カテゴリ:中国
おぞましい現実(全体主義)から何を学ぶか? (はんぺん) 証言者のミフリグル・トゥルソンさんの勇気ある証言によって、この本が生まれた。著者の清水ともみさんが、このことをツイッターに投稿したところ、多く拡散のおかげで、世界各国のニュース番組で報道され、新聞にも載り、外国語への翻訳も・・・
全体主義、共産主義体制の本質が、世界中の民衆に知らしめ、彼らのおぞましい蛮行を糾弾する日が来なければ・・・地球の未来は、絶望的だと思える。
(人権)をお題目のように叫びながら、現実の人権弾圧に、声を挙げることなく、見て見ぬふりを決め込む、ニセリベラルの事をいつも思う。
全体主義の独裁体制の恐ろしさに気づかなければ、どんな(良心的運動)も意味が無い・・・最後は、強権によって絡みとられてしまうのだから・・・
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――― 本の紹介 「私の身に起きたこと~とあるウイグル人女性の証言」(清水ともみ著・季節社)
私は29歳、ウイグル人です・・・
5年前、エジプトで結婚し、三つ子を授かり幸せでした。
2015年、祖父母に孫の顔を見せ子育てを手伝ってもらうため ウルムチの空港に到着した時、当局に拘束されました。
生後45日の赤ん坊も 連れていかれました。 犯罪を犯した覚えなど もちろんありません。
執拗な尋問、電気棒などで拷問を受け続け ある日、子どもが病気だからと釈放され、 ガラス越しに会うことができたものの・・・
翌日、息子の亡骸を渡されました。 3人の中で、1番大きく産まれ、1番元気だった男の子でした。
何故か、3人とも首の右側に手術の跡があり、聞くと栄養を摂るため チューブを入れたとか・・・詳しくはよく教えてくれませんでした。
実家に戻り働いていたら 当局から電話があり 「出頭しなければ、おまえを指名手配する」
仕方なく出向くと、また拘束されました。 「なぜ外国へ行った!? 」 「外国で誰と会ったかを言え!?」
三日三晩、寝ることも許されず尋問され 10数人の警官から 暴力を振るわれ続け・・・拷問がつらくて、つい ・・・神よ・・・と言ってしまいました。
すると「お前の神が我々より強いのなら、今のこのおまえを救ってみろ!」 「もう、私を殺して・・・」 「そう簡単に死なせるわけにはいかない」
私は どうすれば自殺できるのか、考え続けました。 ずっと見張られていて 方法が無かった。
部屋は24時間 電気がついていて 四隅に監視カメラがありました。 そこに50人以上が入れられ、寝る場所もないほどなので、 2時間おきに、交代で横になっていました。
昼間は、皆で、当局の首席(注・習近平)の長生きを祈り、 共産党体制を賛美する歌を歌いました。
毎日 人によって種類の違う正体不明の薬を飲まされ、注射を打たれました。 注射をした後は、赤く腫れて、1週間ぐらいは身体がとてもだるく、 記憶が断片的になっていきました。
部屋からは、常に数人が呼び出され いなくなり、また新たに補充されます。 隣の部屋からは、悲鳴、殴られる音、足から引っ張り出され引きずる音が聞こえていました。
2か月 出血が続き、亡くなった女性もいました。 私は、気づいたら精神病院にいて、実家に帰ることができましたが、
当局の職員が2名、ぴったりと着いてきて自宅に寝泊まりし、 私たちの出す食事を食べて、外出する時も常についてきました。
だから本当の事は、なにひとつ両親にすら伝えられなかったのです。
まもなく3度目の逮捕をされました。 今度は、オレンジの服を着せられ、「おまえは無期懲役か死刑だから覚悟しておけ」
警官から「もうおまえは死ぬのだから、旦那と子供にメッセージを残せ」「届けてやるから旦那と子供の住所を教えろ」と言われました。
ところが、子供たちの国籍がエジプトだったので、エジプト政府から、 なぜ子供が親と一緒にいないのかと、問い合わせされ、 私は、子供をエジプトまで送り届けることが許されました。
しかし当局は、私の親族26人を拘束して、こう言いました。 「2か月以内に戻ってこい、そしたら親族を解放してやる」
「この3年間、どうして私は、こんな酷い目にあったのか。理由は何ですか?」 「それは、おまえがウイグル人だからだ。」
エジプトに着いたら、夫が行方不明になっていました。 夫は私がいなくなったので、探しに帰って、同じように空港で拘束され、 懲役16年の刑になったと 人づてに聞きました。
当局は、エジプト(に着いた私に)何度も電話をかけてきて 「あなたのことは拘束しません。キャリアに見合った仕事も与えますから帰って来なさい」
親族とは、縁を切りました・・・・
エジプトでも嫌がらせに合い、そのうち、エジプトでもウイグル人の 強制送還がされるようになったので、私はアメリカに助けを求めました。
アメリカは「あなたたちのことは、アメリカが守る」と言ってくれ、 とてもよくしてくれました。 おかげで、今はアメリカで暮らすことが出来ています。
でも・・・・ アメリカにいても、夜中にインターホンを鳴らされたり、チャイニーズに車で追いかけられたり、スーパーで尾行されたり・・・
アメリカでも3度、引っ越しせざるを得ませんでした。 病院で診察を受けた時、「あなたは、90パーセント子供の産めない身体になっています」と言われました。
収容所で飲まされた薬や注射は、妊娠しないための薬だったようです。 何をしても、もう死んだ息子は、生き返りません・・・
だから、私は、証言します・・・ 私の名は、ミフリグル・トゥルソン・・・
お願いします。 どうか、私たちウイグル人について、知ってください。 そして、この話を、あなたの周りの誰かに伝えてくださいませんか・・・・
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最終更新日
2021.09.26 16:21:10
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