを祈るだけ。過去にも地図上では平地でも突如100m級の沙丘が出現する。 新疆ウイグル自治区 沙漠コース
2007年07月10日
コメント(2)
リビアは今年カダフィ大佐が革命を起こして37年目、街の中には「37」の数字を数多く見かけた。制裁の解除を受けて間もないが政府からの食料配給にもある貧しいながらも程度満足をした生活をしている。首都トリポリの人民考古学博物館には革命当時カダフィ大佐の愛車が展示されていた。 革命37周年のスローガン 首都トリポリの 人民考古学博物館 人民考古学博物館に展示されている革命当時のカダフィ大佐の愛車 人民考古学博物館に展示されている革命当時のカダフィ大佐の愛車
2007年07月04日
世界には幾つかの塩湖が在るが、中でも有名な死海は塩分濃度30%。サハラ沙漠の中のウベリ沙漠に在るオンムルマン湖の塩分濃度は80%。風が吹いていなかったので周囲の景色が湖面に映り、景色を見ているのか湖面を見ているのか間違いそう。 サハラ沙漠の中のウベリ沙漠に在るガブロン湖 サハラ沙漠の中のウベリ沙漠に在るガブロン湖 サハラ沙漠の中のウベリ沙漠に在る塩分濃度80%のオンムルマン湖での浮遊体験
2007年06月30日
紀元前630年からその後約200年の間に建設されたリビア北部の地中海に面したプレトマイス遺跡。遺跡でちょっと変わった建造物、ちょっと高台と海が近いのとで「水洗トイレ」があった。男女別、隣との仕切りが有ったかは不明 リビア・サハラ沙漠写真集 水洗公衆トイレ(座る所の下に当時は常時水が流れていた) 穴の間の模様は当時の設計ミス
2007年06月27日
溶岩等の重量物も持ち込みOKサハラ沙漠を4WDでは駱駝と違い、沙沙漠、岩沙漠。礫沙漠、遺跡と短時間で広範囲にわたり移動が出来岩沙漠では溶岩の採取も出来た。岩沙漠の周囲を見渡しても、又地図を見ても高い山は無いのに何故溶岩が有るのは何故だろう、何百、何千、何万年の月日で風の為に山が無くなったのだろうか。溶岩の裏側には何重もの沙の層(下の写真を参照)がはっきり見られる。 珪化木(木の化石) リビア・サハラ沙漠写真集 珪化木(けいかぼく、木の化石) 岩沙漠 溶岩 何層にも見える沙の層
2007年06月25日
コメント(1)
リビアでは飛行機に乗るとき国内、国際共に機内預け荷物の重量制限が無く長期旅行で寝袋等の荷物の多いときには大歓迎。今回持って帰った重たい鉱物、沙漠のバラ 電気器具などの絶縁体に使われている雲母等を沢山持って帰れた。 リビア・サハラ沙漠写真集 沙漠のバラ 沙漠のバラ 雲 母
2007年06月24日
コメント(5)
諸般の事情により今年はタクラマカン沙漠探検は中止しましたが、リビア・サハラ沙漠に行ってきました。リビアはイスラム教徒の国なので酒が飲めないのが一番の難点。入出国カードは書かなくてよいが手荷物検査が厳しく酒を持ち込んでおれば没収プラス厳罰が待っていたであろう。船での入国は手荷物検査が無くオートバイで来ていたフランス人などはワインを持ち込み大宴会を行っていたがわれら日本人はおとなしくしているだけ。写真は編集中ですが下記にUPしました。 リビア・サハラ沙漠写真集
2007年06月22日
コメント(3)
連休中は気ままに楽しく遊び回り酒を飲み目が覚めるまで寝て何も思わず過した連休。さあ~盆休みに向けて「頑張るぞ」と思って起きたが今日は憂うつな月曜日、なまった身体を元に戻すのは大変だ「楽有れば苦あり」昔の人は良いことを言ったものだ。文句を言っても始まらない。 頑張るぞ~ 頑張らなきゃ~
2006年05月08日
朝早くから出かけ空いていると思った電車(AM7:30頃)に乗ると平日よりちょっと少ないかなと思われる通勤客で一杯、又地下鉄も沢山の乗客。11:00頃 大阪市内のビジネス街を歩くとやはり少ないが街頭にて弁当を売っている店が開かれている。新聞TVではGW GWと騒がれているがやはり仕事をしている人は沢山居られる。長期連休を取得できるのは全勤労者の何パーセント位かな。今日仕事の方「お勤めご苦労様」
