カテゴリ:慰安婦問題
慰安婦とは 2020-1-7 (はんぺん)
慰安婦問題とアジア女性基金(HP デジタル記念館)から http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10310403/www.awf.or.jp/1/index.html
これらの人々のことを日本で戦後はじめて取り上げた書物の著者たちは「従軍慰安婦」と呼んできました。したがって、日本政府がこれらの人々の問題に最初に直面した時も、アジア女性基金がスタートした時も、「従軍慰安婦」という言葉を用いていました。しかし、戦争の時代の文書では、「慰安婦」と出てきます。それで、いまでは、「慰安婦」という言葉を使っています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
以前、何度か、ブログで指摘してきたが、僕は「従軍慰安婦」という言葉は、使わない。なぜなら、歴史的事実として、そんな言葉は、もともと存在しないからだ。「従軍記者」「従軍看護婦」「従軍僧」の存在は、知られているが、「従軍慰安婦」という言葉は、戦後、千田夏光(作家)による(造語)であるからだ。(1973年の著書)
恐ろしいのは、言葉によるイメージだ。言葉は、発せられたら、それが一人歩きして、間違った認識を拡散してしまう。僕自身、(人生一生勉強)の中で、この(造語)の事実を知ったわけで、それまでは、不用意に、無意識に、この「従軍慰安婦」と言う言葉を、使いまくっていたわけだ・・・反省しきりだ。
以後、「慰安婦問題」と言う言葉を常時、使うようにしている。間違った認識や誤解を避けるためには・・・・当たり前のことだから。
戦時中、軍が、慰安婦たちを帯同したことは、間違いない。多くの記録や 証言がある。慰安婦の移動などに際して、軍が便宜を図ったことは、事実だ。しかし、それは、軍が必要と判断したがゆえに、関与したことであったわけだ。
軍が、業者に便宜を図ったことは、軍の利益にもなり、業者の利益にもなったということだ。双方が、協力したということが、多くの文書で明らかになっている。出版された多くの書物を、僕のブログでも紹介してきた。現実は、かくの如しであった。
ところが・・・反日(=親北朝鮮)の韓国の市民団体(挺対協など)が、「無理やり、トラックに詰め込まれて、戦場に送られ、現地で、集団で暴行された・・・」といったキャンペーンを始めた。
その唯一の根拠・・・それは、日本国内で、その「強制連行」を、自分はやったと証言する者が現れた。それが、吉田清治という人物である。
吉田氏は「戦争中、軍の命令で自分が韓国の済州島に出かけ、多数の女性を従軍慰安婦にするために狩り立てた」と「自白」して、謝罪した。 この証言を朝日新聞が、昭和57年(1982)9月2日付で報道した。
翌58年(1983)、吉田証言は本になった。『私の戦争犯罪ーー朝鮮人強制連行』(三一書房)である。この本は、わが国の社会に衝撃を与えた。
日本人が自分がやったと言うのだから、普通の人は、事実だから自ら明らかにしたのだろうと思う。その姿勢に誠実さや正直さを感じ、言うとおりに違いないと思ってしまう。
吉田証言は、「従軍慰安婦」に関する多くの書物に紹介されており、韓国もこの書を基本的な文献として、日本に抗議してきた。
さらに、平成8年(1996)4月の国連人権委員会でのクマラスワミ報告にも引用されるに至った。また、平成18年に出された米国議会の慰安婦問題調査報告書も、吉田証言を基本資料としている。 ―――――――――――――――――――――――――――――― 歴史は、事実を調べることからスタートするべきだ。多くのリベラたちが、都合の悪い情報には、目をふさぎ、見て見ぬふりを決め込んでいるが、いつかは、化けの皮が剥がれるものだ。
いま、リベラルたちが、事実を前にして、言い逃れできなくなって、小さくなっている様は・・・物悲しい限りだ。
僕は、「反省する勇気」を・・・と言い続けている。真実を恐れず、都合の悪い情報にも目を通す気概が、今のリベラルに求められているのだ。
(参考)慰安婦問題は、虚偽と誤解に満ちている 第2章 うその証言が事実として流布 2007-7-6 212-B08 オ ピ ニ オ ン https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201811050001/
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最終更新日
2020.01.19 00:41:00
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