カテゴリ:旅行
東北行を終えて、思う (記録用) 2022-6-28 はんぺん 今回のコロナ過の下でのイベントも、とりあえず、ツツガナク終えることができたのは、幸いだった。多くの関門をクリアーできたこと自体、ラッキーだった。
今回も、天候には、概ね恵まれた。一番、危惧していたむつ湾フェリーの欠航もなく、旅程は、ほぼ95%完遂できた。99歳になったばかりのオフクロも元気でいてくれて・・・ありがたいことだった。
今回のレンタカーについて、 ひとつ問題点があった。それは、昨年、三陸道(高速)が、全線開通したということを知っていたので、カーナビが、きちんと対応できるか? ということ。 心配だったので、予約を入れたトヨタレンタカー(青森)に電話して、この件を聞いてみたら、カーナビのデータの更新は、3年ごとだそうで、今回は??という事だった。 といっても、仕方ないので、出かけることにしたのだが・・・・、案の定、三陸方面では、車は、道の無い地図の上を走ってくれた!!! まあ、なんとかクリアーできたのだが・・・・ 今では、国内でも、海外でも、カーナビなしでは何もできない自分たちだった!!
また、田沢湖の遊覧船が、湖なのに(強風)で欠航したのは、残念だった。
52年前(1970年秋)、ユースホステルの旅の途中で、青森から国鉄バスを乗り継いで、八甲田に入ったが、リュックを担いだ山歩きの中で、とてつもない大きな落葉した樹木の葉を見て、(本当に)驚愕したことを思い出した。そんな大きな落葉を、大阪では見ることはなかったから・・・・
今回泊まった三陸海岸の北山崎の国民宿舎「くろさき荘」・・・やはり52年前にも泊まったのだが・・・ほとんど記憶がない。当時、三陸海岸周辺には、YH(ユースホステル)が無くて、仕方なく国民宿舎を宿にしたのだが、今回、フロントの職員に話をすると、僕のような(昔泊まった)旅人が、時々、泊まりに来るという。(52年以上、営業が続いていたことも驚きだった)
当時は、写真を撮って残すというスタイルの旅では無かったことは残念だが、「くろさき荘」の近くのリアス式海岸の高い崖の上の遊歩道をひたすら歩いた記憶が、かすかに残っている。
野辺地方面では、川?YHに泊まったが、牧場を持っているYHで、必ず搾りたての牛乳(原乳)を好きなだけ飲ませてくれることで、有名だったが・・・泊まったホステラーのほとんどが、翌日、下痢をしていたことでも有名だった。
リンゴ園を所有していた弘前近くのYHでは、夕食後、ミーティングの時に、とれたてのリンゴをかごに山のように積んで、出してくれたが、そんなにたくさん食べれるものでは無かった・・・・
恐山・・・今回は、丁寧に回ったが、52年前は、観光というより、(行ったこと)に意味があったので・・・・わずかな記憶しかない。
磐梯山・・・今回は、パスしたが、記憶に残っているのは、磐梯山の(五色沼)。人が行かないところに行くのが好きだった僕だが、誰も行かない青色の水をたたえた五色沼のほとりまで、たどりつたときは、大きな満足感を覚えた記憶がある。
国鉄の均一周遊券(学割)があったので、ひたすら鉄道(急行が乗れた)、国鉄バスなどに乗りまくって、北は、下北半島の恐山から、南は、磐梯山や蔵王まで、乗りまわって、歩き回った・・・のが、学生時代の僕の旅!!!
そもそも僕自身、(旅)に対する考え方が、全くできてなくて、旅先の下調べも、ほどほどに・・・・がむしゃらに突進していったのが、若い時代の僕だった。
うつら、うつら・・・しか思い出せない、52年前の旅・・・
帰宅後に、まず考えたのが、次は・・?? という事だった。 もう先がない我々高齢者が、何ができるか?? と、いつも考える。
帰宅後、すぐに延期してもらっていた 37回目の眼球注射(硝子体注入術)を受け、(親父の)命日のお寺さんの(お参り)の接待・・・そして老人ホームのオフクロの面会・・・とバタバタが続いた。そして、実家の維持管理、ブログの更新・・・・の日常に戻る。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.08.02 02:09:05
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