|
テーマ:愛犬のいる生活(77286)
カテゴリ:カテゴリ未分類
自分で自分の感情を制することができない人はいる。
今言っているのは負の感情の事だ。 よく怒り出すと 怒っている自分に拍車がかかり 止まらなくなる人がいる。 その表現の仕方は様々で ストレートに怒りを爆発して表現する人。 ストレートに表現はしないが 怒りが収まらなくて いつまでも怒りの対象に 負の感情をぶつけ続ける人。 無視して相手をコントロールしようとする人。 たまにテレビのドキュメントで クレーマーが店員に何時間も クレームを言い続けるという場面を見たりする。 相手はとっくに謝罪しているのに いつまでもクレーマーは怒りは収まらない。 そんな場面を見る度に あぁ、可哀想な人なんだな と思う。 その人にはその人なりの 限度を超えたストレスがあったりするのだろう。 あるいは 幼い頃 一緒に色んな感情を体験してくれたはずの ご両親の愛情に恵まれなかったのだろう。 わかる。理解しようとすればできよう。 しかしそのストレスのはけ口にされた方は そうやって 後からあの人は可哀想な人だからと思えばいいのか。 その時の 自分の悲しくて惨めな気持ちをどうすればいいのか。 神様みたいな人は言う。 自分のした事は自分に帰ってくる と。 だから嫌な事があっても ひたすら耐えるのが修行だ 的な事を。 それも理解できる。 しかし漢方薬のような効果だ。 問題は今パックリ開いた傷口に麻酔を打ちたい気分の時。 そんな時に思い浮かんだある人の言葉。 いかに その場の負の感情を 真に受け止めず 受け流すか が大切だ と。 負の感情が生まれたのは もう消しようがないが 少しでも自分の気分がよくなる方向へ 気をそらすのだ と。 嫌な事 感情を味わってしまわないうちに それはそれで置いといて 今 少し好きな曲を聞いてみる。 今 好きなデザートを味わってみる。 すると現実がいい方に本当に変わるのだと。 これ読む人が読めば私が何に影響を受けて こんな事言ってるのかすぐわかるだろう。 私の場合はこの方法がめちゃくちゃ効く。 現実が変わるかどうかは別問題だが 変わることを期待して 今の気分を自分の意思で変えようと思う事ができる。 負の感情真っ只中で 宗教的な因果応報とか言われても 悲しいかな 私には気分を変えることはできない。 毎日生きてる事が修行だなと しみじみ思うワンコママである。 〈終〉 にほんブログ村ランキングに参加しています 応援頂けると励みになります<(_ _)> にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.11.28 22:46:31
|