カテゴリ:北朝鮮
1950年代から1984年にかけて行われた帰還事業では、9万人以上の(在日や日本人妻)が、だまされて「地上の楽園」に「帰国」したが・・・その新天地は「地獄」だった。多くの方たちは、苦難の中で、無念の死に至る。
1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮のスパイ(工作員)や朝鮮総連の協力者たちにより、企てられた日本人拉致は、重大な国家的犯罪だった。すでに、横田めぐみさんは55歳、田口八重子さん64歳、曽我ミヨシさん88歳・・・となっているハズだが・・・「民主主義」「人権」を叫ぶ日本のリベラルたちは、見て見ぬふりを決め込んで、今日に至る。
「北の人民は、楽しく幸せに暮らしている」「無料の医療・教育・住宅は、生活に安心をもたらすと実感した」と、北朝鮮の社会主義を 党機関紙「週刊新社会」(2013年11月19日付)で称賛したのは新社会党・・・わずか6年前の話だ。
ため息が出るのは・・・・僕だけだろうか?
そう、(黙っている、あなた)にも、その責任の一端はあるのではないか? 真実を見て見ぬふりをして、(それでよし)とする・・・あなたにも!!!
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) 北朝鮮の強制収容所とは。(ニコニコ動画) https://www.nicovideo.jp/watch/sm16545872
(以下は、ウイキペディアから) 耀徳政治犯収容所は、政治犯を収容する所として国家的犯罪を犯した人だけを収容する場所ではなく、朝鮮民主主義人民共和国の内部でチュチェ思想に合わない話や、金日成一族について少しでも否定的に論じるなど、いわゆる "国家元首侮辱罪"を犯した者も収容される。収容者たちの罪は次の通りである。
実態[編集]
収容所の全体は3~4メートルほどの高さの塀で囲まれ、その上は2~3メートルの高さの電気鉄条網で囲まれている。塀によっては監視塔があり、自動小銃を持つ1千人の警備隊や番犬がパトロールしている。
1977年から1987年まで収監された姜哲煥の証言によれば、革命化区域には在日朝鮮人帰国者の集落が存在しており、5000人ほどが収容されていた。日本での生活を語り、収容者に悪影響を与えることを防ぐために1975年頃に設置されたという[5]。
ほとんどの人は病気と栄養失調で死んでいく。
一人のいわゆる"犯罪"のために、家族全員(子供も含む)が収監されるが、囚人たちの間の性関係及び結婚は禁じられており、女性が妊娠した場合、強制的に人工妊娠中絶されてしまう。 姜哲煥は収容所での生活を著書『収容所の歌』に記している。
革命化区域では、脱出を試みて失敗した者、または食料品を盗んだ囚人たちの公開処刑が行われている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.07.12 10:10:32
コメント(0) | コメントを書く
[北朝鮮] カテゴリの最新記事
|
|