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2022.01.06
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カテゴリ:学生運動

学生運動時代の思い出を、つらつらと・・・・(反省する勇気)は、今からでも遅くない? 遅すぎる? (6)      2022-1-6  (はんぺん)

僕の在籍した高校は、一応進学校だった。高校2年から3年にかけて、僕は、受験体制に反発して、高校生活の後半は、社研部の活動に精を出した。日韓条約の問題や韓国の民主化の問題を「世界」(岩波)で勉強したのが懐かしい。

 

高校3年の時に、政治啓発活動ということで、一人で模造紙に書いた(ベトナム反戦の壁新聞)を何度も、教室の後ろの壁に貼りだしたことがあった。とうとう生活指導の教師(もちろん反動教師だが)に呼び出された。・・・おそらく無許可でそういう宣伝まがいの事を勝手にしてもらっては困る・・・ということだったのか? おそらく、そういう(決まり、校則?)があったのだろう。

 

また、日教組・大教組傘下の大阪府高教(共産党系)の統一ストの時に、自分から率先して教壇の前に行き、クラスのみんなにストライキの意義や生徒たちの支持を訴えたこともある。クラス担任(共産党員)は、この時は、快く協力してくれた。

 

大学進学は、最も(学生運動が活発)で知られている大阪市大に決めた。

後で知ったのだが、関西の学生運動を仕切るには、京大のC(教養部)自治会と、大阪市大の全学自治会を取ること・・・だったらしい。

 

僕は、68年入学後の5月、中執選挙をダシにして、ある組織に(うまく)加盟させられて、組織員としての生活を始めていた。(正式加盟は、8月)

(青2才)を何のレクチャーも無しに(人生をかけた)運動に誘うなど、そもそも今から考えると間違っている。

 

人生そんなに甘くないのだから。

それを(洗脳)よろしく、集中的に、一方的に吹き込まれて、その気にさせる・・・今から思えば、これは宗教的勧誘と、どう違うのだろうか? と。

 

(革命闘争は、プチブル的な自己の弱さを乗り越えて、新たな高みを目指す困難な道程・・・で、そのために(自己否定)(自己改革)そして、既成の全ての否定からの(大学解体)・・・これって言葉の遊びだろうが・・・!!!

 

全共闘のメンバーの多くは、言葉の遊びに酔いしれていた・・・そして、意見の異なるグループに対しては、(反革命)と断定して(粉砕)(殲滅)と呼号し、問答無用の暴力事件で、破壊行動に至る。

内ゲバ戦争による100名以上のの死者と5千名以上の傷ついた若者たち。

それは、左翼運動への人々の決定的な不信を招くことになっていく・・・

 

僕の場合は入学後、選択肢があったにも拘わらず、充分な時間をかけることなく、考えられない選択(組織加入)に追い込まれたが、とにかく入学後の半年は、思いもかけない展開が待っていた。第一に、自治会からの(4.26教養部ストライキ提案)、第二に、(5月の自治会中執選挙)、第三に、(6.15御堂筋デモ)、第四に、(社学同による、6.28教養部バリケードストと、その後の学内への機動隊導入事件)だ。

 

夏休みまでに立て続けに問題が続き、新米の僕は、状況に振り回されっぱなし・・・だった。

 

10.8ショック)で、学生運動は大きな影響を受けたが、僕が加盟したDSLが、僕の入学前の3月に真っ二つに分裂したのも、間違いなく、その影響の故だった。

この時、分裂した(左派)は、その後、止めどもなく(左転落)を続け、あの三派全学連と同一歩調をとるまでに変質(堕落)していく。

 

僕が入学時に、集中的に各派からのオルグを受けたが、幾つかの柱、(70年闘争論争)(大学自治論争)(平和共存論争)など以外の 大きな柱の一つは、(街頭行動における戦術論争)だった。

 

