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<熊本・少女遺体>養育困難、保護できず。
民家で15歳だった住人の少女の一部白骨化した遺体が見つかった事件に寄せて、今一度記憶をたどってみる。 小学校に上がってすぐだったと思う。 何かの時に感情を荒立てた母が私に言った。 「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」 小さいころのことなんてほとんど覚えていない私が、この言葉だけは四十年たった今でも鮮明に覚えてる。 でも、よく考えたら幼児期に記憶しているのは、母が月に一度薬をもらいに通っていた精神病院の外観や中の様子がほとんどだ。 当時、東京の府中にあった国内でも希少な精神科専門の大きな病院。 母方のお墓が府中刑務所の近くにあったことから、月に一度のお墓参りとこの通院への同伴が小学校六年まで続いた。 母は一人で電車に乗れなかった。 対人恐怖から一人では遠出ができないというのが何年も続いた。 (でも、人ごみの中は平気だったから、電車がだめだったのか?) 病院まではうちから一時間以上かかった。 なので、一人っ子である私にずっと付き添わせていたのだ。 だが、これが毎月第三金曜日に必ず学校を休む羽目になった原因であり、高学年になるころには虐めの理由の一つになった。 不定期ならまでしも、必ず月に一度の休みだ。 「お母さんの病院に付き添っている」 そう言っても、 「どうして子どもが大人の病院に付き添うんだ」 「おかしい」 「ずる休みに違いない」 と周りは私を責めた。 「だいたい、どこがどう悪いんだよ。なんの病気だよ」 聞かれても答えられない。 精神病院に付き添っていると知ったら、さらに虐めが加速するのは想像できる。 人が持つ本当の狂気なんかわかっていないだろう、まだ出会っていないだろう同級生たちに、「きちがい」と言われるのだけは嫌だった。 (この言葉は、本当は書くのもいやだ。口にはしない。でも、平気で口にする人はたくさんいる) 恥ずかしい、知られたくないのもあるが、「何もわかってない人間に、軽々しく言葉にされるのだけは嫌だった」というのが一番強い思い。 一寸の虫にも五部の魂――――的な感じだ。 そういうところは、私自身も小さいころから変わっていたかもしれない(^_^;) かといって、ごまかすという話術もまだ持っていなかった。 だから、言われるまま「答えられない自分にも追い詰められて」泣くしかなった。 担任には「家の事情」として報告していたはずだが、かばってもらった記憶はない。 大変ね――――たったの一言も言われた記憶もない。 教師なんて、学校なんて、こんなものだと思った。 そして、他にも虐めの対象になっていたてことはたくさんあったし(総称して弱い者いじめ)、辛くて何度も自殺を考えた。 でも、それでも学校には行き続けた。 持病のぜんそく発作以外では、休んでいない。 なぜなら、そこに心無い言葉や行動で人を傷つける野蛮人はいても、「本気で殺人を脅迫してくる同級生」までは、さすがにいなかったからだ。 そう考えると、近年の学校の虐めはおかしい。 他人を死ぬまで追い詰めて平気でいられるなんて、病んでいるとしか思えない。 話がそれてしまったが、 「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」 いろんな意味で奥が深い。 今なら「へっ」ってところだが、当時の私には最高の脅迫だった。 「この人を怒らせてはいけないんだ。いい子にしていなきゃ殺されるんだ」 そう思い込まされる、最高の暗示だった。 ただ、ここで肝心なのは「殺されたくない」と思っていた私自身だ。 「生きたい」「早く稼げる大人になって、ここから逃げたい」とかたくなに願っていたことだ。 けど、これが今につながっている。 今もなお、母を介護中だが、それでも「生き続けている」ことに――――。 ―*―***――*―**――*―*―― 昨日は来てくれてありがとう!! 本当に嬉しい&元気が出ます!!! 今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.10.22 19:20:18
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