1363612 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

はんぺん

はんぺん

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2022.01.29
XML
カテゴリ:学生運動

学生運動時代の思い出を、つらつらと⑪・・・(反省する勇気)は、今からでも遅くない?遅すぎる?

   2022-1-29  (はんぺん)

つらつら・・・思う。

学園闘争、70年安保などを前にして、当時、シビアな党派闘争が展開されている中で、DSL全国委員長が、京大のSさんに変わっていたことは、DSLにとっては幸いだったと思う。京大は、関西でも、潮流間闘争がもっともはげしかったところで、多くのセクトがしのぎを削っていたようだ。

 

とりわけ、トロツキストたちによるゲバルト(暴力)が横行し、自派の集会やデモなどは自力で防衛しなければ、運動を創れないという、状況だった。この状況に耐えて、DSLの旗を守り、組織建設強化を成し遂げてきたのが、京大のS委員長だった。

 

その点、大阪は、まだ平和で、ゲバルトも、そう顕在化していなかった。以前の全国委員長が、阪大のYさんだったが、仮に6870年の激動期には、おそらく全国指導は、できなかったのではないか? と想像する。

 

2回生の時(1969年11月)、僕は、外人部隊として、市大から阪大に出動した経験があった。なんでも、少数の中核派により、DSL阪大支部の同盟員が、負傷したという・・・  市大や京大の外人部隊が、応援に駆け付けたのだが・・・後から思えば・・・・・あの大量の同盟員を抱えるDSL阪大支部が、なぜ外人部隊の応援を必要とするのか・・・??ということ。

 

この時は、多くのクラス決議を上げて、中核派を孤立に追い込む作戦だったようだが、少数の暴力学生に対して、有効に対処できなかった多量の同盟員を抱えるDSLって、一体なんだ・・・と後で思う。

 

というか、ルールを破る暴力に対しては、こちらも暴力で対峙するしかない・・・という考え方が、DSLには無かったようだ。学生版「非武装中立」で、暴力反対・・・(話せばわかる、暴力は止めろ・・・)ぐらいの対応しか出来なかったのだろう。

 

戦争と同じで、相手の有ることだから、いくらこちらが話し合いを求めても、問答無用に殴ってくる場合、自衛の対応がとられて当たり前だと思うが・・・

そういう党派闘争に無縁の(おぼっちゃん学生同盟)だったということだ。

 

68年から、次第に緊張増加の一途の学生運動だったが、S委員長の全国指導は、僕には的確だったように今では思う。全共闘の実感主義(暴力路線)、民青のセクト主義の、狭間にあって、DSL独自の組織・隊列を守り続けた。(70/6/23以後の事は知らないが)

 

おそらく当時の阪大では、相当な(ぬるま湯)に浸かり続けていて、クラス活動よりも、サークル活動に忙しかったのだろう・・・と推察する。だから、緊急時に、動員が利かず、外人部隊に頼ることになった。

 

同じことは、DSL市大支部でも・・・

683月のDSL第1次分裂の際には、多くのクラス活動家を、DSL(共労党系)に持って行かれて、こちらは、社研、部落研、文研などのサークル員が多かった。

 

5月の自治会中執選挙では、クラス活動家の多数を擁するDSL(共労党系)が、圧倒したのは、当たり前で、特に(組織票)が、圧倒的に多かった!!

きちんとしたオルグ活動が、なされていたということだ。

 

サークル主義的偏向は(今、目の前にある危機)には、充分に対応しきれない。阪大の場合もそうだったし、市大中執選挙でも、戦力的には、充分な力を出せなかった・・(実際、当時の文学部内の同盟員の数は、DSL(共労党系)の文学部内の同盟員の数を圧倒していたにも拘わらず、我が派の期待の星のIGUさんが、落選。DSL(共労党系)の質の悪いMORが、当選している)

 

同盟員の数は多くても、充分に戦闘的に鍛えていなければ、指導性を発揮するのは、難しい。阪大支部を見ていて、70年安保闘争では、大学統一集会、デモを追求するあまり、相当アナ―キズムに妥協して、隊列を繰り出しているように見られた。(運動の高揚期には、それなりの数は出せる)

 

60年安保闘争後、全国的に学生運動が退潮期に入る中で、民青が席巻する時代になるが、(諸要求主義)もさることながら、歌声運動、セツルメント、部落研などのサークル主体であることが特徴的だ。

平和な?時代には、じっくり時間をかけてのオルグも可能だから、日本共産党という全国組織のバックアップも受けて、順調に組織を伸ばした。

 

しかし、この民青も、6870年の激動期という(今、そこにある危機?)には、彼らは対応出来ずに、ウロウロするしかなかったのだ。

この激動期に、同じサークル主義で対応しようとしたのが、DSL(声系)の分派グループ(後の新時代派)だった。

 

集会、デモ、学生大会などの同盟の緊急行動提起(機関活動も)に、サークル活動等を理由として、出てこない・・・そういう事態が続いて、同盟内の不信が増大していった。渦中にいた僕には、ようくわかる。

 

僕は、部落研にも所属していたので、時々部落研BOXに寄ったものだが、部室にデンと構えた同じ同盟員を見て、状況的に照らして、相当な違和感を感じたモノだ。そこは、キャンパス内で拡声器で宣伝活動したり、クラスに入ってのアジ(演説)、芝生の上や喫茶店でのオルグ活動とは、まったく異質な空間でもあった。

 

党派間対立がシビアになればなるほど、サークルに閉じこもって出てこない(未結集)同盟員に対する不信感は募るばかりだった。同盟の第2次分裂は、そのあたりが一つの原因であることは間違いない。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.02.22 03:04:50
コメント(0) | コメントを書く


PR

カテゴリ

コメント新着

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

多摩川散歩 New! 七詩さん

ルート29★シュール New! 天地 はるなさん

フリーページ

プロフィール

h1212jp

h1212jp

カレンダー

楽天カード

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.
X