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カテゴリ:●自分史φ(..)メモ(病んだ親…)
「私は病気だから怒ってあなたを殺しても罪にはならないんだからね」
母から言われた衝撃的なセリフのおかけで、私は母親(そして他人)の顔色を見ることにかけては超・用心深い子供→人間になった。 母親(他人)が怒らない、感情的にならずに済む言動だけを選択することが、当たり前のようだが身に着いていった。 でも、これが当たり前になってくると、自分の中でも『この日常』が『性格』として根付いてしまう。 怒るべきときに怒れない。 感情的になっていいはずのところで、感情的にならない。 言うべき時に言えない。 求められていないだろうことには手を出さない。 自分からは求めない。 何事にも受け身で、自己主張が乏しい。 その結果、周りからもこの子は、 感情的にならない。 怒らない。 我が侭を言わない。 優しくて気の利く、とても(都合の)いい子として認定された。 だが、その一方で親戚からは「子供らしくない」という批判もされた。 積極性がない。 自分の意見を言わない。 感情の起伏が乏しい。 大人しすぎる。 愛嬌がない。 人見知りだ。 などなど…。 子供心に思った。 「人の気も知らないで!」 母は落ち着いてるときなら、私にも他人にも優しい。 もともと親兄弟のために身を粉にして働いてきた人だから、基本は頼られるの大好き、他人に何かしてあげるのが大好き。 まあ、根本的なところで「人は悪くない」のだ。 ただ、ちょっと自己中心入るけど(^_^;) そして、今なら子供の私に優しかったのは『依存』の表れだな。 何かと「茶夢ちゃん、茶夢ちゃん、傍にいて~」いうのが、自分勝手な拘束だったなとわかるが、当時は「優しい母を守りたい」気持ちもあったんだろう。 だから、母を怒らせなければいい。 怒らせないこと、感情的にさせないことが、子供にできる精いっぱいの母守護だったし、それ以上に自己防衛だった。 でも、そういう変な正義感やら責任感が混じっていたものだから、私は母親から脅迫を受けたことを父親にも話していなかった。 告げ口するようでいやだったのか、父親自身をそもそも信じていなかったのか、そこはよく覚えてないが…。 なんにしても、自分が大きくなって、本当に心を開いた友人たちが表れるまで、これは心の奥底に封印されていた。 呪縛であり、母の元から離れられないような手枷・足枷だったわけだ。 しかし、そんなことはまったく知らない周りの大人たちは、母親が病院通いなのは可哀想だけど、薬でコントロールできている。 健常者と変わらない生活ができているものだと信じていた。 だから、自分の価値観だけで『この子は…』と私の性格を決めてかかるようなことをよく言ったのだ。 それも「あなたのためよ」「あなたが周りから可愛がられるためよ」と、わざわざ前打って。 まあ、親戚だし、本人たちにはまったく悪気もないんだろうけど。 でも、私は勝手なことを言われるたびに同じことを思ったわけだ。 「人の気も知らないで!」 ただ、これを繰り返されたところで、子供ながらいくつかの気づきに出会った。 * 誰もが自分の価値観を物差し(基準)にする。 * 悪気がないって、本当に悪くないのか? * どんな人間であっても、気持ちは言わなきゃ伝わらない。 こんなだから、私の「早く稼げる大人になって、自由になりたい」願望は、日増しに膨らむ一方だ。 と同時に、人間不信にも輪をかけていくことになるので、自分の殻の中にすっかり閉じこもることになる。 しかしその一方で、殻を破るタイミングは常に探していた。 私の生活環境改善への理想は、いつしか自分自身も「こんな子になれたら素敵だな」という理想・願望が生まれてきたからだ。 そう、当時の少女漫画を彩った、不幸に負けない不屈のヒロインたちといっぱいであったことで――――。 ―*―***――*―**――*―*―― 昨日は来てくれてありがとう!! 本当に嬉しい&元気が出ます!!! 今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.10.22 23:04:51
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