1006年 興福寺別当・定澄
大和守 源頼親 右馬允 当麻為頼
藤原氏とその氏寺
大極殿前の朝堂院
検非違使を遣わし、僧どもを追い払う 宣旨
清涼殿にお連れ申したら 帝と共におられることが最も安心かと
申し文
御仏の道に生きるがよい
一つでもこちらの望みが通ったら上出来
帝と中宮さまは如何におわす? いまだ中宮さまには御手は触れられぬか
お前、何とかならぬか このままでは不憫すぎる
中宮さまのお心が帝にお開きにならないと前には進まぬと存じます
皇后定子さまが身罷られて、もう六年
足を揉む仲とも思えませんけども
1007年 倫子(964年生れ) 四女嬉子出産 数えで44歳
同じ日に斉信の邸が焼けた
まひろの弟 惟規 六位の蔵人
伊周の息子 道雅 五位の蔵人 父上の復讐の道具にはなりませんから
「夕顔」さて、かの空蝉のあさましくつれなきを、この世の人には違ひて思すに、
おいらかならましかば、心苦しき過ちにてもやみぬべきを、いとねたく、
負けてやみなむを、心にかからぬ折なし かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、
ありし雨夜の品定めの後、
大納言道綱さまの姫さまよ 惟規には身分の壁を越えて欲しいの 私の夢よ
神の斎垣(いがき)を越えるかも、俺
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに 伊勢物語 神のいがき
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の 見まくほしさに 道長
そなたの物語だが、面白さが分らぬ 男たちの言っていることも分からぬし、
光る君が何をしたいのかも分らぬ 帝はそなたの物語の何処に惹かれておいでなのであろう
帝のお心は計り知れませぬ されど私の願い、思い、来し方を膨らませて書いた物語が
帝のお考えになることと、何処か重なったのやもしれませぬ
「空蝉」いぎたなきさまなどぞ、あやしく変はりて、やうやう見あらはしたまひて、
あさましく心やましけれど、人違へとたどりて見えむも、をこがましく、あやしと思ふべし、
本意の人を尋ね寄らむも、かばかり逃るる心あめれば、かひなう、をこにこそ思はめと思す。
かのをかしかりつる灯影ならば、いかがはせむに思しなるも、悪ろき御心浅さなめりかし。
あなたにも似たようなこと、おありなのではございません?
俺はこのような間抜けなことはせぬ 公任
「空蝉」やうやう目覚めて、いとおぼえずあさましきに、あきれたる気色にて、
何の心深くいとほしき用意もなし。世の中をまだ思ひ知らぬほどよりは、さればみたる方にて、
あえかにも思ひまどはず。我とも知らせじと思ほせど、いかにしてかかることぞと、
後に思ひめぐらさむも、わがためには事にもあらねど、あのつらき人の、
あながちに名をつつむも、さすがにいとほしければ、たびたびの御方違へに
ことつけたまひしさまを、いとよう言ひなしたまふ。
帝がお出でになりました
何故そなたは、この物語を書こうと思い至ったのだ?
御上に献上する物語を書けと左大臣さまが仰せになったのでございます
書いているうちに、私は帝のお悲しみを肌で感じるようになりました
朕に物おじせず、ありのままを語る者はめったにおらぬ
されどそなたの物語は、朕にまっすぐ語りかけてくる
上巳の祓 三月のはじめの巳の日 大雨→「須磨」
曲水の宴
因流泛酒 流れに因って酒を泛ぶ
笑う道長
何故、光る君を源氏にしたのだ? 俊賢
親王さまでは好き勝手なことをさせられませぬゆえ
臣下の籍に下ろされた亡き父・高明を思い出した 父は素晴らしき人であった
どなたの顔を思い浮かべられても、それは、お読みになる方次第でございます
光る君は俺のことかと思っていたぞ 斉信
少なくとも道長さまではありませんね 道長さまは笛もお吹きになれないし 行成
父上が心からお笑いになるのを見て、びっくりした
殿御は皆、可愛いものでございます 帝も殿御におわします
帝のお顔をしっかり御覧になって、お話申し上げなされたらいいと存じます
「若紫」 すずめの子
小鳥を追っていった先で出会ったあの人 あの幼い日から
恋しいあの人のそばで、ずっとずっと一緒に生きていられたら
いったい、どんな人生だっただろう
道綱の邸が焼けた直後、敦康は病に臥せった
伊周を嫌い、道長を慕う敦康
金峯山 御嵩詣 酒、肉、欲、色を絶たねばならん
頼通 中宮さまの御為にも
伊周 またとない機会
「源氏物語で恋愛セミナーの日記」