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カテゴリ:※※ 息子の事 ※※
忘れもしない、 4月25日 ・・・・。 その日はQooのフォローアップの検診日だった。 他県に引越しをしたが、生まれた病院でのフォローアップ外来を希望していたので、 少し遠いが娘の学校をお昼で早退させて病院へと向かった。 私は旦那の行き違いがあった日以来外に出てないので久しぶりの遠出。 家族で出かけないと言った物の私が行かないとQooの成長具合を先生に話せないので気分は乗らないがしょうがないと割り切って車中で眠りながらすごす。 旦那も子供もみんな楽しそうでなにより。 途中サービスエリアでトイレ休憩。 Qooがいるので順番にトイレに行った。 最後に行ったのは私。 これも後々後悔することになる。 高速を下り、下道を順調に走っていた。 そこはSEEが年中さんを過ごした幼稚園のある市でもあった。 懐かしいなぁ~っと思い車外を眺めながら、 この頃に戻りたいなぁ~なんて余計な事を考えながら見ていた(笑) すると信号は赤で我が家の車は先頭で止まろうとしていた。 その瞬間何が起きたのかは覚えていない・・・。 後ろから4トントラックに時速60キロでほぼノンストップで突っ込まれたのだ・・・。 ものすごい音と顔面にものすごい痛みが走り、真っ暗になって子供の泣き声で目が覚めた。 その時初めて事故にあったと分り子ども達を抱きしめた。 旦那はすぐ車から降り、トラックに怒鳴り込みに行ってしまった。 私はショックで過呼吸で苦しいのと、顔の痛みで起き上がれず、 ただただ、子供たちの体に怪我がないか触って確かめた。 幸い二人とも意識もはっきりで怪我もコブ程度だった。 すぐ救急車が来て、私が一番重症と判断され担架に乗せられ家族4人で病院へ。 これも縁か、その病院はQooを妊娠中検診でお世話になっていた病院だ。 すぐレントゲンやCTなど順番に撮られ、診察を受けた。 幸い私以外の3人は治療無しで要観察程度ですんだ。 私は顔に大きな打撲・・・ここまで強打しながらも骨折無しで、入院無しですんだ。 ただここまで強打しているので首背骨にかなりの衝撃を受けているので後々痛みが出ると宣言された。 事故時の話を聞かれたが、娘含め3人とも覚えていない。 事故後なら分っても事故前の記憶がみんな無いのだ・・・。 それは脳震盪によるものでよくあることらしい・・・。 車はどう見ても全損・・・・。 私の顔はお岩さんより酷く晴れ上がり、右目は張れてふさがって何も見えない。 そんな中でも警察に行って事情聴取が待っていた。 その時初めて加害者を知った。 まだまだ若い21歳・・・。 業務上過失致傷で免停・・・。 私たちに何度も謝っていた。 私は一切その人を見る事が出来なかった。 あとから分ったが、その人は私の小中と5つ下の後輩だった。 これも嫌な縁だ・・・。 事故現場は私達の出身校とは全然違う県だし、住所は私の親戚の5件となり・・・。 田舎なのですぐうわさは広がって、その加害者宅も大変だったろう。 どうしてこの事故が起きたか・・・。 私には、私が原因のような気がすると言うか、私が原因であると思うのだ。 サービスエリアでトイレにさえ行っていなければあの信号に捕まる事はなかった。 そしたらみんな、加害者も含め平和に過ごせたのではないかと・・・。 トラックが突っ込んだ場所は、左後部、丁度助手席の後ろ。 私が座っていた場所・・・・。 普通事故を起す時、運転手は自分の身を守る為右にハンドルを切ると言う。 でもその運転手は左にハンドルをきったのだ。 それは警察の方も不思議に思っていたし、加害者もとっさだったとしか言わない。 まるで私を殺しに来たかのような突っ込み方。 何度も死にたいと思って未遂までやったが、死ぬのは即死がいいなぁ~っと実感。 でも子ども達に何もなかった事で、生きている大切さを深く感じた日でもありました。 事故後、私は鬱と事故のショックと顔の打撲による右目の視力低下、鞭打ち、などで嫌でも病院通いで出かける日々が続いています。 はっきり言って疲れきってます・・・。 私は悟りました。 私には良い事はない、悪い事が起こるんだと。 私と一緒にいると巻き込んでしまうのではないかと今一人になりたいと悩む毎日です・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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