子供の頃 「なりたい」ものがたくさんあった しかし・・・
かなり欲張りだった幼稚園のころの文集には「でざいなー」と書いた記憶がある小学生になって、航空会社に勤務する叔父が「オマエが大きくなったら スチュアーデスにしてあげるからね」と 大ホラ(おおほら)をふいたので すぐその気になった小学生の時、トゥシューズを買ってもらった薄いピンクのサテン生地、とーってもステキだったしかし・・・わたしが産まれたとき未熟児で産まれたのだが「股関節脱臼」という状態で産まれてきたそれが その夢を阻んだ身は軽くて 柔らかいのに 股関節だけがものすごく固かった脚が開かない・・・致命的だったピアノは順調だった小学生では「音大進学コース」のレベルだったしかし 中学受験がまたそれをはばんだヴァイオリンを買ってくれた音を出すのがとても難しくて挫折キラキラ星しか弾けなかった くやしさ少女はふたたび成長過程においてデザイナーを意識するようになったそれが成就したのは結婚し 某ハウスメーカにバイトで入って 正社員になったとき「色あわせ」と呼ばれる、壁紙や屋根の色、様々な種類の中から家の内部を創りだす仕事だった(「カラーコーディネーちゃん」と呼ばれていた、正式のカラーコーディネーターではないからだ。)とても楽しくて 充実していたしかし 凝り始めるとそれは時間に比例する家事との両立、そして流産・・・主婦の私には 楽しかった時間は あまり長くは続かなかった生きる目標・・・何になりたい・・・今 具体的に「何か」が出てこないこれはとても勿体無い人生の送り方だと思うとりあえず 秘書であるが今はそれを生業とすることができないかくして 多くのものに触れて 夢を見 実現もしたけれど本当になりたかった わたしってなんだったのだろう子供の頃、自宅の前のアスファルトに「ろうせき」で家の間取りのいたずら書きを繰り返していたとりあえず 住居学科だ今まで全うできたのはこれぐらいなのかなぁ・・・駅前にバレエ教室がある体の柔軟性はかなり落ちたが 一度行ってみたいと思っている相棒が治ったら 行ってみよう、今は家族の健康が第一だそれから、あのピンクのトゥシューズを思い出し 雰囲気だけでも味わってこよう