(伯母一家とのひとり相撲~和解決着まで)
四畳半一間のアパート暮らし。
旅行にいくでもなければ、引っ越すわけでもない。
家を買うわけでもなければ、もっともお金がかかるだろう養育費だって、子供がとっとと独立してしまえば、一円もかからない。
普通の生活レベルの親戚からしたら、こんな生活で我慢してるんだから、さぞ老後のために貯め込んでいるんだろう。
そう思っていたらしい。
滅多に係わらない母方の親戚。
そして、特に父が何かと気を遣い、お金も使った伯母一家の皆さんは!
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;
この伯母一家は、母を怒らせまいとして、いつも小さくなっていた私が、大人しいやら愛想がないやら、いろいろと言いまくった一家だ。
前記事参照
(まったく悪気はない。それが愛情だと思っている)
伯母自身が長女気質で気性がはっきりしていて、言いたいことはなんでも口にするタイプ。
ついでに言うなら、父方の女兄弟は全員そんな感じだ。
(そして大半が離婚経験者…という)
ただ、田舎から東京に出ていたのが、父とこの伯母だけだったこともあり、若いころには父の面倒をよく見たらしい。
父も何かと助けてもらった恩がある上に、こちらの二度目の旦那さんが早くに亡くなっているので、子供たちがとても叔父である父に懐いた。
父にとっては、すごく居心地のいい一家だったのだろう。
だから、事あるごとに顔を出して泊まっては、母子家庭である伯母一家をフォローしていた。
その分があれば、うちはもう少し生活水準あがったんじゃないの?って思うような出費も、ここには惜しげなくしていた。
なので、伯母一家は母や私の生活が本当にひどいものだとは知らない。
だから、弟はそれなりやっているだろうに、嫁や娘がこれだから――――。ぐらいに思っていたかもしれない。
何度サラ金地獄に陥ったかもわからず、私がどうして高卒後逃げるように家を出たのかも考えず、
「あの家じゃ、出たくなっても仕方がないし、独り立ちが早いのは立派ね。でも、好きなことばかりして、親の面倒も見ないでっていうのはね~」
とか、平気で言うわけだ。
自分のところは、伯母が病気がちだったから、子供三人が力を合わせて家計を支えてくれた。
あんたも学校出たんだから、そうするのが普通でしょう。って言いたかったんだろう。
でもね、私が高校時代の三年間、バイト代から食費をフォローしてことなんか、この伯母も父も知らないの。
部活も衣服も、自分にかかる費用は全部自分で働いて賄ってた事実もわかってないのよ。
それなのに、父は私が出ていくと、
「子供がいなくなったんだから、家計費を減らしていいんだろう」
って、そうでなくてもギリギリの生活費しか渡してなかったのに、そこからさらに減らして自分のこずかいに回したのよ。
この金銭苦が母の病気を悪化させ続けたことは言うまでもない。
しかも、母は私には怒るし愚痴も言うけど、世間に対しては何も言えない人だった。
完全な内弁慶、しかも私限定弁慶ちゃんだったから。
結果、家を出た私への依存がひどくなるばっかりで、私はリールを長くしてもらった犬ぐらいな距離でしか、母から離れることができなかった。
まあ、近所に越した自分も悪いんだけどね(^_^;)
(予算的にそこがギリだった)
それに、自分が母から目を離す怖さみたいなのも、たぶんあっただろう。
なんにしたって、私は自分の部屋さえ持てれば、心に余裕が生まれるから。
そういう意味では、いい距離間が生まれたことで、母に優しくできた。
だからといって、父に特別手厳しかったわけでもない。
心の余裕ができるって、そういうものだ。
――――が、そんな我が家を、いつも父側からしか見ていなかった伯母一家。
私自身も冠婚葬祭ごとだけはきっちりこなしたから、縁は切れてなかったんだけど、父が倒れたときに見舞いに来て、本当に気の毒そうに言ってくれた。
「あんたも一人で大変ね。せめて兄弟がいたら、うちみたいに助けあえたのに」
なんか、これを聞いてプツンと切れた。
――――うちみたいにだ!?
なので、ここぞとばかりにきっぱり言い返した。
「いいえ! 仮に兄弟がいたとして、この両親の子ですよ。私の足を引っ張らない保証はどこにもないので、いりません。これ以上面倒な親族が増えるぐらいなら、一人で責務を追うほうがましです。むしろその方が、これ以上扶養家族や借金が増えることだけはないでしょうから、安心ですしね」
独立して、結婚して、子供ができて。
更に仕事でも自立して、親の扶養ができるまでになって、
ようやくこの伯母に対等にものが言えるようになった私。(遅っ!)
倒れた父には気の毒だったけど、ここぞとばかりに「どれほど父のために生活苦を強いられたか」「そして今も無一文で転がり込んだか」を暴露した。
決して、老後のための蓄えなんかしてませんよ、あなたの弟さん!
だって年金も生命保険も何一つ入ってないどころか、国保まで滞納ですからね!
「伯母さんのところには、常にいい顔していたので、気づかなかったと思いますけどね」
――――ああ、やっと言えた!
でも、そう言った私に伯母は「そう。大変だったのね。弟が苦労かけて」と言いつつも
「私が若いころに面倒見たから、私にだけはと思って、返してくれたんでしょうけどね」
さも当然という顔で言った。
たとえそれが事実だったとしても、この状況で遠慮もなくよく言えるな!と思った。
どう考えたって、伯母が父を見た年月・金額よりも、父が見たほうが長いだろう?
しかも、そっちは家族までは犠牲にしてないだろう!?
それにもかかわらず、
「それより私、今でも忘れられないのよね。小さいころのあんたに伯母ちゃんが怖いって言われて、すっごくショックだったこと」
当時で二十五年は前の恨み言まで返された。
「――――(^_^;)」
まったく悪気のない伯母と、悪意にしか感じられなくなっていた私の一人相撲は、こうして父が亡くなるまで続くことに――――。
つづく←え!?
―*―***――*―**――*―*―――
昨日は来てくれてありがとう!!
本当に嬉しい&元気が出ます!!!
今日も一日よろしくお願いいたします(*^_^*)