角材投石を認めるのか拒否するのか・・・今から考えると、あまりにも大人げない幼稚な論争だが、4.26闘争、自治会選挙、6.15闘争などにおいて、激しく論争が続いたものだ。

 

6.15御堂筋デモの当日の僕の日記を紹介したい。デモから帰宅後の深夜に書き綴ったモノだ。(稚拙な表現、気負った未熟な文書で 何度読み返しても、言葉足らず、説明不足、で赤面する・・1968年6月15日、今から54年前の僕が18歳の時の日記だ・・・)

―――――――――――――――――――――――――――――――

6/15(土)昨日晩から、市大でプラカード作りで、忙しかった。共労党系(DSL)も、革新グループ会議系も、プラカードづくりは一切やっていない様子なので、我々DSL(声系)は、彼らがジグザグデモを想定しているのだと推察している。

 

今日のデモは多数の1回生が(おそらく初めて参加する学生も多いだろうが)参加するのであるから、その意味でできるだけ無事にすませてしまいたい。こちらのほうから意識的に機動隊と対決することを予測しているような共労党系や、革新グループ系の動きに、一抹の不安を覚えざるを得ない。

 

ジグザクデモは、我々DSLの方針としては、できるだけ避けたい気持ちだ。プラカードを持つことは、それを避け得る最大の方法であるし、そのためにも我々は、昨晩、(プラカードづくりに)頑張ったのである。

 

プラカード・ゼッケンデモの上に、その時の力関係に寄っては、フランスデモ、あるいは駆け足デモ、遅足デモといった戦術を臨機応変に駆使すべきであると考える。

 

京大の共労党系DSLなども、今日のデモ(全関西総決起)に参加するので、彼らが、我々市大の隊列を左右で挟んで、ジグル恐れも十分あり得るので、非常に不安だ。

 

それから、だいぶ前からわかっていたことだが、民青系全学連は、今回の6.15闘争には参加しない。これは、彼らのセクト的分裂行動の典型的なモノであり、このことは、一般学友から厳しい非難を受けることを意味する。

 

民青の諸君は、今回の6.15闘争について「5知識人アピール」の「意義」を全く理解せず、前面にまたしても「組織問題」を持ってきた。そしてそれを理由として今回の闘争をボイコットした。

彼らの良識は、いったいどうなっているのか。彼らの言うところの「組織問題」とは、言うまでもなく(府学連)(反戦青年委員会)(軍縮協)の3つである。

 

しかし「5知識人アピール」は、そういった組織問題を一切保留して、「課題の一致」に基づく「行動の統一」を実現しようと呼びかけており、このことは、今の学生戦線において、もっと広くみれば今の日本の民主主義運動において、最も緊急に要請されていることなのである。

 

社学同は、「大阪府学連再建準備会」(第3府学連)のほうに参加する予定である。最近特に激しくなってきた関西の潮流間運動。各潮流が、それぞれ「戦線統一」を口に出しながら、現実には ますます戦線は分裂の一途をたどるかのようにみえる。

 

(ニュース)

神戸大教養自治会選挙で、DSL躍進する・・・

  フロント(統社同系) 4(選挙前)→→→6(今回)

  DSL(声系)    0→→→5(今回)

  民青(共産党系)   11(選挙前)→→→3(今回)

  北京系トロ      0→→→1(今回)

(注:昨年11月、(統社同系)が、羽田闘争の総括をめぐって(とりわけ三派系の戦術批判をめぐって)、民青系に敗北し、神戸大教養部を中心とする神戸大全体、そして兵庫県学連の運動は極めて大きな困難に遭遇した。今回の結果は、まさにその障害を破り、運動を大衆的に発展させる大きな礎を築き得たことを示している=民主主義の旗)

 

当面の予定

・明日の日曜日。唯研がある予定。平和共存の問題について学習をやる予定である。317号教室。1時から5時にかけて

18日、H君(同じJICクラス)と音楽会に行く予定。森ノ宮厚生会館ホール。600から

19日、平和委員会シンポジウム。学生ホール2F大集会室、130より

19日、6月行大阪府民集会

21日、公判闘争委員会。公判は大阪地裁にて100~ JICから動員をかける

 

