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カテゴリ:ダンナとその家族
長く闘病中だった殿の伯母さんが亡くなった。
87歳だった。 私の家から徒歩3分ほどのところに住んでおられたのだが、あまりお付き合いをしていなかったので、病状やその経過についてはあまり詳しくは知らない。 私が嫁いできた当初、殿の妹がまだ独身で、私は舅姑小姑との同居というかたちで暮らしていた。 しかしこの小姑がクセモノだった。 彼女の意地悪や画策に私は散々泣かされたのだ。 田舎の長男の家なので、結婚した当時から法事や親戚の集まりがけっこうあり、勝手の分からない私は右往左往した。 分からないことを小姑に尋ねると、いつもなにかしらウソが混ざっていて、言われた通りにすると必ず失敗した。 それをかげで笑っていたのが、小姑と伯母だった。 それでもしばらく経つと、伯母は私の苦労に理解を示してくれるようになり、会えば励ましてくれるようにもなっていた。 すると小姑は伯母を味方につけておくために、いろいろなウソを伯母に吹き込んだ。 姪の言うことを信じた伯母はだんだんと会うたびにきついことを言うようになった。 「都会で派手に暮らしてたあなたのような人は、お墓参りもする気はないらしいわね。」 「子供を小姑ちゃんに押し付けて昼寝ばかりしているそうだけど、具合でも悪いのなら医者に行きなさい。」 「最低限の家事くらいは姑の手を借りずに自分でやったらどう?」 「さすが商売人の娘だけあって(悪い意味で)抜け目がないわね」 もっとひどいものもたくさんあった。 身に覚えのない中傷ばかりで言い訳する気も起こらなかった。 そしてとうとう彼女は私のことを、小姑をいじめ、家事もろくにせず、昼間は寝てばかりいて、浪費家で、舅姑にも偉そうに振舞う、とんでもない嫁であると思ったまま逝ってしまった。 亡くなった夜に殿と駆けつけ、土日の予定を全てつぶしてお通夜・告別式とも参列した。 伯母の家には、伯母が趣味で描いていた上手な油絵が所狭しと飾られていた。 本棚にはたくさんの美術書。 他にも芸術的な趣味がたくさんあったらしい。 もしも、小姑があんな人でなかったら、私と伯母の関係はすっかり違うものだっただろうと、伯母の亡骸を前に、私は妙な確信を得ていた。 もちろん涙は出なかったし、悲しいというほどの気持ちの動きもなかった。 ただ「これで完全に終わってしまったんだなぁ」と思うと、どんなに嫌ったり嫌われたりしていても、死んでしまったらなんにもなくなるんだと改めて実感した。 もしも本当に、亡くなった人が空から私たちを見守ってくれるのだとしたら、伯母はこれでやっと「誤解していたわ」と思ってくれるのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年10月10日 09時38分55秒
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