カテゴリ:学生運動
学生運動時代の思い出を、つらつらと・・・・(反省する勇気)は、今からでも遅くない? 遅すぎる? (13) 2022-2-16 (はんぺん) これも、僕がリタイアした2015年の初めの作文である。 今回も記録用として、アップしてみる。 内容は、ほとんど、そのままであるが、僕の理解は一貫している。
僕の大学での運動は、1968年~1970/6/23までだった。 社会人になってからも、政治活動や反原発運動は続けたが、この2年強のDSLの経験は、良いことばかりでは、もちろんなかったが、その後の僕の人生の基礎になった。 ソ連や社会主義体制の崩壊を目の当たりにしながら、未だに直視できず、きちんとした総括を回避して、拉致問題や全体主義に見て見ぬ振りをしているリベラルたちの惨状は、見苦しい限りだが・・・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
――――――――――――――――――――――――――――― 代行主義から、アナーキズムへの流れ(・・・・・・・思いつくままに) 2015年の初め・・・ 60年代後半からの、ベ平連の伸長は、思想的には、アナーキズムの勝利(=組織活動の敗退)、だと思う。 ベ平連の「誰でも好きな時に、好きな形で、参加できる」ということは、逆に、「好きなことをした後、好きな時に勝手にやめることができる・・・・」ということでもある。
すなわち、組織の縛りの無い「自由!」な状態を肯定するものであり、「市民運動の限界性」ということで、当時から、指摘され続けてきた。 当時は、たしか「自然発生性への拝跪」という言葉が、飛び交っていたように記憶している。
それが、一時的な運動の高揚を作り得ても、継続性、発展性が無く、刹那的な不満の解消には、なり得ても、根本的な解決(真の変革)からは、相当の距離があるということだ。
このベ平連運動の延長線上に、「全共闘運動」があるということだ。全共闘運動の中心部隊は、極左「革命」グループではなく、ノンセクトラジカルという「無責任な個人の烏合の衆」であったことは、当時の運動の中にいた人間なら、容易にわかるはずだ。
中核や、革マルなどトロ諸派は、全共闘内に入り込んで、これらのノンセクトラジカルを、盛んに取り込もうとしていたようだが、結局は、基本的に 成功しなかった。
組織の縛りを嫌ったノンセクトは、基本的に、ノンセクトで終わるしかなかった。思想性、組織性も、戦略(展望)も欠いたノンセクトラジカル「集団」の伸長の背景には、ベ平連と全く同じ思想的背景があったということ。
そして、70年安保闘争の後、ものの見事に、まさに潮が引くように、彼らは、「撤退」「逃亡」していった。
---------------------------------------------------------------------- このベ平連=全共闘を貫く、アナーキズムを乗り越える闘いに、既成の運動組織は、結果的に、有効に対処できなかった(敗北した)ということ。
DSLの分裂(共労党との分裂、あるいは、民旗派と新時代派との分裂)には、その痕跡が、明確に確認できると思う。
共労党派は、その後、「自然発生性への拝跪」の結果、なしくずし的にトロッキズムへの傾斜、全共闘の運動に流れ込んでいった。
一方、新時代派は、「全国の大学による一日共闘という形での運動を追及してきたが、実質的には、「DSL」の運動(セクトの運動)になっている」として、一日共闘への参加を拒否するようになっていく。
3.2闘争、4.18闘争、4.28闘争、5.23闘争の流れの中で、彼らは、その独自性を強めていくが、6.23闘争の、中之島での全関西学生総決起集会では、阪大DSLが指導する阪自連部隊は、ノンセクトラジカルを制御しきれず? 全関西学生総決起集会に合流せず、別集会、別デモを対置するに至る。
当日は、ぼくは、市大部隊の「旗持ち」だったので、集会を前のほうで見ていたが、形だけでも「統一集会」を模索した佐藤全国委員長らと、それに激しく抵抗する阪大指導部のHydさん、Sⅰpさんたちの生々しい状況を、記憶している。
当時のアナーキズム的風潮が蔓延する中での各大学でのクラス活動を基礎とした「層としての学生運動」の追求が敬遠、あるいは放棄され、安易なノンセクトの運動に「拝跪」した結果であって、これは、原点を忘れた阪大DSLの「敗北宣言」であったとぼくは、思っている。
サークル主義は、また「分散主義」でもあって、当時でいえば、同盟全国委員会の「指導」には従わず、各サークル、各大学で独自の方針で、個々に「活動」することを認めるものであって、組織の指導性を否定するものであった。
まさに、同盟そのものの存在が問われていたのである。 そのサークル主義=分散主義の延長線上には・・・・組織の永続的な「分裂」しかありえない・・・・と、僕は思うのだが・・・
自然発生性についての理解は、重要だと思っている。 どんな人間活動においても、自然発生的なきっかけが伴うものであり、問題の核心は、それをいかに前進させるか! その方針を提起し、広げる視点で、組織的活動を実践するのか! ということだと思う。
大衆の自然発生性に対して、その後塵を拝してはならない・・・ということ。 阪自連や、市大分派グループは、トロと民青の狭間にあって、動揺することはあっても、明確な、方針を示せなかった・・・・と僕は、感じていた。
大学改革闘争では、民旗派は、解体でもない、授業再開でもない、ストを背景にした徹底した民主的改革の方針(団交実施→全学協議会実現)を提起した。
分派グループや、新時代派に、どのような「方針」があったのか、ついぞ、聞いたことが無かった。 サークル活動に逃避する立場からは、個別学園内で、その場しのぎの対応しかできなかったのではないか・・・・と 彼らの動きを見ていて思った。
