カテゴリ:社会主義
ソ連赤軍の大量の悪質な強 姦行為は、当時から知られていたが、社会主義神話、共産主義神話を信奉してきたリベラルたちには、確かに都合が悪かったので、見て見ぬふりをするしかなかった。 こういういい加減な態度が、(節操がない)ということだ。(人権)を叫びながら、中国や北朝鮮の(人権侵害)は、スルーするという2枚舌の事だ。 あの日本赤軍や、連合赤軍の「革命ごっこ」を、懐かしく思い出す。身内同士で殺し合いをやったということで、とやかく言われているが、このソ連赤軍の蛮行は、比べ物にならないほど、すさまじいスケールだ。
都合の悪い事柄は、全て(見ざる)(聞かざる)(言わざる)の(3猿)で、スルーするのは、もう止めようではないか!!! 日ソ不可侵条約を破って、満州に進軍したソ連赤軍も、同じように、満蒙開拓民の婦女子を強 姦したことは、良く知られている。これも、リベラルたちにとっては、都合の悪い事柄だった。
彼らが、(人権)を盾に、ソ連の蛮行に、抗議の声を上げたことは、これまでに、僕は聞いたことが無い。 理論的には、(地上の楽園)では、最も(人権)が保障されて、自由で平和な楽土になるべきはずの実態が・・・これだった。 犠牲になった彼女たちは・・・運が悪かったのか。 不幸な時代に生まれ育ったというだけのことで・・・なんという歴史の残酷さよ・・・
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― Quoraダイジェストから・・・・
第二次世界大戦終結後、ベルリンで何が起きたのですか? 佐々木 健太さん(翻訳者 · 2020年5月16日)
レイプ。兵器化されたレイプ。聖書の大災害に匹敵するレイプ。 ソビエト赤軍によるドイツ女性への集団レイプ。 予期していた最悪の事態が現実となった。
「来いよ!ご婦人!」 彼らは8歳から80歳までのドイツ女性をレイプした
2つの主要な病院で確認されたレイプ被害者は、9万5千~13万人。 ある医者の推計では、10万人が強 姦され、1万人が死亡した。ほとんどが自殺だ。
少なくとも200万人のドイツ女性がレイプされ、複数回、強 姦された者も少なからずいた。
赤軍兵士はドイツ人女性を人間とは見なしていない。 劇作家ザハール・アグラネンコは、東プロイセンで海兵隊将校として勤務していた時、日記に書いている。 一度に9人、10人、12人の男たちが集団レイプを行った。
作家ヴァシリー・グロスマンは、侵攻中の赤軍に従軍記者として随行して、 レイプ被害者はドイツ女性だけでないことを知った。 ポーランド女性も犠牲になった。 強制労働のため、国防軍に送り返されたロシア、ベラルーシ、ウクライナの若い女性も。 自国の兵士にレイプされたと訴えるソビエト女性が沢山いた。 彼はそう記している。
赤軍兵士は、例えば1944年のベオグラード解放後のように、同盟国の女性もレイプしていた。 モスクワのユーゴスラビア政府代表で、チトー元帥の副官ミロバン・ジラスがスターリンにこのことを訴えると、スターリンは次のように言い放った。
人々は理解すべきだ。血と炎と死を越えて何千キロも渡ってきた兵士が、女性と楽しんだり、些細なことをしても。
ジラスは著書『スターリンとの会話』で次のように記している。
市民の苦情によると、強 姦事件は121件、そのうち強 姦殺人は111件、略奪暴行事件は1204件。赤軍がユーゴスラビアの北東部を通過しただけでこれだ。 些細な数字ではない。
ユーゴスラビアの指導者が、これらの事件を重大な政治問題と見なしていた理由がお分かりだろう。 共産主義者もまた、道徳的に問題があると考えていたのだ。 これが理想的な赤軍の姿だろうか?
ソ連の作家でジャーナリストのイリヤ・エーレンブルクは、世論を煽ったことで多くの非難を浴びた。 1942年、レッドスター紙の”殺せ”という見出しの記事で、彼は次のように述べている。 ドイツ人は人間ではない……ドイツ人の死骸ほど愉快なものはない ドイツ女にはひとつの感情しか湧かない:嫌悪感。 ドイツ女はその性質からして唾棄すべきものだ ー 死刑執行人の母親、妻、妹。 ドイツ女が息子や夫や兄に書いた手紙を読むと吐き気がする。 「恋人に毛皮のコートを送ってあげなさい」 ドイツ女の本性を軽蔑する:盗っ人の売春婦
上の文章は、彼の著書『ヴォイニャ(戦争)』(モスクワ 1942-43年) に書かれている。 それでも、パンドラの箱を開けたエーレンブルクは、考えを改めたようだ。
東プロイセンでの戦争犯罪や集団強 姦が、1945年になってモスクワで知られるようになると、エーレンブルクは戦線へと発った。 帰国後、彼はフルンゼ陸軍士官学校で講演し、兵士がモラルに欠けていたことや、強 姦魔や略奪者に厳しい措置がとられなかったことで、赤軍将校を批判した。
いずれにせよ、エーレンブルクは国の汚点とされ、1945年4月14日のプラウダ紙でゲオルギー・アレクサンドロフに批判された(”同志エーレンブルクは単純化しすぎている”)[1]
翌日、彼がスターリンに宛てた手紙では、ドイツ国民全体ではなく、侵略者だけを一掃することを意図したと弁明している。
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最終更新日
2021.06.23 00:00:12
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