カテゴリ:学生運動
当時の学生運動の記録を読んでいると、(内ゲバ)にのめりこんでいた学生たちの(独りよがり)(唯我独尊)が、よくわかる。断言できることは、彼らは(本当に勉強していなかった)ということだ。
(やられたら、やりかえす)・・・大言壮語しながら(革命ごっこ)を実践していただけのこと!!!! 本当に、情けないものだった。
重信房子の本や「僕って何?」に目を通すことがあったが、こういう本を読めば、僕の当時の生活の一部が、よくわかる・・・まさに、まさに、まさに・・・(革命ごっこ)、(学生の遊び)だったことがわかる。客観的に見たら・・・
そして、その中で、様々な葛藤を作り出す(内ゲバ)で、相手のセクトを(殲滅)することばかり考え、相手セクトによる襲撃(テロ)を恐れ、隠れまわる人間が、(革命の勉強)が、できるわけがない。
そんな集団が、烏合の衆の如く集まっても、機動隊に勝てるわけもないし、(革命)なんて言葉を使うのも恥ずかしい・・・・
今でも、当時の情景を思い出すことがある。大学のキャンパスで、大きなボリュームで、芝生で休んでいる学友たちに、恥ずかしげも無く、マイクアジテーションを何度も繰り返した(活動家)の一人が、僕だった。今でこそ、軽はずみな行動だったと確信できるが・・・まだ(大人なりたての未成熟な僕たち)には、「革命ごっこ」は、荷が重すぎた・・・その結果が、あの凄惨な(内ゲバ)だった。
当時の運動していた学生たちは、恥ずかしがらずに、言いたいことを発信するべきではないか?? 沈黙は、金では無い。 (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「総括」と「あさま山荘事件」 ピクシブ百科事典
https://dic.pixiv.net/a/%E7%B7%8F%E6%8B%AC
連合赤軍が起こした山岳ベース事件での同志に対するリンチ殺害のこと。ただし連合赤軍内ではこの総括を共産主義化と呼んでいた。 左翼団体は何も考えずに闘争を繰り広げていたわけではなく、取り組んでいた闘争が一段落した段階で闘争の成果や反省点について明らかにし、次の闘争に向けての問題点等を洗い出していた。
ところが連合赤軍で総括は「真の革命戦士となるために反省を促す」と称して行なわれたリンチ殺人を意味することになった。
元々連合赤軍は武闘派路線であった赤軍派と京浜安保共闘が連合して成立した組織であり、思想・体質に様々な相違点があった。しかしこれでは赤軍の目的を達せないと判断したのか、中枢部メンバーと異なる思想を持つ構成員に対し激しいリンチなどが行われた。
赤軍内で総括は「革命戦士に成長させるための試練」という名目で行っていたが、実際にこの試練を乗り越えて革命戦士として成長した者は居らず、結局は凄惨な連続殺人へと突き進み、組織にいた30名弱いたメンバー中12名を殺害し組織の弱体化を自らの手で招いた。自分で自分の首を絞めたいい例である。なお山岳ベース事件の残党5名が起こしたのがかの有名なあさま山荘事件である。
あさま山荘事件 ピクシブ百科事典 1972年2月19日から2月28日にかけて起きた籠城事件 https://dic.pixiv.net/a/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6
概要 ・・・・連合赤軍のメンバーである坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久が河合楽器の「浅間山荘」(正式には河合楽器健康保険組合の所有する「軽井沢保養所浅間山荘」)に当時31歳の山荘管理人の妻を人質に立てこもった事件。 山荘を包囲した警視庁と長野県警の機動隊が人質を救出しようとするが難航し、民間人1名と機動隊員2名の合計3名の死者を出し、報道関係者1名と機動隊員26名が重軽傷を負った。事件発生から10日目の2月28日に部隊が強行突入して人質を救出。犯人5名を全員逮捕した。
冬の軽井沢という酷寒の地で繰り広げられる警察と犯人グループの攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで中継され、現在も当時の映像を見ることが出来る。
事件解決後、逮捕されたメンバーの供述から連合赤軍内部の凄惨な同志粛清が発覚し、前年に成田で発生した機動隊員惨殺によって国民間に芽生えた新左翼への嫌悪を決定的なものにし、すでに下火になっていた学生運動に対する目が一気に冷たくなり、新左翼への世間の風当たりも厳しくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.01 00:00:14
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