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静岡東部行(11/2~16)に向けて考える・・・体力的には、長期は、そろそろ限界かも・・・ 2021-11-1 (はんぺん)
中学2年の修学旅行は、24クラスを大きく2班に分けて(12クラスづつ)、実施された。コースは、真逆コース・・・一度に24台のバスを停めるⓅなど、当時は、あり得なかったんだろう。第一、1,200名もの生徒たちをいちどきに集合させること自体、大変なことだった。東京で1泊、箱根の大涌谷でも1泊の日程だった。
結婚後は、伊豆方面に、パック旅行に行ったり、このブログを始めるずっと前の2007年には、自分たちの車で2泊3日で出かけているが・・・まだ、今よりも元気だった時期だ。(それとは別に、富士山⦅弾丸登山⦆の山のパックツアーで、登頂したことはある。)
2007年の、その時の日記は、以下の通り・・・・ ************************************* (2007年)9/11(火)ワイフと富士・伊良湖2泊3日の小旅行。 1:30ごろ起きる。出発の用意。2:00車で出発。藤井寺インターから西名阪道に入る。名阪国道経由、3:35~3:55東名阪道の御在所SAで休憩。5:00~5:35浜名湖SAで、軽食。伊勢湾岸道経由、6:25日本坂SA、6:35静岡インターから一般道に下りて給油。6:50~7:45ロイヤルホストでモーニング休憩。また、静岡インターから東名高速に入る。8:15~8:55富士川SA。10:05~10:50新五合目着(コーヒータイム)。11:55道の駅・朝霧高原。12:25~13:05富岳風穴見学。13:10~13:35鳴沢氷穴見学。13:40~西湖こうもり穴見学。14:15~15:10青木が原樹海ネイチャーガイドツアー。西湖一周ドライブ。16:15~16:50音止の滝・白糸の滝見学。17:00休暇村・富士到着。夕食。風呂。 走行距離、545㎞。 ************************************* 2007年と言えば、僕が57歳の時だ。まだ若かったので、深夜の1:30に起きて、2:00の出発も可能だった。体力・気力もまだ今よりは、あったようだ。富士山の五合目に着いたが、山頂は、深い霧で、視界ゼロだった。その後、あちこち見学したりして、休暇村にチェックイン。一日の走行距離 545㎞は、相当なものだった。今では、とても無理。
それと、2007年当時と今とでは、大きく異なるのは、体の劣化、とりわけ糖尿性網膜症による、視力の低下だ。これは、きつい・・・と思っている。(体力的に・・・限界かも)というのは、そのことが大きい・・・
コロナ禍の中で、残された時間の少ない我々団塊の世代・・・今回も、7月ころから少しづつ準備を始めたが、全国的な感染者数が爆発的に増加する中で、(予定は、未定)という感じだった。
10月になって、急速に感染者数が減少する中で、GOサインの見通しがついたというわけだ。
さすがに、自家用車での往復行は、年齢的にも、きついことはわかっていたので、熱海まで新幹線利用。熱海駅からレンタカーで周遊し、三島駅から、また新幹線で帰阪・・・という計画だ。
九州や山口などは、フェリーと自家用車、北海道は航空機とレンタカーという交通手段を使ったが、個人旅行での新幹線利用は、今回が、初めてだ。 しかも、復路の新幹線乗車前に、スーツケース2ヶは、ヤマト宅急便で送り返すことにした。出来るだけ、重いスーツケースから解放されるために。
自分の車で出かけるときは、いろんな(余分な)モノも積んでいけるのだが、スーツケースとリュックで、レンタカーまで移動する場合、持っていける荷物量は限定されるので・・・悩ましい・・・!!!
個人旅行は、何から何まで、全ての準備が僕の手にかかってくるので、相当な負担となる。(船頭は、独りでなければ、船は前に進まない!) いつもそうだが、出発の1ヵ月前ぐらいからは、気が狂いそうになる・・・
とにもかくにも、出発の準備は、なんとか整った・・・あとは、天候に期待するのみだが、こればかりは、運を天に任せるしかない。旅の印象は、天候に大きく左右されるのが、現実だから・・・どうなるか??? (はんぺん)
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最終更新日
2021.11.26 02:51:38
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