カテゴリ:社会主義
昨年アップしたモノを再記した。左翼の息の根を止めた大事件だったが・・・サヨク総体の抱える問題でもあり、真摯な再出発は、なされなかったのが、僕には、強烈な印象だった。(はんぺん)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 連合赤軍・山岳ベース事件 ピクシブ百科事典から カテゴリ:学生運動 同時代に生きて、少なからず(反体制運動)に関わった自分には、どうしても彼らの暴虐は許せない・・・ 1969年秋に結成された(赤軍派)。しばらくして、結成の主要セクトの社学同(社会主義学生同盟)の関西の拠点校であった僕の大学で、そんな秋のある日、いきなり、わずか14~15名の学生が、赤地に「赤軍」と白字でで書かれた、人数とは不釣り合いなバカでかい旗を先頭に、直立歩行の軍隊式の行進を、(大学自治に守られた)大学キャンパス内で、示威行進していたのを見ることがあった。
ジグザグデモなど、日常見慣れている一般学友も、キャンパスには相当居たが、さすがにみんな、薄気味悪く、遠巻きに見守っていたのを覚えている。(アホなこと、またしてるな)と言うのが、その時の僕の素直な印象だった。 マンガチック、革命幻想に酔いしれている(大人になり切れていない子供)の仕業で・・・(裸の王様)然としていたものだ。(完全に浮いていた!!!)
うろ覚えだが、確か、その時の彼らは、行進で、「戦争勝利、闘争貫徹」を叫んでいたように記憶している。とても異様な印象を覚えたものだ。
僕たちは、日ごろから、このトロツキスト(社学同)に、さんざん暴力的に痛めつけられていた・・・彼らは、今の北朝鮮と同じで、(話し合いで解決を)と申し入れても、(反革命と決めつけた)粉砕の対象である我々とは、まともな話し合いには応じることなく、暴力的な破壊活動を仕掛けてくるのが常だった。
よく、当時から極左から共産党までのサヨクは、(社会主義)(共産主義)を目指しているというが、この連合赤軍の実態からわかるように、彼らは、勉強していないし、自分たちの目標も、最初から十分に理解していなかった・・・というのが、真実だ。
たいへん恥ずかしいことに、こんな(いい加減な運動)が、大きな顔をして展開できたのが、僕の1968~1970年という時代だった。勉強するよりも(街頭へ、街頭へ)というわけだ。思想や理論の勉強をさぼり、街頭デビューすることが、当時の学生運動の最先端のスタイルだったのかも・・・??
一般学生の一部も(お祭り騒ぎ)に便乗して、サヨクっぽくみせかけて、勉強もほどほどに、ヘルメットをかぶって参加したが、無責任な彼らは、運動のピークを過ぎれば、さっと引き上げ、何食わぬ顔をして一般社会にもぐりこんでいったものだ。
あの、赤軍派の重信房子。何十年もたってから、恥ずかしすぎる(反省?)(自己批判?)をしたことを 前にも、このブログで紹介したことがある。考えられない、子供のような稚拙な言い訳・・・には、正直、僕は呆れかえり、怒りの感情がいっぱいになった。 (参考) テロリストの母は「他のやり方を考えれば…」と反省を口にしていた・・・娘が見た日本赤軍の女王「重信房子」の“素顔” 2014.7.31 産経ニュース … https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201608180004/
また、重信が一連の事件を振り返り、「ほかのやり方があったら良かったし、手段を考える機会をもった方が良かった」と反省の言葉を口にしたこともあったという。(娘のメイ談)・・・
日本赤軍・連合赤軍の愚かで未熟な「指導者」たちのために、多くの無辜の市民が殺された。自分たちの同志(12人)までもが・・・殺された。 今ごろ「もっと他のやり方があった」(重信)と言われても、殺されたものは・・・永遠に浮かばれることは無い。なぜ、彼らを死刑にしないのだろうか?
