カテゴリ:北朝鮮
戦後の日本リベラルの凋落の原因は、何だったのか? 2021-11-21 (はんぺん) 「北朝鮮が拉致するハズは無い」と、独裁国家をかばい続けた元社民党党首の土井たか子氏も、さすがに小泉訪朝(2002年)という現実の前には、ぐうの音も出なかった。トップのキムジョンイル(金正日)自身が、拉致を認めたのだから・・・何の言い訳もできない・・・・
社会主義崇拝の結果から、おびただしい数の北朝鮮の人権事案についても、見て見ぬ振りを続けてきた彼らは、いまや日本政治の中では、風前の灯と成り果てている。
戦後の日本リベラルの凋落の原因は、何だったのか? 長い間、チンケな自身の脳みそを絞って考えてきた。正しいと思って実行してきたことが、本当に正しかったのか?? という事だ。
そして、たどり着いたのが、(予断と偏見で物事を解釈してきた・・・その稚拙さ)だった。盛んに(科学的)という言葉が乱用された。(科学的社会主義)自体が(科学的)では、無かった・・・ということに行き着いた。
(言葉の遊び)に堕していたのだ。 そうあってほしい・・・という希望、願望で、社会主義を理解してきたがゆえに、現実から遠く離れた(革命的理論)に酔いしれていたのだ。
資本主義(国独資)は、社会主義に席を譲ることになっていた(願望)がゆえに、全ての内外分析は、革命志向の彼らに都合の良いモノに組み立てられていた。
ベトナム戦争で莫大な戦費を投入したアメリカ帝国主義は、財政破綻し、基軸通貨のドル体制は崩壊するだろう・・・そう教えられてきた・・・が、そうは、成らなかった。
最も象徴的なものは「窮乏化革命論」だ。向坂逸郎の指導の下にあった社会主義協会や新社会党のグループは、なんとかして、「論」の根拠を説明しようとして四苦八苦していたが・・・窮乏化は説明できても、革命への道筋は示すことができなかったし・・・まさか、今日のようなリベラル派の転落を想像すらできなかっただろう。
古希を過ぎた今、(人生総括)に挑戦し続けているが、日々、勉強することが多くて、忙しい毎日だ。(人生、一生勉強)の心意気でやってきた。 何回も言ってきたが、かって(学生運動)や(革命運動)に首を突っ込んだ皆さん方には、ぜひ、きちんとした総括を行ってほしいと思う。自身の人生には、誠実で、有り続けてほしい・・・と、思う次第だ。
以下の記事について、独裁国家=北朝鮮の真実(北朝鮮で徹底的な監視と差別を受ける在日朝鮮人帰国者)は、人間としてあってはならない・・・許されない人権蹂躙の社会だが、彼らの蛮行を見逃してきた新社会党や社民党などのリベラルグループの(総括)を期待する。
あなたたちの主張と現実が、いかに乖離しているか! (事実は、小説よりも奇なり)とは言うが、あなたたちの願望と、あまりにもかけ離れていることに、いつ気づくのだろう???
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 金正恩の生母が在日朝鮮人だと明かせない北朝鮮の悩ましい事情-北朝鮮で徹底的な監視と差別を受ける在日朝鮮人帰国者の悲哀 2021.11.16 郭 文完 JB Press 「地上の楽園」というプロパガンダによって、10万人近い在日朝鮮人・韓国人や日本人妻が北朝鮮に渡ったが、北朝鮮では徹底的な監視と差別の中での生活を強いられた。
北朝鮮には、日本から北朝鮮に帰国した人々に対する徹底した管理監視制度がある。在日帰国者とは、戦後、実施された在日朝鮮人の帰還事業で日本から北朝鮮に帰国した人たちを指しており、国家保衛省・国家安全保衛部内部で「22号対象」と呼ばれている。北朝鮮送還事業が始まった1959年から続いている管理監視制度とはどのようなものなのだろうか。
在日朝鮮人が北朝鮮に帰国する送還事業は1959年に始まった。1955年2月、北朝鮮は朝鮮戦争後の労働力不足を解消するため、在日朝鮮人の帰還事業を推進し、帰国後の生活について責任を負うと宣言した。
1958年、日本の社会党(当時)と共産党に自民党議員も加わり、「在日朝鮮人帰国協力会」が結成され、翌59年8月13日、インド・カルカッタ(現コルカタ)で、「日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間における在日朝鮮人の帰還に関する協定(カルカッタ協定)」が結ばれた。
1959年12月14日、在日朝鮮人975人が新潟港を出港したのを皮切りに、在日本朝鮮人連合会(朝鮮総連)系の在日同胞の送還事業が進められた。1962年11月12日までの間に7万7288人の在日朝鮮人や日本人妻たちが北朝鮮に渡っている。その多くは、工事現場の労働者、日雇い労働者、商工業従事者、学生などで、帰国者を輸送した「万景峰号」は帰還事業の代名詞になった。