2006年05月01日
GWを海外で過す人が関空から16000人を超える人が出国をする。昨年は反日デモが有った中国、ブームの乗っている韓国には増便され一昨年を越える大人気。今日の東京外国為替では1ドル114円台に急伸小遣いもちょっと得になったかな。 '06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月28日
歩いたり、駱駝に乗ったりして宿営地に着くと疲れた身体で焚火用の薪集め、そしてテントの設営が終われば焚火に当たりながら今日の夕食は何かなと炊事の様子を覗き見る。雪が無ければ駱駝、砂漠の風景等の写真を撮るが今回は雪の為に皆は焚火の周りに集まってくる。今日は骨付きの羊の肉と野菜の入ったスープそしてナン、熱いスープは身体が温まり何よりのご馳走。 今 日 の 夕 食
2006年04月27日
コメント(4)
カシュガルからウルムチには南疆鉄道の快速急行で約24時間。乗車すれば今迄は乗車している公安がパスポートチェックに来ていたが今回は車掌さんがチェックして外国人乗車台帳に記入をしていく。検札は切符を回収して預り証を渡してくれ寝ていても下車30分位前に起こして切符は返してくれる。長時間乗るので車内は退屈だが外の砂漠の景色を見ていたら飽きは来ない、車掌さんとは言葉が通じなくても漢字を書いて楽しく話せる。 南 疆 鉄 道
2006年04月25日
ホータンの絨毯は和田地毯(ホータンチタン)とよばれ、ホータン地区の遺跡からも多数見つかっており2000年以上の歴史があり毛の短いホータン羊の毛を使ってウイグル族独特の模様で織られている。大きいストーブが工場内の真ん中に一つだけ有るが火は弱くストーブの周りだけが少し暖かい、寒い工場内で一人で織れば1日に2Cm位しか織れないが気が遠くなるような絨毯織りの作業を女性達は根気よく行っている。 ホータンの絨毯工場
2006年04月23日
駱駝で沙漠探険を今回で3回目の彼は駱駝の列から駱駝を離され一人で操るようにしてもらった。駱駝はおとなしく臆病な動物、駱駝でも気の荒いのもおりその様な駱駝は荷物を運び、人の乗る駱駝は中でもおとなしく従順な駱駝を用意されている。駱駝は座らしてから乗り降りをする、乗り降りの最中に急に立ち上がり人が落ちるのはこの時が多いのでこの時は駱駝使いの人達にサポートをして貰う。 一人で操る駱駝
2006年04月22日
出発前からカレーのルーを持って行くのでカレーを作ってくれと連絡を入れておく。発電機を持って沙漠に入るので電気炊飯器は用意してくれている。水は貴重品なので水を使う下ごしらえは無いのでお米も無洗米、牛肉は凍った大きいかたまりを持ってくる、カレーに入れる肉は凍っているので小さく切れないので大きいのが入っている。新疆ウイグルにはカレーは売っておらないので、ウイグル族の駱駝使いの人達にとっては初めて食べるカレーライス、一口食べると美味しいと皆喜んでくれた。 今日の夕食はカレーライス
2006年04月21日
タクラマカン沙漠での昼食は食べる時刻も大切だが場所を優先する。極寒の沙漠での1番のご馳走は「焚火」、焚火用の枯れた木が有るか否かによる、昼が過ぎても、お腹が減っても黙々と木を求めて歩き続ける時が有る。木が有る所に着けば我々は木を集め点火皆が温まれるようにする、中国側のスタッフは昼食の準備、駱駝使いの人は荷物、ラクダのチェック、後は食事が出来るのを待つだけ。 '06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月20日