6月15日の御堂筋デモ。(スケジュール)は、次の予定

   1時 全市大学生総決起集会  211教室(~3時まで)

   3時 バス出発(市大→扇町公園)

   4時 全関西学生総決起集会(扇町公園にて)

   5時 デモ隊出発(扇町公園→大手前公園)

   5時30分 6月行動大阪実行委員会集会(大手前公園にて)

   6時30分 御堂筋デモ出発(大手前公園→→→ナンバ)

 

午前中、雨が降ったり止んだりの不安定な空模様。僕たちは、内心やきもきしていた。1時限目の授業はなかったので、僕たちはプラカードづくり。共労党系の統一会議(主流派)の諸君も、革新グループ会議の諸君も、プラカード・ゼッケンデモは一切言わなかった。共労党系(主流派)の諸君は、「フランスデモ」を立て看板に書いていた。

 

だいたいスケジュールどうりいったが、ただ大手前公園から御堂筋デモに出発する時、指導者間において、ちよっとした暴力事件が発生した。すなわちDSL(声系)とDSL(共労党系)の間において、市大の隊列をどうするのかということが原因であった。

 

僕は、その時、近くにいたので、すぐに仲裁に入っていったけれど、双方感情的な対立というものが強く感じられた。暴力をふるったのは圧倒的に共労党系(DSL)の人たちだったが、僕自身、仲裁に入って、蹴られた。殴られたのは、市大DSL(声系)のIGさん(文学部3回生)。阪自連、阪大DSL(声系)のSAさんも、小突き回されていた。

 

原因は、さっき言ったように、市大の隊列をどうするかという問題での意見の相違であり、市大DSL(声系)のFUさん(経済学部3回生)の言うところによれば、本町4丁目(交差点)において機動隊が阻止線をはっているのは、初めからわかっており、それに突入する部隊とプラカード・ゼッケンでフランスデモを敢行する部隊とを分けるべきである。

 

DSL(声系)は、多数の1回生を含めた市大のデモ隊を 機動隊の阻止戦に中央突破させるために(ぶつける)のには反対である。(ぶつかりたい)共労党系DSL及び革新グループ、フロント(統社同盟系)の諸君は、ぶつかっても構わないが、DSL(声系)の我々)にしてみれば、その突入には、そんなに大きな意義を認められない。むしろマイナス面が多いのではないかーーーそういう主張である。

 

それに対して共労党系DSLの諸君の主張は、市大の隊列はひとつにまとまって行動すべきであり、隊列を分断するなどということは犯罪的行為である。(YA元市大全学自治会委員長)。

 

客観的に僕が見た場合、共労党系DSL諸君及びフロント、革新グループの諸君は、突入するつもりだったのだが、隊列を分断(突入する隊列とプラカードでフランスデモを敢行する隊列)すると、どうしても(突入する隊列)を構成するデモ隊員の数は、一部活動家に限られてくるので、少数にならざるを得ない。

 

それでは、(突破)は不可能である。それで多数の1回生を含む市大の隊列をそのまま強引に(後で考えてみれば、非常に腹が立ってくるのだが)、(結局、多数派は、市大の隊列を=注)突入する隊列の中に押し入れてしまったーーーそういう感が強い。

 

非常にムード的なモノで、引っ張っていった感じだ。このあたりは、共労党系DSLの学生活動家諸君の無責任な態度に強い怒りを覚える。。

御堂筋デモより以前に行われた『ボス交渉』(DSL:声系のFUさん(経済学部3回生)、IMさん(法学部3回生)と DSL:共労党系のIFUさん、NAGさん)では、(突入部隊)と(プラカード部隊)とに分けるということが確認されていたという。

 

