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2022.07.30
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カテゴリ:社会主義

​(停戦論)=ロシアの勝ち逃げは、ありえない。甘ちゃんリベラルの平和主義は、大きな間違いだ。ドツボに溺れるリベラルには、(救い)は無い・・・  2022-7-30   はんぺん

ウクライナ戦争の膠着の中で、犠牲者は、増え続けている。プーチンのロシアは、「軍事施設のみ攻撃している・・・」と強弁しながら、平気で多くのミサイルを学校や病院、スーパー、集合住宅などに ミサイルを打ち込んできた・・・・

 

この状況の中で、日本や海外では(停戦論)が、何度も出されてきた。ひどい場合は(ウクライナの降伏論)まで・・・・・これは大きな間違いだ・・・・それが、何を意味するかが、まるで、分かっていない!!

 

このリベラルたちは、多くの人命が失われていくことに危機感を覚えているようだが、その根本を無くすことなしに(停戦)すれば、またまた(第2のウクライナ) (第3のウクライナ)が、後に続くことの想像力が、決定的に欠けているのだ・・・

 

これを無責任という以外に、僕には、適当な言葉が見つからない・・・・

 

下記の朝日の記事からわかること・・・戦争とは、かくも残酷な事実、凄惨な事実・・・というだけではない・・・ということだろう。

 

「ブチャ」では、砲撃や銃撃に巻き込まれて亡くなった人はいない。ブチャ全体でも、犠牲者の大半は戦闘と関係がない。ロシア軍の占領下、戦闘がいったん収まった空間で、恣意(しい)的に殺害されたのである。(本文)

 

これが、現実だ。(停戦)=(平和)では無い時代なのだ。占領地区では、ロシア兵たちは、住宅に押し入り、片っ端から(盗み)を働いたという。邪魔する市民を、銃殺することも厭わずに・・・だ。

 

「戦いをやめるだけでは、第2のブチャは防げない。事実上ロシア支配下となって戦線が膠着(こうちゃく)したウクライナ南部でも、暴力や誘拐、人権侵害が相次ぎ、次の惨劇への懸念が消えない。」(本文) なのだ・・・・・

 

あらためて、ロシアの肩を持つ能天気な日本のリベラルたちの(犯罪性)に思いを致すことに・・・   戦争の実相が、これほど多量に情報として伝えられているにも関わらず、正視できない彼らを、僕は、まともな状態とは思えないのだが・・・・

 

皆さんは、どう思われるか?    はんぺん

――――――――――――――――――――――――――

踏みにじられた命の価値を取り戻す   

2022-7-24   国末憲人(ヨーロッパ総局長)   朝日新聞

 人の命は、かくも軽い存在だったのか。

 

 病院や学校を標的に、ミサイルを撃ち込む。街を根こそぎ破壊する。無抵抗の市民を拷問にかけ、処刑する。ウクライナの現実を前に、私たちは愕然(がくぜん)として、立ちすくまざるを得ない。

 

 第2次大戦の廃虚から再出発した欧州は、人命を貴ぶ精神を培い、命の価値を徐々に高めてきた。

着実に根付いたかに見えたこの理念を、ロシア軍は平然と踏みにじったのである。

 

 6~7月の1カ月あまりキーウ(キエフ)に滞在した筆者(朝日新聞)は、取材での出会いをきっかけに、郊外の一地区に足しげく通うようになった。日々の仕事が一段落する夕方から、長い日が暮れる午後9時ごろまで、コーヒーカップを手に、時には酒を酌み交わしつつ、延べ何十人かの声に耳を傾けた。

 

 市民400人以上がロシア軍に虐殺されたブチャの街の一角、イワナフランカ地区である。その1番地周辺では、5軒の11人が殺された。訪ね歩いた遺族や隣人たちは、自らも砲撃戦の中を脱出し、あるいは地下蔵に身を潜めつつ、生き延びた経験を持っていた。

 

 スベトラーナ・ヤコビエンコさん(44)は、ロシア軍駐留以降、3月10日に避難するまでの10日あまり、自宅の地下蔵に身を隠した。3月の気温はまだ零下。

夏の間は冷蔵庫代わりに使うだけに、地下蔵の内部はとりわけ冷え込む。その中でともに凍える日々を過ごした母(64)は凍傷を患い、脚を切断せざるをえなくなった。

 

 「今日その手術が終わったところです。母の体を傷つけたロシア軍が憎い」

 

 弁護士と相談し、国際司法の場に訴え出る準備を進めると話した。

 

 被害を世に問う声さえ上げられない家族もいる。ヤコビエンコ家の向かいのシャピロ家は、同居のいとこも含め4人全員が殺害された

3軒隣のシドレンコ夫妻は、「ロシア兵との対話も可能だ」と信じて避難せず、しかし殺された。両家の6人の遺体は手足を切断され、焼かれ、空き地に放置された。

 

 この行為に及んだ兵士らは、人命にどれほどの価値を置いていたのだろうか。人間の尊厳をあざ笑うかのような態度に、自らを恥じないのか。

 「ブチャ後」なる用語が最近、使われ始めている。ロシア軍がこの街で繰り広げた残虐行為は、地域や国の境を超えて多くの人々に衝撃を与え、その価値観を覆した、というのである。

 

 一つには、欧州各国の「安全保障観」を大きく揺るがせた。典型例は、それぞれロシアと国境を接するバルト3国である。ロシア軍侵攻の場合、これらの国には北大西洋条約機構(NATO)が駆けつけて解放する手はずとなっていた。今や、救援到着までのわずかの間に起こりえる虐殺に備えなければならない。ある国防省幹部は「国土の占領は、たとえ短期間でも許されない」と、ニュースサイト「ユーラクティブ」で力説した。

 

 さらに、この虐殺は私たちの「平和観」にも、再考を迫っている。

 

 「反戦平和」のスローガンが示すように、多くの紛争の場で「平和」とは「戦闘がないこと」だった。停戦が実現すれば、曲がりなりにも平和が訪れた。

 しかし、戦闘状態と平和との間に、実は広大な荒野が存在することを、ブチャの経験は物語る。イワナフランカ地区で、砲撃や銃撃に巻き込まれて亡くなった人はいない。ブチャ全体でも、犠牲者の大半は戦闘と関係がない。ロシア軍の占領下、戦闘がいったん収まった空間で、恣意(しい)的に殺害されたのである。

 

 つまり、戦いをやめるだけでは、第2のブチャは防げない。事実上ロシア支配下となって戦線が膠着(こうちゃく)したウクライナ南部でも、暴力や誘拐、人権侵害が相次ぎ、次の惨劇への懸念が消えない。

 

 平和を手にする唯一の方法は、ロシアの占領を許したままでの即時停戦などではなく、ロシア軍を撤退させることなのだ。ブチャの悲劇は、そう指し示す。険しい道のりだが、命の価値を取り戻す闘いである。私たちもしっかり支えたい。






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最終更新日  2022.07.30 02:34:17
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