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偏屈たぬきのへそまがり投資日記

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Jun 9, 2015
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 「しんがり 山一證券最後の12人」という本を読んだ。

 ジャーナリストの清武英利氏が山一證券倒産前後の状況を丹念に取材してとりまとめた労作。
 特に、最後まで会社に留まり、倒産の原因となった簿外債務に関する社内調査報告書をとりまとめた12名に焦点を当てている。

 エリート社員が再就職をしていく中で、社内的に日の当たらない部署を過ごした人達が最後に踏みとどまり、簿外債務の発生の背景・処理方法・関係者等を明らかにした渾身の社内調査報告書をとりまとめるまでの物語。

 人間ドラマとして大変面白いのだけど、

 私は、亜流の読み方なのだろうけど、本書から透けて見える1980年代の株式界隈、証券会社の商売のやり方、顧客の状況に興味を惹かれた。

 なので、本の主題とは離れるけれども、そのあたりのことを書いてみたい。


1.利回り保証の証券運用

 1980年代、特に80年代後半は、実質的に利回り保証で証券会社に運用を任せるということが広く行われていたようである。

 証券各社の主戦場となったのは、事業会社の一任ファンド的な営業特金(特定金銭信託)。事業会社が転換社債大量発行等でキャッシュをだぶつかせているのに対し、各証券会社が高めの利回りを運用目標として約束して集金。シェアを競っていた模様。

 また、リテール部門でも大口個人客と支店担当者の間の一任勘定的取引。

 さらに、私の子どもの頃のかすかな記憶をたどると、投資信託もクローズドエンド型(期間限定、中途解約無し)で毎月設定されており、チラシには想定利回りが明記されていたように思う。不思議なことに(というか当時の常識では当たり前のように)各回のファンドは想定利回りを少しだけ上回る水準に必ず着地していたようにも思う。

 
 で、株価が右肩上がりの時代には、証券会社、顧客ともハッピー。顧客は約束された利回りを確保できるし、証券会社は利回りを確保さえすれば、回転売買で手数料抜き放題、超過利益が発生すれば担当者の裁量で(運用がうまく行っていないような)他の顧客に付け替えることも出来る。

 
 今から見ればとんでもない状況だけど、当時としては必ずしも法令違反でもないし、山一證券に限らず各社横並びで同じようにやっていた模様。



2.時代が変わる

 上記の仕組みは、右肩上がりの時代にこそ証券会社の繁栄をもたらしたけれども、ついにバブルも終焉。1989年大納会12月29日の史上最高値38,957円44銭をピークに株価低迷の時代に。

 また、コンプライアンス的な規則も強化され、一任勘定取引や損失補てんが禁じられることとなった。


 で、利回り保証の後始末はというと、

 個人の場合は、極力顧客の損失という形で決着をつけようとするのだけど、利回り保証の約束が明確であったり顧客の力が強かったりして交渉がうまく行かない場合は禁じられている損失補てんで決着させるしかない。

 事業法人相手でも、相手ごとに違う利回り保証の程度(単なる目標か契約的なものか)などを踏まえつつ、損失は極力顧客側に引き取ってもらうべく交渉し、ダメなら証券会社が自分の勘定に引き取ることとなる。

 このあたりまでは、証券各社共通だったと思うのだけど、
 

 そうした中で、山一證券では決算期の異なる会社間で有価証券を移し変えることで、含み損の表面化を回避するという判断先延ばし策を取った。株式市況が回復することを望みに先延ばしの取引を繰り返し、最終的にはもはや事業会社に引き取らせることは不可能となり実質的に山一證券の勘定の多額の含み損を抱えることになる。それらの有価証券は山一の関連会社が保有し、山一の決算書上では全く存在が見えない簿外の債務。

 1997年に至り、大蔵省により自主廃業に追い込まれることとなった。

 

3.社内調査報告書

 簿外債務に関する社内報告書は、ともかく渾身の出来栄え。

 調査に関わった国広弁護士のHPにて閲覧できる。

 〇社内調査報告書 -いわゆる簿外債務を中心として-



4.感想など

 大蔵省の判断で山一を自主廃業させることとなったようだけど、山一を潰して何か良い影響が有ったのだろうか?山一や長銀などそれなりに営業基盤や体力の残っていた会社が潰れたことで、ますます金融不安が加速して行ったような気がしてならない。
 そこへ行くと、1965年の証券不況で倒産やむなしと思われた山一證券を超法規的日銀特融で救った田中角栄や、ダメの最右翼と思われていたりそな銀行を救った竹中平蔵は偉大であった。

 ところで、一任勘定取引は禁じられたはずなのだけど、ほどなくしてラップ口座として復活。
 このラップ口座(ファンドラップとか称するらしい)なるもの、高い信託報酬を抜きながらリスクは全て顧客におっ被せている。証券会社が潤うだけの馬鹿げた商品。

 一任勘定なら一任勘定らしく、先達を見習い利回り保証ぐらい付ける根性は無いものだろうか(それは無理だろうから、せめて損失が出た期は信託報酬をゼロにするぐらいやったら?)。






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Last updated  Jun 10, 2015 09:01:14 PM
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