その点(革新Gは、ボス交渉はナンセンス。あるいは、その事実を否定している)について、かなり共労党系DSLのやり方には、大きな問題点がある。

DSL(声系)にしてみれば、だまされたという格好である。

 

そして、もっともショックを受けたのは、学生大衆、特に初めてデモに参加した多数の1回生ではないだろうか。本町4丁目の交差点での機動隊への突入では、1回生の間に多数の負傷者が続出した。

 

LIC(文学部1回生Cクラス)の一女子は、頭に三針も縫うケガをしたとも聞いている。JIC(法学部一回生Cクラス)の僕の友人も突入した時に、機動隊に頭を殴られたり足を蹴られたりしている。

これは、単に戦術の時点で云々する問題ではなく、指導者層の(姿勢)の問題ではないだろうか?

 

僕は何回も言ったように、活動家諸君の(無責任な態度)に非常に強い怒りを覚える。僕たちは、僕たちの友人をデモに参加するようにオルグをした時、はたしてこんな(突入)を想定していただろうか。DSL(声系)は、ビラに(プラカードゼッケンデモ)としていたし、DSL(共労党系)は、(フランスデモ)となっていた。

 

初めてデモに参加した人たちは、果たして最初から機動隊とぶつかることを予想しながらデモの隊列に加わったのだろうか。

彼らにしてみれば、結局(だまされた)格好になったわけであり、この一般学生大衆に対する重大な責任を DSL(共労党系)や革新Gの諸君は、いったいどうとるのだろう。

 

あもデモに参加した学生大衆のデモ指導者層に対する不信感は、非常に大きなものがあると僕は考える。

それは、「オレは、もうこれからは民青のデモにしか参加しない」という一般学生の声が、何よりも雄弁に語っているのではないだろうか。

 

4.26教養ストライキで、一般学生との遊離を招いた市大の学生運動は、中執選挙(5月)での構改派(DSLなど)の敗退となってあらわれた。そして、今回の6.15御堂筋デモが、又もや学友の不信感を増大させた。このことは、これからの市大の学生運動を考えていく際に、もっと真剣に反省されなければならないのではないか。

 

―――隊列を分断するか否かの問題についてーーー

あの時点においては、いろいろな条件(デモ隊列の中には多数の1回生がいたことなど)を考えた場合、機動隊と衝突する必要は無かった・・・・そういうところのDSL(声系)の考え方に僕としては、原則的に賛成である。

 

緩行車道から機動隊の後方に回って、また中央車道に出て、果敢にフランスデモを展開した阪大をはじめとする大阪府学連の隊列と労働者の隊列は、その点、賢明であったと考える。なぜ、ぶつかる必要があったか。

 

「我々は、中央車道を堂々と行進する権利がある」というMM君(革新グループ?)の主張は正しい。しかしそれは、あの時点において、中央突破を敢行しなければならないという主張を肯定しない。

 

DSLが分裂したのは、僕が入学する少し前の3月。分裂直前から直後にかけては、かなり暴力事件もあったらしいが、僕が入学してからは、少なくても僕の目には、そんなにはっきりとはうつらなかった。しかし、お互いの心の中には、感情的なものも、まだだいぶあるようだ。

 

僕は一貫して暴力には反対している。それで、自分の方からは手を出さないDSL(声系)の姿勢に、かなり好感を持っている。

 

僕自身、僕がオルグした友人に対して、6.15が結果的に、ああいう形(DSL(共労党系)並びに革新グループの諸君にだまされた格好になった)になったということに関して非常に申し分けないと思っている。

 

僕の 僕の友人に対する責任を考えると つくづく悲しくなってくる。それは、もはや法学部1回生の僕、一個人では、どうにも解決しようのない問題であるから。

街頭デモ終了後、帰宅。11時頃だったか。

―――――――――――――――――――――――――――

6/15の日記は、デモから帰宅後、一気に書いたことは、間違いない。よほど、腹が立っていたので、「記録に残しておこう・・・」また、「自分の考えを整理しておこう・・・」という気持ちだったのだろう。(僕の日記は、気まぐれで、12行の時もあれば、長文になる時もあった。)