こんないい加減な連中が「革命ごっこ」をしていたのかと思うと・・・・情けなくなる。 社会に対する「甘え」は、当時の全共闘運動にも、あった。 石を投げたり、角材を振り回して「革命ごっこ」をしていた全共闘は、日本赤軍と 本質的に変わらない・・・・と思う。
森恒夫や永田洋子が、勉強不足の徒党30数人を率いて、(革命ごっこ)を夢想して、意味の無い大量殺人(12人)を引き起こした・・・そのことは、(万死に値する)と僕は思っている。
勉強不足、情報不足を反省せず、全体主義の中国や北朝鮮に見て見ぬふりをするリベラルたちに通じるものがある・・・と確信する次第だ。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 連合赤軍・山岳ベース事件 ピクシブ百科事典から 過激派連合赤軍最高指導者の森恒夫、永田洋子両名がメンバーに難癖をつけ、「総括」と称するリンチを加えメンバー12名を殺害、山中に埋めた。
元々は過去を振り返る「反省」の意味合いが強く、暴力は用いなかったが、だんだんエスカレートし正座をさせ食事を与えないなど陰湿なものになっていき、「総括に集中させる」という名目で殴る蹴るの暴力を伴うものになっていった。 当初はあくまで「目が覚めた時に真の戦士になれるよう、殴って気絶させる」というのが目的だった、らしい。
その粛清理由は、当初は作業のミスや装備の不備を非難したものだったが次第に… アジトでキスをしたメンバーの男女に対し、 「キスするとは何事だ、総括!」
警官役との模擬戦闘でぶちのめされたメンバーに対し、 「撃退できないとは何事だ、総括!」
銭湯に行ったメンバーに対し、 「自分だけ風呂に入るとは何事だ、総括!」
総括対象者に侮辱された事を根に持っていたメンバーに対し、 「私怨で殴ったな?総括!」
ちり紙を取ってもらったメンバーに対し、 「他人に頼るな!総括‼︎」
若い女のメンバーに対し、 「髪をセットするとは革命戦士としての自覚はあるのか?総括!」
服を着替えたメンバーに対し、 「着替えたな?総括!」
「すいとん…」と呟いたメンバー(総括中)に対し、 「飯に執着するとは何事だ、総括!」
……など、クメール・ルージュ真っ青の難癖レベルにまで悪化していった。 総括対象者は度重なる暴力に加え、変な格好で縛られて寒い中放置されたりして衰弱死した。また、総括の最中に森から「死刑」宣告された者はアイスピックで滅多刺しにされて殺害された。
当初は顔を殴るだけだったが、「顔を殴っても腫れるだけで意味がない」として、腹を中心に殴打するようになったりもした。女性メンバーに対しては、「男に殴られても喜ぶだけ」との理由で女性メンバーが暴行を加えた。兄弟で参加していたメンバーは、弟に兄を殴らせた。
狂ってる。
総括中に死亡したメンバーは「敗北死」とされ、革命戦士のなり損ないと更に軽蔑された。 なお、この難癖リンチが始まる以前に組織を脱走したメンバー2名を殺害しており、「同志殺し」の一線は既に超えていた。
これには首謀者の1人永田洋子の健康状態も影響していた。永田はバセドウ病という甲状腺機能に異常をきたす難病に悩まされており、普段であれば投薬による症状がおさえられたものの逃亡生活のために薬を得ることができず、バセドウ病の症状である躁状態を悪化させ、猜疑心と嫉妬を余計に募らせることになっていった。
無論、バセドウ病は適切な治療を受ければこのような凶行に及ぶことはないし、この事件は永田がバセドウ病を患ったという事実だけにすべての責任があるわけではないことは記しておく必要がある。 不幸なことに、事件後暫く永田同じ病というだけで周囲から心ない中傷を受け、名誉を傷つけられ苦しんだ患者は少なくなかったという。
こんな中でも、厳寒の山奥で生き延びるためにメンバーは最低限の現実は見えていたようで手先が器用で大工仕事ができ、登山経験もあるメンバーを生かすなどしていた。
あさま山荘事件で逮捕されたメンバーの自供で発覚し、残虐な事件が全国に知らされるとともに成田闘争東峰十字路事件以降国民の間に芽生えた新左翼過激派に対する嫌悪感を決定的なものにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.31 01:36:23
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