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カテゴリ:韓国生活
14日は母の誕生日でした
前日に旦那さんも来てくれて、病院では食べ物の持込は禁止されているけれど許可をもらいみんなでケーキを食べました 翌日、明日帰るねと母に言うと、以前にも話していたのにまるではじめて聞いたように そうなの?とびっくりしていた たまにつじつまの合わない事を言ったり、反応がなかったりする これが頭の病気なのか・・・と実感 それでも動かない指が少し動いたり、驚くほどはっきり声が聞き取れることもある 傷ついた脳は再生しないそうだけれど、確実に生きるための努力は体中がしている この2ヶ月間父とはよくケンカした もうお願いだから帰ってくれと何度か言われた^^; お父さんのためにいるわけじゃない!と言い放ちながらもいざ帰るとなると心配でならない 両親を知る人ならば、先にくたばるのは父だと疑う人はいなかったと思う それほど母は健康な人で父は不健康な人だった もう倒れられなくなったと自嘲気味に話していたけど・・・。 70を過ぎてからの突然の自炊、そして半年後からの介護生活、悲しすぎる 母もつらいだろうけど、父も同じ位につらいんだろうな お隣のおじさんにも看護師さんにも”あなたにも生活がるんだから帰ったほうがいい”と言われた けれど、プサンに帰ってもこれといって別にすることのない毎日、ずっとこのまま福岡にいてもいいとさえ思ったりもした 普段は実家にマメに連絡しなくて旦那さんや義両親は不思議がっていたけど、意外にも親離れが出来てなかったのかなぁ~私 何もすることがなくても、今の居場所はプサンだ 旦那さんも迎えに来たことだし、やっぱ帰るかな ”はなちゃん、いつでも福岡いつでも行っていいよ”という旦那さんの優しい言葉に じゃ、悪いけど一人で帰ってくれる?と返すブラックな私でした さて、そんなわけでプサンに戻りました 早速家に帰るまでのタクシーの中で電話がなるいつものパターン・・・。 義がついても私の両親、大事にしないとな~と思う反面、すでに熱苦しいデス この感覚だけは克服できそうもないですね これからまた始まるプサン生活見守ってください 直接的にも間接的にもみなさんよろしくお願いしま~す☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/12/18 04:09:52 PM
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