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テーマ:家庭菜園(58578)
カテゴリ:周期経過(不育症)
本日3度目の更新です。 友人のTちゃんから梨が届いた ↓ Tちゃんの事は、 元気にしているのかかなり気になりながら連絡を取る事ができずにいた。 彼女と出合ったのは・・・ 2005年(平成17)に、不育症の治療をする為に飛行機に乗り 海を渡って名古屋のJ病院に入院した時だった。 あの頃はまだ不育症の治療ができる病院は限られており、 私は、地元の大学病院で11回もの流産を繰り返していても 検査結果に異常が見つからず、治療方法はないと匙を投げられていた。 藁にもすがる思いで行った名古屋のJ病院で、 青木先生により異常項目を指摘され、治療をする事となり 妊娠解禁となって直ぐに12回目の妊娠が発覚。 1人では行った事のない、全く知らない土地に トランク1つで知らない道を病院に向かい入院した。 見ず知らずの土地で、12回目の妊娠がうまく行く事だけを祈る日々・・・ 不安に潰されそうになっている私に、 お風呂場で一緒になった別の部屋のTちゃんは声を掛けてくれた。 Tちゃん「どちらから?」 私 「沖縄からです。」 Tちゃん「え~っ!遠い所から来たんだね。」 私 「そうなんですよ。」 Tちゃん「注射の痕があるからカプロシンだよね?今、何週なの?」 私 「今、7週です。何週ですか?」 Tちゃん「私は、14週。そろそろ退院の目処がつくんだ。」 私 「良かったですね!」 そんな会話から始まった2人は、 時間があると病室を行き来し、過去の流産歴や治療の事、家族の事を話し合った。 その後、Tちゃんは順調に妊娠が継続し退院の目処がたったのだが、 私は・・・ 彼女の退院が決まった日の同じ日の診察で、胎児の心拍停止の診断を受けた。 この週を超えたら大丈夫だと言われてた9週に掛かる日だった。 私は、順調に進んでいる同室の人達に動揺を与えてはいけないと、 その日から個室に移った。 それから夫が手術の日に来てくれるまでの日々を、 個室で1人悲しみにくれていた。 Tちゃんは、そんな時も何気ないタイミングで私の部屋に来て、 他愛のない話をして自分の部屋に戻った。 私の事を気に掛ける、何気ない気遣いがとてもありがたかった。 手術の当日も、手術前の処置が済んだ頃にひょっこり現れて、 手術が終わったら喉が渇くから・・・ と、飲み物を数本差し入れてくれた。 その翌日に、彼女は順調に育ったお腹の子と一緒に病院を退院して行った。 その後、私は地元に戻り変らない日常を送りながら 彼女のお腹の子の近況を聞くべくメールのやり取りをしていた。 彼女は、病院を退院する時に先生が 「大きな病院で早目に診てもらった方がいい。」 としきりに言っていたのが気に掛かると言っていたが、 胎動も強く感じる時期になり、 不安も少なくなってきた頃彼女は大学病院の診察を受けた。 そこで言われた事は、彼女にはあまりにも過酷な事で・・・ 何度もの流産を繰り返し、やっと順調に育ったというのに 彼女には悲しい別れが待っていた。 その連絡を受けた時、私は彼女の事を思うと涙しか出てこなかった。 毎日を悲しみの中にいる彼女に、 少しでも気持ちが楽になって欲しいと思いお花とお線香を送った。 花は、1つ1つを自ら花屋で選び、 エコー写真に写っていたあの子の顔を思い浮かべ・・・ アレンジする手元も涙で見えなかった。 お線香を選びに行った時も、 どの香りがいいのか店の人に聞きながら・・・ 声が詰まってしまい・・・ お線香を買って急いで車に戻ったら声を上げて泣いてしまった。 帰りの道も、流れる涙で前も見えず、 何度も路側に車を止めやっとで家に帰ったっけ・・・ 四十九日が終ったと連絡をもらった電話で、 「もう、子供は諦めようと思う。」 「もし、次に妊娠する事があっても、もう治療はしないかも・・・」 と、彼女は言い・・・ この別れがどれだけ彼女の心を打ち砕いたのかが分かった。 それからは、時々、安否を確認する為だけにメールをした。 私は、次の治療に掛けようと妊娠を望み、 彼女は、別れのつらさからもう治療はしないと言った。 そんな彼女に、病院の事や治療の事、妊娠の事は話せないと思っていた。 だから、 どんどんとやり取りをするメールの数も減っていき・・・ 彼女の子の1周忌の頃に久しぶりに彼女の声を聞いた。 しかし、彼女の心はあの悲しい別れの時に置き去りにされたままだった。 「夫婦2人だけの生活を考えているよ。」 彼女はそう言った。 私はその頃、13回目の妊娠が子宮外妊娠と終わり、 14回目の妊娠に向かっていた。 私の近況を聞かれ、その事を話した時、 とても心が苦しかった・・・ それから、連絡は途絶え・・・ 彼女の安否がとても気になりながら、 妊娠に向かう私の立場では彼女に連絡を取る事は躊躇われ・・・ かなり連絡が途絶えた。 そんな頃、彼女からのメールが入った。 「会いたい。」ただそれだけのメールだった。 「私も、Tちゃんに会いたいよ。家が近かったらいいのにね。」と返信した。 私は、深く意味を考えていなかった。 私も体がリタイアに向かう時期になってきたこの頃、 今なら彼女と話ができるかも・・・ そう思い、彼女へ様子伺いのメールを送ってみた。 近況を綴ったメールには、今年男の子を出産したと書かれていた。 私は、その文字を見た時に心から あ~っ・・・良かった。本当に良かった・・・ 涙まで溢れてきた。熱いものが心を満たした。 あれ程頑なに「もう子供は要らない。」と言っていた彼女、 本当は強く子供を望みながら、あのつらい別れで封じ込めた思い。 その思いが解き放たれていた事に感謝した。 良かった。本当に良かった。 今考えたら、彼女が「会いたい。」とだけ送ってきたメール。 あの頃、彼女は、 お腹に小さな命を抱え強い不安の中にいたのだろう・・・ 今になって、「会いたい。」だけのメールの意味が分かった気がした。 沢山の不安との戦いだったのだろう・・・ ここまで良く頑張ったねTちゃん! 心からおめでとう! 現在、J病院は、 不育症患者を診ていた青木先生が開業の為に退職し、 不育症患者を受け入れてはいない。 私の心の中のJ病院・・・ あの頃あの病院で一緒に頑張った大切な仲間は 一人残らずその腕に我が子を抱いた。 一番気掛かりだったTちゃんも・・・ 心の中にあった引っ掛かりが取れた。 私は、我が子を抱く事は未だ叶わない・・・ だが、私は心の卒業。 皆が無事に卒業して本当に良かった。 それだけで、私の心も晴れ晴れとした。 毎日の注射や、恐怖のエコー、悲しみの小さな命との別れ・・・ 色々あったけど、卒業。 あの頃の何もかもが素敵に輝いて見える。 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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