from・子どもたち>映画・千と千尋の神隠しの「千尋」
from・子どもたちというよりも、宮崎駿さんなのかな。3月30日に井上武司さんの寺子屋で出た話の中に、この映画のことがあった。一度劇場公開で見ていたが、数日前から、もう一度見てみたいと思っていて、今日ビデオ屋さんで借りた。見はじめてしばらくして、眠たくなった。何しろ寝不足だったので。そして、ふと目が覚めたのが1時間36分ぐらい経った頃だったと思う。身の周りに起きていることに動じなくなった千尋が、お父さんお母さんとハクを助けるために、「ぜにーば」のところに、行くところ。顔無しがどんな態度でも、千尋は受け容れる。行きたいといえば、伴う。ねずみ(ゆばーばの大事な坊や)と、蜂みたいなのに対してもそう。そういうスタンスを持った人間は、自然と導かれて行く。それが、ぜにーばのうちに行くまでのシーン。ぜにーばのところで、友人ハクの替わりに謝罪をする。お父さんお母さんを助けたいと伝える。ヒントをくださいという。ハクはかつて会ったことがあるような気がする、と千尋はぜにーばに伝える。ぜにーばは、「それなら話しが早い。会ったことがあれば決して忘れない。思い出せないだけだ」という。千尋「帰ります、ここにいる間に、お父さんお母さんやハクがコロされてしまうかもしれない」ぜにーば「まぁ、お待ち」と言う。ぜにーばは、ここで、「時を待ちなさい」と言ってるんだ。そしてお守り(髪を結うもの)を渡す。「お守りだよ、みんなの思いを編みこんで作った…」つまりは、この世に生を受けた人類全ての遺伝子が千尋のお守りだと。すべての答えは、千尋の中にある、と。ハクがやってくる。ぜにーば、「いいところへ来たね」千尋安心する。これがシンクロニシティ。ハクに乗って、お父さんお母さんを助けに戻る。その間にハクのことを思い出す。「私が小さい頃に、川に落ちた頃がある。 その川の名は、コハク川。流れで浅瀬に運んで 助けてくれた…」その瞬間、ハクは神の姿になり、自分の名前も思い出す。お互いにかつて出会っていたことを思いだし、自分が何なのかに気づくんだわ。そして、ゆばーばの所で最後の試験。たくさんの豚の中から、お父さんとお母さんを見付ける。一度で見つけられなければ、お父さんとお母さんは元に戻れない。千尋は「(豚になった)お父さんお母さんはここにはいないわ」という。当たり!これは本物を見極める力を試されたということだろうと思う。ゆばーばに、お世話になりましたといって、元の世界に帰る。お父さんもお母さんも元の姿で居る。千尋が、自分という存在のすばらしさに気づき、愛を表現し、自分の足でしっかり立つ、までの映画。まぁ、なんて奥深い(@_@)!!!井上さんのお話ししてた意味がとてもよくわかった。きっとこの映画、私は確認するために、何度も見ることになるでしょう。