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2020.11.16
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カテゴリ:映画

(本当に反省しているのか?)

同じ誤りを繰り返している(未来の無い人類)のことだ。

 

(スーパーマンになれ)とは言わない・・・誰でも(過ち)は、起こりうるし、そのこと自体、不思議でもなんでもない・・・完全な人間などは存在するハズがない・・・当たり前のことだ・・・

 

問題は、その(過ち)の後始末の事だ・・・

(本当に反省しているのか?)と問い返したくなるのだ・・・

 

このドキュメンタリーには、(人間の醜悪さ)というより、(人間の限界性)を感じることができる。「人間は、どこまで残酷になれるのだろうか?」というフレーズの本が、昔、出版された記憶があるが、僕は・・・理性と感情を併せ持った人類という(限界性動物)の行く末の事に・・・関心がある。

 

これまで切り開いてきた人類の文明は、残念にも、間違いなく(消え去る)ことだろう・・・

宇宙の中の、片隅のちっぽけな地球の中の、恐ろしく極小レベルの(人類)の存在が、かき消されてしまうことに・・・必然性があるように思える。

 

生きる価値とか、何をなすべきかとか、理想社会とかで、激論を交わした日々は、過去のものとなって久しいが、自分が生き続けることに、なにがしかの意味を見つけることが、無意味に思えてきて・・・何のための(人生総括)なのか? を考えてしまう。

 

皆さんは、どう思われるか?      (はんぺん)

―――――――――――――――――――――――――――――――――

(評・映画)「国葬」 スターリンの死と大群衆

      20201113日      朝日新聞


「国葬」
 

 20世紀は民主主義の世紀だったといわれる。そしてまた一方で、全体主義の世紀だったとも。

 全体主義と聞いて、大方は旧ソ連をまず想起するに違いない。なにせスターリンという途方もない怪物を生んだのだから。

 これはスターリンの国葬を伝えるドキュメンタリーである。その異観の壮大さにはつくづく感嘆する。

 

 1953年3月5日、その死が全国に告げられる。多様な風土と多彩な民族の追悼の諸相が延々とつづられる。寒村では人々が無線放送に聞き入り、都会では銅像が弔花で埋まり、遺体の安置されたモスクワの円柱ホールには大群衆が押し寄せている。

 

 カメラはひたすら人々の表情をとらえる。説明は一切ない。生の声も拾わない。多くの映像をつなぎ合わせているせいで、画像は頻繁にモノクロとカラーが入れ替わる。

 

 ウクライナの監督セルゲイ・ロズニツァはつとに国際的評価の高い人だが、本作が日本初公開。ここでは近年発掘された記録映像を使いこなしている。

 無線放送から故人の業績が流れる。「我々に幸福をもたらした偉人」と。

しかし私たちは、いや世界中が今や故人の悪行を知っている。2700万人以上という大粛清・・・等々。

 

 画面の妙に張りつめているようで、妙に間の抜けた空気にふと気づく。手ひどい死別の悲しみはない。

 この映画の核心は描かれなかったところにある。すなわち群衆の心の中に。それは、監視され、管理されている人間の、歴史が明かす恐怖に外なるまい。

 

 21世紀が引きずる暗い影がほの見える作品である。(秋山登・映画評論家)

 

 ◇東京で14日、大阪で21日公開。順次各地で






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最終更新日  2020.11.17 01:57:27
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