天気も良く大阪の最高気温が22度となった昨日、最終日になった造幣局の桜の通り抜け行って来ました。今年は天候不順の為に人出は少なかったが最終日とあって沢山の人が桜を見に来ていた。構内は喫煙、飲食禁止の為ゆっくりと桜を見られると思ったが沢山の観桜の人達(当日の入場者約13万人)の為ゆっくりと見て回れず又写真も撮れずに残念。なぜか昔日本で最後の桜の花見が出来る北海道の東部の厚岸で5月(中頃?)に桜を見に行ったのを思い出した。 今年の花「大手毬」 滝香 小手毬
2006年04月19日
沙漠探険には毎回羊を1頭ばらして新鮮な肉を持っていく。スープ、野菜炒め、ラーメンの具等に大きく切った羊の肉が入っており毎夕食が楽しみ。それよりももっと待ち遠しいのは塩味だけでウイグル族のラクダ使いの人達の作ってくれるシシカバブ、毎回作るのは食後だが此れは別腹に入るので幾らでも食べられる。シシカバブを焼く日は決まっておらず、駱駝使いの人達が棒切れをナイフで削って串を作り出したら「あっ今日はシシカバブだ」と皆が騒ぎ出し焚火の煙の来ない所に場所をとり焼き上がるのを待つ。 沙漠の中で焼くシシカバブの写真
2006年04月18日
ホータン郊外にある遺跡牛角山(蛇山或は緑山の意味を表す)、山には木が一本も生えていない。昔は仏教徒のお墓だったが今ではイスラム教の聖地となっている、山の下には多数の観光客、イスラム教徒が礼拝に来るのでその為の食堂、土産物屋が多数軒を並べている、今のこのシーズン厳冬期は店は閉まっているが春になれば沢山の人が訪れる様子が分る ホータン 牛角山の写真
2006年04月17日
中国の最西端の町カシュガルでも何十年ぶりの大雪、解放軍が出動しての除雪をしている、作業をしている軍人さんにお茶を出す人も居り、又手伝わずにそれを見ている人。役所からの指示で各家から一人、子供からお年寄りまでが出てきての雪かき、見ていると皆がゆっくりと雪かきをやっている、日本人から見ればもう少しテキパキとやれば早く終わるのにと思うのは、やはり日本人だからかな。 '06/01に訪れたカシュガルの写真
2006年04月16日
ホータンの大漠旅行社の社長阿不都 克里木(アブド イリム)さんの自宅に一昨年に続き2度目の訪問。自宅にはホータン地区から出土した骨董が数沢山あり、もし気に入ったのが有れば売って貰えるが真贋の程は不明。一昨年は新疆中国国際旅行社の社長が兜を買ったが私も欲しかったがもし本物なら日本にもって帰られないと思い買うのを止めたが。皆が骨董品を見ているとき隣の部屋で奥さんと娘さんと楽しい一時を過せた ホータンの写真
2006年04月14日
ホータンからカシュガルに向かう当日朝起きれば又々大雪、はたして無事にカシュガルに行けるのか不安を感じてきた。ホータンは沙漠の中の町なので雨、雪は降らない又道路に水分は無いので凍結も無い、雪道用のタイヤ、タイヤチエーン等は有るはずが無い、車のタイヤは溝が少なくマル坊主に近い全員が不安になって来た。雪道を経験した事でないで有ろうドライバーは、雪道でのスリップ、ハンドルを取られることが無く安心をして乗っておられた。只、車のヒーターが故障して車内が寒く数回止まって修理をするが、修理後は暫くは暖かい風は出てくるが直ぐ冷たい風になる。順調なら8時間位でカシュガルに着くのが約12時間掛かったが事故も無く無事にカシュガルに到着した。 ホータンの写真
2006年04月13日
ホータンの絨毯工場では多くの20才前後の女性が楽しく話をしながら作業をしている。その中で工場の隅のほうで50歳位かなと思われる女性が一人大きくまとまった糸を解き作業がしやすいように糸を捲いている。何処でも同じかな、年齢が離れていると話が合わずに一人寂しく作業をしているみたい。 一人寂しく作業をする女性 絨毯を織る女性 楽しく話をしながら絨毯を織る
2006年04月12日
