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2022.01.13
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カテゴリ:学生運動

学生運動時代の思い出を、つらつらと・・・・(反省する勇気)は、今からでも遅くない? 遅すぎる? 8)      2022-1-13   (はんぺん)

中執選挙の結果、少数分立となり、何事も決定できなくなる。機能を喪失した中執の代わりに、次の決定機関、代議員会があり、各派が代議員選挙に突入していくが、実際のところ、この代議員会も、開催されたことはあったが、セクトの怒鳴り合いばかりで、何も決定できなかった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――

(以下、1968年、今から53年前の僕の稚拙な日記から)

6/18(火) 

起床3時ごろ。昨日、早く寝たので早く目が覚めた。それで15日の分から、この日記を書き続けている。

今日、第3時限目、英語の時間、代議員選挙がある。僕も立候補するが不安だ。

(定数)2人ともは、民青にはやりたくない。

代議員選挙は、3時間目の英語の時間に行われた。代議員2人は、結局、僕とHRの2人に決まった。HR君(民青)29票、僕26票、YA(民青)14票。HR,YAの2人は民青である。引き続いて行われた学部委員選挙(定数3人)では、意外だったのだが、革新グループ系のMM、MT、そしてシンパのMKの3人が、入った。立候補者6人で争ったこの学部委員選挙。僕は、悪くいくと3人とも民青、もしこちら側(構改派)が、一人でも入れば、文句ないと思っていたのに。MM、MT,MKのほか、民青からはFM,YG,YMの計6人のうち、YGは、絶対入ると思った。直前行われた代議員選挙で落ちたこともあり、同情票もかなり集まると思った。それにしても意外だった。

 

放課後、YMMさんとHT君の3人で、「大阪4大学交歓演奏会」に行った。阪大の男声合唱、大阪市大・大阪府大・大阪外大のグリークラブとが、きれいな合唱をやった。森ノ宮厚生会館ホール。600800.帰ったのは、10時近く。

 

(中略)

 

6/26(水)

この間、社学同(ブント)が、6.28ASPAC粉砕の私設ストライキ投票を実施する中、JICクラスでは、16名の署名の下、「クラス有志アピール」を出す。「私設スト投票反対、自治会の民主主義を守れ・学園からの一切の暴力の排除・中執はその機能を早期回復せよ」というもので、いうまでもなく(社学同)の6.28教養ストライキに対する僕たちの意思表明。家に帰ってガリ切り。

 

6月28日(金)

社学同、教養正門にバリケードを築く。工学部階段教室前で「不法スト」抗議集会を開く。市大学友300名が、抗議集会に参加する。社学同のストライキに参加した市大生は、20数名にすぎなかった。

 

中執選において、彼らブントを支持した学友の多かったこと、又、今回のスト投票におけるブント支持者のかなりあったことを考えれば、それらの学友の無責任さに激しい怒りを覚える。

 

社学同は、大阪府学連再建準備委員会として、市大で総決起集会を開いて学内デモ。後で聞いたところによれば、京都府学連(社学同系)もバスで、市大に集結。それから御堂筋で、ものすごいことをやった。翌朝の新聞を見て驚いた。

 

(中略)

 

6/30(日)

昨晩から徹夜で、大学側と学生側との団交があったと聞いた。きょう3時ごろ、学園に行くと、昨夜からの団交のことで、あちこちから話を聞いた。官憲の導入の可能性が非常に強いという。

大学側の最高決定機関である大学協議会が、ずっとしばらく開かれていたが、まもなく、学長会見が行われ、ようやく一致をみた。帰宅10時。

 

明日、全学抗議集会が開かれる予定である。我がJICクラスでも、2限目のドイツ語の時間が休講だとわかっているので、できれば、その時間にクラス討論をして、クラス決議を上げたいと考えている。

 

1968年、今から53年前の僕の稚拙な日記から)

――――――――――――――――――――――――――――――――

6月28日の社学同による、教養部バリストの情景は今でもリアルに思い出される。教養正門には、教室から運び出されたイスや机が山のように積み上げられ、バリケード封鎖されていた。

 

赤ヘルメットの社学同の連中が、ウロウロしていて、たぶん鉄パイプ?などの武器を携行していて、スト破りに備えていたとの記憶も。

 

正門は通行できず、端の通用門?から検問を通過しなければならず、一般学友たちは、正門の前の前面道路の周辺でウロウロする。報道関係者だけでなく、見たらすぐわかる私服刑事たちが多数、同じくウロウロしていたのを覚えている。

 

そもそも、このころの学内の雰囲気は、機動隊の学内導入でピリピリした神経質なモノだった。その後、安保闘争の激化に伴い、あたりまえのように全国的に機動隊が頻繁に導入されていくが、1968年当時の大学を取り巻く状況は、(学問の自由)という建て前を崩される事に対する危機感が優勢だったのだ。

 

6・28当日、御堂筋で大暴れした社学同たちの(バカ騒ぎ)のため、凶器準備集合罪などの名目での大学構内への捜索は、なんとしても避けなければならなかった・・・ということだった・・・が、実際のところ、大学側の取るべき手段は限られていて・・・無力だったのだ。

 

機動隊の導入は、夏休み入りで、学生たちが帰郷を始めた時期が狙われた・・・という感じがしないでもない。その分、反発は弱まるだろうし・・・

 

6.28事件(闘争とは思えない)の原因を作ったのは、もちろん社学同(共産主義者同盟)であり糾弾されるべきではあるが、ただ5月の中執選挙で多くの支持票を集め、彼らを増長させた市大学生たちにも責任があるのだと思う。

 

かくも安易に(やりたいことを平気で実力でやり遂げることのできる状況・・・・学問の府、真理探究の場としての大学の自治)なるものが、いかに(不法)に弱いモノであるかが、白日の下にさらされた・・・今から振り返ってつくづく、その思いを強くするばかりだ。

この時点で、すでに(大学の自治)なるものは、有名無実に成り果てていた・・・・

あの社学同(=トロツキスト=青2才)たちの(大学自治破壊)という犯罪は、万死に値する卑劣な人間の所業だったと確信している。



 


 






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最終更新日  2022.01.13 02:08:10
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