 

当時の状況・・・アメリカ帝国主義によるベトナム侵略の中で、多くの無辜のベトナム民衆が殺され続けていた。ナパーム弾で焼き尽くされ逃げまどう民衆の映像が、何度もテレビで流されていたし、日本全国で、ベトナム特需で潤う日本企業の在り方にも、疑問符が付きつけられていた時代背景があった。(大阪では、豊中の『新明和工業』という会社が、米軍戦車の修理を行っているというので、その後、何度も豊中の現地闘争、抗議デモに、僕たちは出向いたモノだ。)

 

当時、ベトナム戦争に対する日本政府の加担を認めるのか?という、リベラルの側からの強烈な抗議が、全国的な反戦運動に繋がり、大きな街頭デモが繰り返されていた中で、70年安保と結合された(6.15御堂筋デモ)があった。

 

10.8ショック)に幻惑された学生セクトは、一斉に(左転換)にかじを切っていくDSL(共労党系)やフロント、革新グループも、ビラの論調からも、目に見える戦術(行動様式)からも、ありありと見てとれるもので、このつるべ落としの如くの転落は、まさに(青2才)の運動そのものであった。

 

(青2才)の目指す社会変革というのは、この程度のモノであったが、それが、(赤信号、みんなで渡れば怖くない・・・)というわけで、地獄への道をまっしぐらに突き進むことになる。

 

DSL(共労党系)は、しばらくして、プロ学同(プロレタリア学生同盟)に名称変更して、中核やブント(社学同)などのトロツキストと共闘!?して、(左転換)を完結させ、東大や京大、市大の時計台闘争に立てこもるまでに、堕落していった。

 

入学時、僕をオルグしたDSL(共労党系)の中の比較的良識派(?)のKRさん(法3回生)、ISさん(2回生)などは、その左転換について行けず、次第に(脱落)していくことになる。

 

僕の入学の1か月前に分裂したDSLだったが、その当時、DSL(共労党系)に走った活動家の中でも、アホ以外の良心派は(元に戻ることは出来ないので)静かに距離を置くしか方法は無く、知らぬ顔して一般社会に潜り込んでいったのだろうと推察する。

彼らにも、きちんとした(総括)をしてもらいたい・・と僕は切に思う次第だ。

 

そう、あの山崎博昭の大手前高校の同期生や先輩たちが、京大、立命、同志社の中核派の路線について行けず、67年羽田事件の後、わずか12年で、組織(中核派)を離れたのと同じように・・・なんの自己批判も、総括もせず、運動から離脱したのが思い出される。

 

「あの時点においては、いろいろな条件(デモ隊列の中には多数の1回生がいたことなど)を考えた場合、機動隊と衝突する必要は無かった」と僕は日記に書いているが、もし(突破)できたとしたら、彼ら(突破派)は、そのあとどうしたのだろうか? どうするつもりだったのだろうか? と僕は、考える。

 

トロツキストたちの無責任極まる(一点突破全面展開)戦術と、いったいどう違うのだろうか? おそらく機動隊のジュラルミン盾の壁を実力で突破できても、前に障害物が無くなれば、ジグルわけにはいかないだろうから、一気にフランスデモにならざるを得ない。そして次の交差点で待ち構える機動隊の阻止線に、またぶつかると、また隊列を組みなおして、機動隊にぶつかっていくことになり・・・これが、どういう展望をもたらすのだろうか???

 

見通しの無い(見えない)戦術での、参加者(引き回し)は、トロツキスト(三派全学連)のお家芸だったが、その行き着く先が、連合赤軍の(あさま山荘事件)(山岳アジト事件)だったのだ。






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最終更新日  2022.05.31 15:55:37
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