その後、日朝両国は協定の延長に合意したが、送還された人々の悲惨な生活と管理監視制度が知られるようになると帰国者が激減し、日韓国交正常化後の中断を経て、1984年、帰還事業は完全に終了した。計186回行われた送還事業で帰国したのは9万3339人に上る。
北朝鮮のゲシュタポ「国家安全保衛部」による監視制度の一部始終 在日朝鮮人の送還事業が始まると、北朝鮮政府は国家安全保衛部による管理監視制度を体系化した。 まずは住居地の管理監視制度だ。在日帰国者たちは、居住するマンションや村で監視下に置かれている。
主に人民班長や隣家が在日帰国者を監視する役割を果たしている。 帰国者がどのような生活をしているか、北朝鮮の社会制度に対する不満を口にしていないか、誰が在日帰国者の家に出入りしているかなど、監視の範囲や領域に制限はない。
国家安全保衛部が在日帰国者の一挙手一投足を監視する理由は、資本主義社会を経験した彼らが不平不満を表に出し、北朝鮮住民に影響を及ぼすという懸念だ。
事実、帰国者は日本の親戚から送金された日本円や日本製品を日常的に使用しており、北朝鮮住民の資本主義に対する関心に、少なからぬ影響を与えている。平壌の最高級マンションを真っ先に購入したのは帰国者で、ドルなどの外貨で商品を買う「外貨商店」も帰国者たちが持ち込んだものだ。
北朝鮮住民は在日帰国者を「ジャッキ」と呼んでいる。「在日帰国同胞の子」を意味する略語で、帰国者は北朝鮮住民の羨望の対象であると同時に、嫉妬の対象にもなっている。
平壌に住んでいたある在日帰国者は、休み期間に、子供が友達と一緒にスマホでAVビデオを見ていたという告発を隣家から受けて地方に追放された。
帰国者の管理監視は職場でも行われている。何時に出勤して誰と何を話しているのか、誰と親しく誰と関係が深いのか、北朝鮮社会に対する不満や不平を話していないか、日本から北朝鮮に帰国したことを後悔する言葉を発していないかなど、国家安全保衛部と党組織や行政組織が監視している。
国家安全保衛部は、職場で在日帰国者と親しい人を利用しているが、管理監視制度をよく知っている帰国者が職場で本音を漏らすことは絶対ない。
貿易会社に勤めていたある在日帰国者は、日頃から経済的な支援(賄賂)を受けていた担当保衛員から、同じ貿易会社のA氏に気をつけろと言われて唖然とした。A氏が同じ職場の在日帰国者と会話した内容をまとめた文書を担当保衛員から見せられたのだ。帰国者から支援を受けていた担当保衛員が、組織を移る際に行った忠告だった。
在日帰国者が北朝鮮で直面している差別 帰国者たちには深刻な差別がある。北朝鮮の住民も、言葉では差別なく接していると言うが、実際は違っている。
第1の差別は政界進出だ。北朝鮮政府が帰国者の一部を日本の国会議員に相当する最高人民会議の代議員に選出したことはある。ただ、そもそも最高人民会議の代議員に権限はなく、最高指導部が決める法律や政策に賛成票を投じるだけだ。
北朝鮮では憲法上、最高人民会議が最高議決機関とされているが、実際は代議員より党機関や国家安全保衛機関、司法検察機関の力が強い。在日帰国者が党や国家保衛省、人民保安省、司法検察機関に入ることは絶対にできない。
北朝鮮の政界を牛耳る国家権力機関は、在日帰国者を徹底的に排除している。在日帰国者が進出できるのは芸術や体育関連、科学技術といった非政治分野に限られる。在日帰国者で最も高い地位に就いたチャン・チョルも、文化担当副首相兼文化芸術部長だった。在日帰国者の政界進出は不可能といってよい。
第2の差別は婚姻だ。日本から北朝鮮に帰国した人々の子供は在日帰国者の子供同士で結婚することが大半で、北朝鮮住民と結婚する例は極めて珍しい。帰国者の生活や文化も関係するが、北朝鮮住民が持つ拒否感が大きい。帰国者と結婚すると、出世できないという根強い考えがあるのだ。これは、在日朝鮮人出身者が政界進出できない点に起因する。
もし北朝鮮住民の子供が在日朝鮮人出身と結婚したいと言えば、親は「その家は裕福なジャッキか。出世をあきらめるだけの見返りになる金銭を充分に使えるのか」と尋ねるほどだ。それほど在日帰国者出身の子供たちは婚姻でも悲しい差別を受けている。
このような根強い差別があるため、金正恩総書記の生母である高容姫氏が在日帰国者出身だと住民に明かすことができないでいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.11.28 21:03:40
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