カテゴリ:社会主義
問われ続ける(奴隷の平和)か(混乱の自由)か・・・ 選択肢は、限られていて・・・明るい未来は見えてこないのが現実世界だ 2022-6-30 はんぺん 「楽しいイベントと笑顔に包まれてあっさりと戦争許容へと傾きそうな自分に、そのことを言い聞かせておきたい。」(原文) こんなことが言えるのは、今、侵略されていない日本人だから・・・ではないか? (なんと能天気な・・・)と、僕は思うが・・・間違っているだろうか?
今、ウクライナという小国が、ロシアという超大国により、理不尽な侵略を受けている。そして、ウクライナ国民は、総力戦で、祖国防衛のために戦っている。
(戦争許容)へと傾きそうな自分自身に 筆者は(警告)したいようだが、(今、そこにある危機)を前にして、なんという論理だろうか? ウクライナでは、知人友人がミサイルや空爆で殺され、町が破壊されているという現実の中で、地球上に住む私たちは、何が問われ続けているのだろうか??
いま侵略戦争が、長期化する中で、欧州を中心に(支援疲れ)が、ささやかれ始めている・・・・これは、全体主義者にとっては、思うツボだということだ。
何度も(=何十回も、何百回も)繰り返してきたが、誰でも戦争は、反対だ。そして、相手のある戦争では、こちらが平和憲法を持っていても、第9条があっても、相手(敵)は、意にも介せず、侵略してくる・・・・それが、全体主義の脅威ということだ。
日本のリベラルたちは、(社会主義幻想)に洗脳されて、全体主義の暴虐に見て見ぬふりを決め込んできた・・・これは、人類に対する(犯罪)だ・・・・と。
筆者の発想からは、僕のいう(もっと軍事支援を)という主張は、理解不能なのではないか? これは、リベラルたちのジレンマでもあると思う。(戦争反対)で、ことは収まらないのが、現実社会であるからだ。
彼らに出口は無い・・・と思う。そして、全体主義が、席巻するのを指をくわえて見守るしかないのだ。脈絡もなく、(戦争反対)(停戦)を叫ぶのは、(犯罪である)と僕が思う所以だ・・・・
織田信長は、鉄砲を重視して、ライバルを退けた。薩長の官軍は、欧米からの新兵器を最優先で取り入れて、江戸幕府側の賊軍を打ち負かした。リアルな歴史は、唯物論的である。いま、ウクライナに、もっと強力な新兵器を支援せずに、全体主義を打倒することは、不可能だ・・・ 核の脅迫にもめげずに・・・ということだ。
核の脅迫は、全体主義国家が続く限り、絶え間なく繰り返されるだろし、今現在、それに躊躇して得られるものは何もない・・・と断言できる。
・・・というか、僕たち団塊の世代が、もうまもなく消え去った後の時代について、我々人類が作り出した途方もない大量破壊兵器についての絶望的な世界については、問われ続けることは・・・・人類は(奴隷の平和)か(混乱の自由)かの選択しかない・・・ということだろう・・・
皆さんは、どう思われるか? ――――――――――――――――――――――――――――――――― 日常で触れる「戦争」 軍事行動、許容へ傾く怖さ 2022-6-27 高重治香 朝日新聞 見せてもらった写真を前に、思わず口をポカンと開けてしまった。
ロシアの園児たちが、コスプレしてパレードしている。軍服や衛生兵の衣装で、行進したり「銃」を掲げたり。おしゃぶりをした幼い子も、戦車や救急車のように飾られたベビーカーで参加している。
ロシア文学者の上田洋子さんに、虚偽や誇張を含むロシア政府の「大本営発表」をロシア国民はなぜ信じるのか、取材した時のことだ。 愛国や軍隊へのあこがれを植え付ける教育が日常的に行われていることが、情報を信じる下地の一つになっていると聞いた。
パレードはその一例だ。5月9日の対独戦勝記念日に合わせ行われるもので、近年、保育園や幼稚園で草の根的に広がっているという。幼いうちから軍事的なものに触れ、「かっこいい」と感じる経験を重ねることで、侵攻に関する勇ましい報道も信じやすくなるのでは、という話だった。
日本では、戦車や銃の玩具を子に与えるだけでも抵抗感を持つ親が少なくないのではないか。だから、侵攻の最中、今年も行われた軍隊コスプレに驚いた。
さらに驚いたのは、その後の私自身の心境の変化だった。さまざまな写真や動画を繰り返し見ているうち、「楽しんでいるだけだから目くじらをたてなくても」「戦いごっこが少しリアルになっただけ」と心の声がつぶやく。
笑顔で子どもと歩くロシアの親と、ハロウィーンで我が子に仮装させる自分の間に、大した違いはないのではないか。軍事的なものが日常に浸透し慣れていくことの、疑似体験のような感覚だった。
夏は戦争を語る季節だ。 これまで記事を書く時、先の大戦の前と現在の状況がいかに似ているか、という視点で書くことがよくあった。それが何らかの警鐘として意味を持つのは、戦争はすべきでないという前提があってこそだ。
ウクライナ侵攻で、日本社会の戦争への忌避感は強まっただろう。 半面、一方的に攻め込まれて必死に応戦するウクライナを応援する雰囲気の中で、「命と国土を守るための戦いならやむを得ない」と考える人が増え、軍事行動自体は必ずしも忌避されなくなってきたようにもみえる。
あの戦争は悪でこの戦争は正義だという線引きは、恣意(しい)的に行われがちだと歴史が教えてくれる。楽しいイベントと笑顔に包まれてあっさりと戦争許容へと傾きそうな自分に、そのことを言い聞かせておきたい。 (オピニオン編集部) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 産経抄 2022-6-17 産経新聞 国連平和維持活動(PKO)協力法が、平成4年に成立してから今月で30年を迎えた。ただ自衛隊の海外派遣はその前年から始まっている。海上自衛隊による掃海艇のペルシャ湾への派遣である。湾岸戦争後の機雷除去に協力するためだった。
▼「海外派兵反対」の怒号の中を出航して、半年間の過酷な任務を果たした。当時の小紙に気になる記事が載っていた。広島県呉市で行われる帰国歓迎式で「軍艦マーチ」を演奏しないよう、首相官邸から指示があった、というのだ。式典に出席する海部俊樹首相の「軍事色」を薄めたい、との意向だったらしい。
▼この曲は海自の行事には欠かせないシンボル的な意味をもつ。涙を浮かべて抗議する隊員もいた。すったもんだの末に演奏されたが、当時の自衛隊の置かれた状況を象徴するエピソードである。
▼現在、自衛隊の支持率は9割近い。まさに隔世の感がある。参院選に向けて、自民党は自衛隊の憲法への明記を掲げる。公明党は「検討を進めていく」との表現を盛り込んだ。立憲民主党は、隊員の任務環境と処遇の改善を訴え「自衛隊員応援議連」を発足させた。自衛隊を違憲としてきた共産党まで、急迫不正の侵害の際は活用するとの見解を出して「ご都合主義」の批判を受けたばかりである。
▼ロシアによるウクライナ侵略が始まると、国民の間で国防への関心がますます高まっている。対国内総生産(GDP)比1%を上限としてきた従来の防衛費についても、増額に向けて議論が盛んになってきた。
▼もっともこの期に及んで、日本周辺の軍事的な危機に対して、防衛力の強化では解決できない、との主張がある。 代わりに強化すべきだという「外交力」とは、一体なんのことやら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.04 10:29:53
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