今回もカシュガル訪問で子羊の丸焼きを注文をする。前回は一番美味しいといわれる頭部はテーブルに並べてくれなかったが、後で知ったが頭部が一番美味しいと言われており、今回出なかったら言わなくてはとかまえていたが今回は何も言わなくても頭部を切り取ってテーブルに並べてくれる。美味しい々と言って食べる人は居たが私は頭部は食べれなかった。 子羊の丸焼きを作ったコックさん 子羊の丸焼き テーブルに並んだ切り取った肉
2006年04月11日
2003年1月ホータンを訪れた時ホテルのフロントの女性がひげを生やしていたのでびっくりして見ていたが、2003年5月に訪れた時には街で又見かける。その後2回訪れるが3回目には写真を撮るチャンスが無く4回目の今年にはホータンの絨毯工場にひげを生やした女性がいたので話しかけ仲良くなりチャンス到来とばかりに写真が撮れた。
2006年04月10日
コメント(6)
昨日は黄砂の為に視界が悪く又駐車場に止めている自動車も砂をかぶり黄色くなった。2003年4月タクラマカン沙漠で砂嵐に遭遇、食事を作る事が出来ずに現地に3日留まった全ての物が砂まみれカメラも動かなくなり大変な砂嵐。タクラマカン沙漠の砂が飛んで来ていると思えば懐かしいがこの黄砂は何とかならないものか。
2006年04月09日
と言われ、沙漠を守る為にも生きている木を伐採すれば重罪その為にも1000年以上前の枯れてるか朽ちた木を探さなければならない。枯れている木はすぐ燃え尽きるので物凄く多くの木を集めなければならない。今回の沙漠探険では焚火用の木が少なく雪の有る砂漠を広く歩き回り探さなければならないが靴に付いた雪が融け靴が濡れるのが辛い。'06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月08日
駱駝で移動中前方に建造物、近づくと羊を放牧時に夜は集める小屋を発見、近くには人家も無いので遠くから草を求めて羊を放牧に来ている。焚火用の木は沢山有るが燃やす訳にはいかないので寒い中疲れた体で木を集めをしなければならない。今夜はちょっとした屋根が有るので少しだけ寒さは防げるのかな。'06駱駝によるタクラマカン沙漠探険 自宅から歩いて5分位の通りの満開の桜を撮ってきました。
2006年04月06日
大阪は昨夜から雨、自宅の近くの桜、ちょっと心配をしたが雨の中散らずに元気に咲いていた。桜の木の下で少子化で少なくなったが新しく1年生になった子供たちの写真を撮る姿が見られるだろう。 '06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月05日
今回の沙漠探険の防寒剤(夜焚き火を囲み飲むお酒)はワインの量は少なく65度の白酒を多く持って来ていたので初日から白酒を飲む。1回目('02)の沙漠探険時は余りにも白酒の度が高いので一滴も飲まなかったが、沙漠探険の回数を重ねると白酒の美味しさを覚え沙漠内では白酒だけになった。1/L位はいる容器に1/3位入れ焚火で人肌以下に温め容器を順番に回し飲む、酒のつまみはピーナッツ、干しぶどうそして日本から持って行ったうなぎの骨、うなぎの骨は珍しいので中国の人には人気があった。'06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月04日
今回の最低気温は-32℃気温を聞けば物凄く寒い、しかし動いておればそんなに寒くない、ラクダに乗らずに歩く時には防寒上着を脱がない事には汗が出てきて風邪を引く可能性があり、ラクダに乗っている時は動かないのでさすがに物凄く寒い。寒くなればラクダから降りて歩き、疲れたらラクダに乗る、此れを繰り返す。何故そんなに寒くないのか色々調べたが不明、過去の経験から言えば大阪の冬の方が寒い。UPしている写真を見ていただいたら「物凄く寒いが、そんなに寒くない」をご理解を頂けるかと思います、しかし経験をしなければ理解は出来ないのではないかと思います。'06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月03日
