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カテゴリ:あのう、そもそもですね。
「女子供は家畜と同じ」な、強固クラシック価値で築き上げられた「今って何時代?」の実家なので、一面識も無い、何処の誰とも知らぬ者と結婚しろ等と言われたりする、人格や人間の品性を無視した人権侵害はもう慣れっ子だ。
しかし、それが翌朝も早い平日の夜9時にアポ無しで一人でやって来て、ピンポンさえ押す余裕すら無く、集合住宅の玄関ドアをバンバン打鳴らす程の切迫した用件だろうか。 職人気質で因業な父の35年目にして初にお目に掛かる子供帰りである。 わたし的には、どうせならあのキャラを貫いて欲しかった・・・。 いや、自分も菩薩じゃあないから精神的消耗が甚だしいので迷惑なのだ。 以下、「保守的な環境って何?」とピンと来ない街育ちの方や、「家族、血縁って何より素晴しい」な方々には、気を害される恐れが有るので読まないで欲しいです。と、お他所でよく拝見する予防線と免罪符はっておきます。 どうやら、「何故うちには3人共子供が住まないのか」「子供が何を考えているのか」とか「これまで一度も、きちんと会話をして来なかった所為だろう、話す事により理解出来るのではないか」と、高校生くらいの親時代に悩んでおくべきソレが20年遅れでやって来たらしい。 更に「人並みにしろ」「自分勝手だ」だの「何故実家を嫌うのか、悪い所が有るならば言え」「先祖を大切だと思わないのか」等と問われる。 なので、「その人並みってどんなんだ、私は立派に人並みじゃあないのか」「アンタが今迄好き勝手にして来なかったとは言わせない」とか「アタシが今迄一度でも親に対してどうこうしてくれと意見したか。差別主義で権力に日和見で、寄れば自慢話と噂話しとで、会話さえ成り立たない魑魅魍魎の親類達にどれだけ我慢して来ていると思ってるんだ」「其れ程先祖が好きならおまえが先祖と結婚しろ」と。 こう返答を文字にすると、恰も老親に情け容赦無い残酷中年娘の図ではある。・・・だって言えって言うから・・・。 が、これらが全てナミダ声な所が情けない。(感情と思考の区別は課題) 「自分は劣等な人間である」と自己申告は出来ても、第三者、しかもそれが根底まで憎む事が出来ない親に言われ、本気で傷つき続けているナイーブ且つセンシチブな30代である。 初めは「五体満足で健康でさえあれば」と謙虚に願っていた筈が、親の子に対する「ここ迄行けば満足」と言う要求は天井知らずにエスカレートして行く。 我が子にも関わらず、彼の頭の中では、まるで私が犯罪者か極悪非道人、人非人として仕上がっている。 当の本人はブチブチ言いつつも、その日の小さな愉しみを見つけ乍ら結構ボチボチやっている。いや、結構頑張っているぞ。 我子を「世間一般並み」に達していないと思えないのは気の毒な事実と同情はする。 が、自己の手持ちの5択マークシートの解答用紙の何れにもチェックマークが入れられない不安を、話す事により解消出来ると思っている彼等に満足の行く解答は提供出来ない。 私の持っているのは、問題の編者は自分自身で、文字制限のない自由筆記により解決を導き出さなくてはならない、しかも採点者の居ないそれなのだ。 なので、相容れない他者との差異を差異として、理解する事は無理でも、互いに批判せず受容し、折り合いを付け、共存して行こうと言う和平交渉への努力は空しくも通用しない。 帰りに、樹木と山野草ときのこ以外は分らぬと言う氏に、友人の出しているコケ本を貸し出す。(返却を念押しで) 何処の田舎でも繰り広げられているファミリー・アフェアではないだろうか。(若い頃スライ好きでした) ・・・と言うような事を、酔いに任せて腹一杯ぶちまけた東金@浜野監督集会でございました。 10年に一度の幸福。 地元駅前のスーパー(ジャスコではないダイエー)に焼酎を一緒に買い物しに行き、一升瓶さげて4種類のどれもがアメリカ産レモンの選別に悩む浜野佐知監督の横をテケテケついて歩いたら、子供の頃の幸福だった。 「帰りたくないよう」と吠え、妹にはブバーブさんで働くように薦められた。 岡山に帰宅した夜、4分の1で存命だった母方の祖母の亡くなった連絡が来た。 明日は葬儀です。 クロモジとアパート周囲の桃畑。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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