カテゴリ:社会主義
25年ほど、日本社会党の一員として、(日本の平和実現)を信じて、党活動の前線で活動していた自分としては、今回の社民党(旧社会党のなれの果て)の惨状は、予想されたことではあったが・・・複雑な思いだ。
共にビラを撒き、デモや集会に参加した当時の仲間たちは、今、どうしているだろうか? と、時々思う。元々、日本社会党は、(二本社会党)とよく言われたが、二本どころか、三本も、四本も・・・百家争鳴の如く派閥が乱立して・・・特に、大阪の社会党は、複雑怪奇だった。
それでも、日本の!世界の!民衆の平和で幸福な世界を実現するという同じ思いがベースにあったハズだと今でも思っている。
マスコミに登場した指導者たちの無節操もあって、自滅は避けられなかった。(護憲)に取りつかれた指導者たちは、政府や自民党を非難する声をあげるばかりで、最悪の人類の敵(全体主義)の残忍さには、見て見ぬ振りを決め込んで、多くに支持者たちの期待を裏切ってしまった。
(モノを見る目が無かった)という指導者としての資質に関わる問題だったが、当時のヨーロッパの社民党のリーダーから、もっと学ぶべきだった・・・と僕は思う。
今の若者たちは、社民党や共産党を(保守政党)、自民党を(革新政党)とみる傾向が強いという。団塊の世代の我々には、想像しにくいが、そのあたりにメスを入れなくては、リベラルの再生は、永遠の彼方に遠のくと思われる。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 産経抄 2020-11-21 産経新聞
「党が分かれて小さくなることは残念でならない」とは元党首の村山富市元首相の弁だが、抄子には全く残念だと思えない。
▼村山氏といえば土井たか子元党首らとともに、北朝鮮の拉致実行犯、辛光洙(シングァンス)元死刑囚の助命・釈放嘆願書に署名した「極めてまぬけな議員」(官房副長官当時の安倍晋三前首相の発言)の一人として知られる。
社民党は社会党時代から、われこそは朝鮮労働党の友党だと誇ってきた。
▼北朝鮮が昭和58年に、ビルマで爆弾テロ「ラングーン爆破事件」を起こしたときは党機関紙で「(北とは)無縁の行為だ」とかばった。
62年に「大韓航空機爆破事件」を実行した際も同紙コラムで北の関与を疑問視してみせた。
▼何より拉致問題には冷淡そのもので、その存在すら否定してきた。
平成14年の小泉純一郎首相による初訪朝で、金正日総書記が拉致を認めて謝罪した後も、2週間以上にわたって党ホームページ上に、拉致事件は「でっちあげ」「創作」と書いた論文を掲示し続けた。
▼土井氏は、拉致被害者家族の協力要請には知らん顔を決め込んだ。
「北朝鮮には補償も何もしていないのだから、9人、10人返せとばかり言っても、フェアじゃない」。現在は立憲民主党副代表の辻元清美氏がこんな発言をしたのも、社民党政審会長時代のことだ。
▼拉致はテロであり国家主権侵害であり、同胞を痛め傷つけてきた人権問題である。ここにかくも鈍感な政党が、沈む船からネズミが逃げるように離党者が続出したにもかかわらず、存続している方が奇異だと感じる。
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最終更新日
2020.12.10 22:27:02
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