テント設営は除雪をして沙を約15Cm位取り除いてその上にテントを張る。さすが沙漠、スナには水分が無いのでサラサラの沙。二人用のテントを一人で使えば体温で温まらないのでちょっと寒いかな、しかしいびき等を心配しなくてよいのでぐっすりと寝れる。'06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月02日
体調も回復して今年1月の'06タクラマカン沙漠探険の写真も整理が出来やっとUP出来る様になりました。全部まとめてUPは出来ませんが宜しくお願い致します。'06駱駝によるタクラマカン沙漠探険
2006年04月01日
今までの沙漠探険参加者が集まり王威さんを囲んでの同窓会。王威さんが来日して困るのは本場中国の美味しい「白酒」が無く焼酎で我慢をしてもらっている。今回も最初の乾杯と2杯目は生ビール無理をしてを飲んでくれたが3杯目から焼酎に変え、皆よく飲みよく食べよく話をして盛り上がる。た。参加者からは来年又行きたいので探険コースの希望が出た。
2006年03月13日
何時も一緒に沙漠探険を行っている新疆中国国際旅行社 社長 王 威(Mr Wang Wei)さんが営業で来日中、日本の旅行会社にシルクロードへの観光客を誘致する為に毎年現地がオフシーズンには来日して営業活動を行っている。関西在住者で過去の沙漠探険参加者が集まり今夜は同窓会、都合で参加できない人からは土産を預かり持っていくが、沙漠探険の苦労話が出て賑やかになるであろう。同窓会を行う店には中国のようにうまい白酒が無いのが難点、又度数の高い酒も無く水を飲んでいるみたいと日本のお酒は余り歓迎をされない。今日から写真をフリーぺじのトップにUPをしていきます。
2006年03月12日
沙漠で毎夜焚き火を囲み寒さを防ぐ為の防寒剤(お酒)として飲んだ楼蘭ワイン、新疆ウイグル自治区は果物の宝庫なのでワインは何十種類と有り、その中でも一番のお気に入りのワイン。今回も自分の為に3本買ってきた。最初に飲んだのは'02の沙漠探険時中国側が用意してくれ防寒剤として飲めば参加者からは大人気、それからは毎回楼蘭ワインを指定するので準備をしてくれる。帰国後1ヶ月になるが今日から雪の降ったタクラマカン沙漠を思い出しながらぼちぼち飲み始めよう。
2006年03月07日
タクラマカン沙漠のホータン地区では過去の記録が無いので現地の人も初めての経験と言われている大寒波、大雪で凍死者が5名も出る大惨事。沙漠は雨、雪が非常に少ないに沙漠内では約10Cmの積雪、2~3日すれば昼の気温がマイナスでも南斜面では雪が融け沙漠の大地が現れていた。駱駝に乗っておれば寒いので駱駝から降りて歩けば温まるが靴がぬれ足が冷たいのには参った。冬のタクラマカン沙漠は非常に寒いが暖かい(矛盾した表現)写真の服装をご覧頂いたら歩く時は防寒着を脱いだ軽装。シャツは腕まくり姿。 PCが故障して修理に出してたので写真のUPが遅れましたが、ぼちぼちUPしていきます。
2006年03月06日
一般の観光旅行とは違い未知の領域に入る沙漠探険なので、参加者が一致団結して行わなければならないで過去の参加者2名も出席、親睦を深めるために大阪 梅田のビヤーレストランでビール、食事をしながらの説明会を行った。予定の時間も超過して皆が今日始めて会ったような気がせず、和気あいあいとなり楽しい探険が出来そうだ。
2005年11月28日
スキャナーが作動しないのでデバイスマネージャーをチャックすれば白紙、すべて消えている。リカバリをしてウイルスバスター、Windows SP2等色々インストールして設定も終わり、さてスキャナーを使おうと思えばデバイスマネージャーはまだ白紙消えたまま。やり方がまずかったのか再度リカバリにチャレンジ、落ち着いてマニュアルをよく読んで慎重に行い途中でデバイスマネージャー等をチェックしながら行い昨日やっとすべてが終わる。PCばかりして居れないので約1週の時間ロスをする。