自然発生性は、問題提起という意味では、とても大切であり、大事にしていかなくてはならないと思う。日大闘争では、学生たちが、日大当局の不正経理糾弾を、東大闘争では、青医連などが、医学部のインターン制度廃止と研修医制度の改善を、問題提起した。
不幸なことは、東大全共闘にも、日大全共闘にも、秀れた指導部隊が不在だったことではないか。闘争の過激さ、先鋭化だけでは、勝利は見えてこない・・・というか、あり得ないと思う。
思い込みや英雄主義は、観念論の世界であり・・・当然のごとく「敗北」したということである。
僕のノートから・・・ 5/15の3同志に対する個人テロでは、TR同志が、頭部裂傷、腹部腎臓破裂で、1ヶ月以上の重傷、TB同志は、左腕に軽傷、NS同志は、顔面に軽傷ということで、大きなダメージを受けた。
TR同志は、すぐに市大病院に入院した。このテロは、翌日に予定されていた、文学部委員会による、文学部教授会との団交を前にした、計画的、物理的妨害活動であったことは、明らか。
加害者は、全共闘のTN(法4)、文闘委のMR(文3)、MN(文3)その他。 市大支部委員会(LC)は、翌日の団交の妨害が予想されることから、アジトに泊まり込み体制をとる。(8名以上)
5/16は、10:00から団交を予定していたが、予定場所の教養芝生に、全共闘・文闘委が座り込んでさっそく妨害活動に。
11:00すぎから、やっと、文学部委員会主催の団交が始まるが、一貫して文闘委(約40名程度)の妨害に会う。途中、雨が降ってきたので、場所を410教室に移す。妨害のため、議長団(FUT,SUG,YAM)の進行が、うまく行かず、そのうえ、森信成教授ら、教授団のナンセンス発言が続出して、収拾がつかなくなる。
団交の内容は、中教審反対声明の問題に絞られたが、ほとんど、進まず、成果を得ることはできなかった。
14:00文学部委員会の団交は、終了。 引き続いて、文闘委の団交に移った。 当日、我々は、3枚のビラを配布した。文学部委員会のビラ2種類(団交についてと、個人テロ糾弾)、デモクラット(5.23闘争)である。
翌日の5/17(土)には、全共闘・文闘委が、文学部委員会室にまた、社研の学習会(生協2F和室)に乱入して、介入妨害した。
5/19(月)前夜から、アジトに泊まり込み。朝、9:00近くの公園に同盟員が結集して、意思統一。ビラ作成と配布。マイクは、こえ事務所から。 ビラ配布の際には、様々な妨害を、全共闘・文闘委から受けた。 17:00再び、公園に結集意思統一。AM同志が、OK(プロ学同)に殴られた。
僕のノートを見ると、この当時の会議や行動参加者にはサークル関係者が少なく、しかも特定のメンバーしか結集していない。
この日(5/19)時点で、僕のノートには、「Tさんを守る会構想は、同盟の指導の下に、大衆的に発展させる必要があり、全同盟的に(下線あり)討議する必要があるのではないか」と書かれている。ここからすると、すでに、そのような「動き」が、察知されていたのではないか・・・と思われる。
5/21 朝6:00から、6名で、2号館・生協などにステッカー貼り。9:00、こえ事務所で、意思統一(10名とOT全国委員)。 すぐに、杉本町駅前に行って、ビラまき。12:00に、7人のメンバーが、かたまって生協内に入り、ビラをまく。
その後、オルグに散り、17:00、近くの公園で、再結集して、意思統一(8名)。その後、各自、オルグに散る。ぼくは、このあと、こえの事務所で、ビラの「つぶし」。そのあと、21:00~住高OBのオルグで23:30まで。それから帰宅する。
5/22 9:00公園結集(11名と全国委員)。ビラまき。12:00駅前ビラまき。生協ビラまき(11名と全国委員)。オルグに散る。
7:00東大禅寺で、改革闘争委員会(27名と全国委員)。5.23闘争のオルグ状況確認。市大総決起集会は、市大改革闘争委員会と文学部委員会の共催で。
各学部状況報告 L1 クラス準備会における文闘委の妨害。場合によっては、一般学友とともに、準備委員会を脱退することも考えられる。(TA・FJ) L2 クラス討論の開始。大学解体派は、参加せず。(MA・NA) L3 心理学研究室封鎖の動き=23日以後らしい(MI) L・歴史学 中教審答申反対の意思統一、勝ち取る。(SI) L・教育学 教育研究会(学生と教官で構成)5/15アピール出す。当日、文闘委による、個人テロあり。(SA) L・社会学 53名中、18名が、封鎖の中に。(TE) E 経済学部学生集会。授業再開は、一時的に支持されただけ。(FU) M 学生大会。団交あり。内容的には、全くダメ。(IN)
(暴力事件についての我々の態度)・・・我々は、非暴力主義では無いのであって、「暴力反対」だけでは、不十分。 今回の個人テロは、はっきり、政治的意図を持って行われており、現在の市大民主的改革闘争ときわめて密接に関連している。 全共闘・文闘委は、今回の個人テロについて、革命的暴力だとして、正当化しているが、それとは、まったく無縁のものであり、彼らの論理の破産を示したに過ぎない。
予定スケジュール 5/30 愛知訪米阻止闘争 5.30~ 扇町公園 6/9 アスパック 5:30~ 扇町公園 6.13 DSL、労働者との集会 中小企業文化会館 6:15 全関西反戦青年委員会、関西べ平連 6.23 反安保実行委員会主催 全関西統一行動 第3波 6.27 日教組全国統一行動 全関西統一行動 第4波 7/10 全関西統一行動 第5波 5.23闘争の結果 全関西学生総決起集会 中之島公園 350名(阪大、京大、市大、神戸大、他) 市大改革闘争委員会は、100名であった。
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最終更新日
2022.03.17 02:17:42
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