家族も学校も教えてくれません
温暖化により、50年前の鹿児島の気温が今の岡山で、当時の岡山は今の新潟のそれだったそうな。じゃあ、私の子供時代は石川県くらいか。ここいらは、黄色でなく在来種のシロバナタンポポが優勢で、これもずっと好きなお花。小学校に上がる前くらいの時に、兄と祖母(低学年の時他界)と一緒に、丁度この季節に家の周りの花を摘みに出た。大振りのシロバナタンポポを祖母に得意げに差し出す兄に対抗して、「小さい花もかわいいんで~」と、ハコベか何だったか小さい白いのを持って行ったら、いたく感心された。祖母からすると、人の眼にもとまらず、こつこつ生命を全うする小っぽけなものに人間の姿を重ねたから、あんな表情をしたのだろうが、当時の私は、精密で繊細で美しい小さい花の方がより積極的に好きだったのだ。自分の生れた土地と家とを、手放しに好きだったり、元々ストレートに自己肯定できる人間ばかりではない。ある程度の規模の街は生き易い。状況や環境に何かと救われるからだ。しかし、出自、出所を否定するのは自分をまるごとそうしてしまうようで辛く苦しい。状況でなく、土地でなく、自由だと思えないのは私の問題だ。何故長男にだけ個室が与えられたか。何故男子には進学させられても私を大学に行かせる金は無いと言われたのか。何故兄は宗教にハマったままなのか。大きなものに委ね、頼るのはラクで安心だ。すんません。お彼岸で墓参りして、戒名とか亡くなった年とか「ほう、こっちが光平さんの父ちゃんの墓ね」とか興味深く先祖の歴代を遡ったりしました。ダンコウバイとワサビとも一回ユキワリイチゲ。