2005年11月14日
今年もはや2ヶ月を切、カレンダーも残り2枚になった。昨日予約していた年賀状を買ってきました。今朝から取り合えず年賀状何種類かの内の一つの裏面に入れる写真と挨拶文が完成。明日は誰にどの様な年賀状を出すかを考えなければ、住所録も整理をしなければ。
2005年11月03日
'02 '03タクラマカン沙漠探検に一緒に行った友がフリーソフトで,NTTドコモ901iシリーズの携帯電話に音楽ファイル(MP4)を転送、携帯電話の標準的なメール形式(VMG形式)をOutlook expressのファイル形式(EML形式)に変換の二つのソフトを公開しました。下記よりダウンロードが出来ます、一度お試しを。http://www012.upp.so-net.ne.jp/action/
2005年10月31日
許容範囲内だがちょっと贅沢病の痛風の尿酸値が上昇してきた、貧乏人の私も金持ち(病気)仲間に入ったが悲しい。好きなので毎日食べている納豆、プリン体が多いので少なめにしなければ。ナイル川の夜景を更新しました。
2005年10月30日
此れから冬になれば風邪を引きやすくなるが、水でうがいを1日3回以上行なえばうがいをしない人に比べて風邪の発症が4割減ったと研究成果が発表された。水でのうがいは費用も掛からず簡単に出来るので外からの帰宅時は必ずうがいをするようにしたい。エジプトのナイル川ナイトクルーズ船上からの夜景を更新しました。
2005年10月29日
前回(6月18日)から35500円貯まり3万を貯金箱に入れ合計37万円になる。この容器一杯で50万入るかな?今欲しい物が無いので取りあえず一杯に成るまでやってみよう。端数の5,500円は次回に繰越。エジプトの写真更新しました ↑ 此れより右側は 今回貯めた 35,500円 出し入れ自由の貯金箱(梅干の入っていた容器)
2005年10月28日
特別史跡・高松塚、キトラ両古墳(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)で予想以上の破壊が進んでいる。文化庁は「想定外で衝撃」と言っているが、昔の人が作っても現代人では作れないものが数多くあり。現代でも昔のように保存科学が進んでおらないのか、研究者は慎重に現代科学を駆使して発掘作業をしたつもりが破壊をしただけ。ピラミット前の土産物屋さんの写真をUPしました。
2005年10月19日
今朝インフルエンザの予防注射をしてきました。過去に20代後半で元気な沙漠探検参加者が出発直前にインフルエンザに罹りドクターストップにより参加できなかった事が有った。出発直前の為にキャンセル費用も発生した。損害を少しでも少なくする為に、何か大きな行事の前には万全の体制で臨まなければ。 エジプトの写真更新をしました。
2005年10月17日
コメント(8)
来年1月に行なうタクラマカン砂漠探検の計画書が完成。中国国内のウルムチからホータン行きのフライトスケジュールが未定の為、過去のスケジュールに合わせて作成。全日数が15日間で砂漠内は8日間、直線距離で76Kmだが実距離は100Kmは超であろう、中国側の新疆中国国際旅行社と打合せを行なうが人類未踏地の為に詳細な情報が無いので地図上で計算して決定をした。地図も中国には無く1番新しいので20年前発行の1/50万の航空地形図でアメリカの地図を日本で手配。砂漠は砂嵐等で絶えず動いているので河の移動、砂丘の出現、消滅しているので余り役に立たないが、無い事には不安。ウイグル族の駱駝使いの人達はさすが砂漠の民、地形を見ただけね先の地形を読み取る、持って行く地図よりも正確に目的地に先導をしてくれる。アレキサンドリアの写真をUPしました。
2005年10月08日