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2022.08.08
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カテゴリ:社会主義

見えた全体主義の本質、中国共産党の好戦的挑発・威嚇と東アジアの危機。リベラルは全体主義の脅威に目を背けるな!!!    2022-8-8   はんぺん

 ソ連共産党スターリンによる、シベリヤ抑留は、国際法的に違反であることを知りながら、連合国も、日本政府も、リベラルたちも・・・・見て見ぬふりを続けてきた・・・これって、(悪魔の歴史)そのものでないか??  

 

(捕虜の待遇に関する1949812日のジュネーヴ条約:第三条約)では、第十三条〔捕虜の人道的待遇〕・・・ 捕虜は常に人道的に待遇しなければならない。抑留国の不法の作為又は不作為で、抑留している捕虜を死に至らしめ、又はその健康に重大な危険を及ぼすものは、禁止し、且つ、この条約の重大な違反と認める。特に、捕虜に対しては、身体の切断又はあらゆる種類の医学的若しくは科学的実験で、その者の医療上正当と認められず、且つ、その者の利益のために行われるものでないものを行ってはならない。

 また、捕虜は、常に保護しなければならず、特に、暴行又は脅迫並びに侮辱及び公衆の好奇心から保護しなければならない。捕虜に対する報復措置は、禁止する。

 

第百十八条〔解放及び送還〕・・・ 捕虜は、実際の敵対行為が終了した後遅滞なく解放し、且つ、送還しなければならない。

 

 このための規定が敵対行為を終了するために紛争当事国間で締結した協定中にない場合又はそのような協定がない場合には、各抑留国は、前項に定める原則に従って、遅滞なく送還の計画を自ら作成し、且つ、実施しなければならない。

 前記のいずれの場合にも、採択した措置は、捕虜に知らせなければならない。

 

スターリンによる(暴虐)に見て見ぬふりを続けてきた(洗脳された)リベラルたちは、その十字架を背負い続けて今日に至る。しかし、今もなお(過ち)を認めず、居直り続けているのが、日本リベラルの惨状だ・・・・

 

​学生運動時代から、このような社会主義体制にとっての(不都合な真実)は、黙して語らず・・・・が、(進歩的リベラル)たちの常套手段だった。ソ連の核実験を一時、支持を表明した日本共産党が、自己批判したという話を、僕は聞いたことがない・・・・知らぬ存ぜぬでは、国民は納得できないと思うが・・・どうだろう・・・

 

​拉致問題の存在そのものを認めなかった社民党などは、その後(大恥をかいた!!)国民の信頼を失っていく・・・・・(社会主義幻想)による洗脳を脱しきれずに、衰退の道を歩むことになる・・・・・

 

​(社会主義幻想)の洗脳は、現在でも引き継がれている・・・・新社会党は、日本人拉致問題について、機関紙も含めて、一切語ってこなかった。北朝鮮に対する(食糧支援)に熱心だった、このリベラル政党?は、金正恩の核ミサイル発射の度重なる挑発に対しても、見て見ぬふりを続けてきた・・・・・何という破廉恥だろう・・・・

 

彼らが叫ぶ(人権)(民主主義)とは、いったい何だったんだろう????

ぼくは、「なぜ人間は(過ち)を素直に認めず、地獄へ転落していくのか?」をずっと、考え続けてきた。希望の見えない人間の(不誠実さ)についてだ。

 

今回、アメリカ下院議長ペロシ氏の訪台において、中国共産党が、その本性を見せた。台湾という独立国家に対して、周辺海域での軍事演習という名の挑発と威嚇のミサイル発射が続いている・・・という。 

 

 「これが、全体主義だ!」 ということだろう・・・・全体主義による(暴虐の嵐)が、今や、地球を覆い始めている中、先の無い我々団塊の世代は、何ができるのか??と、いつも考える。

 

皆さんは、どう思われるか?  何ができるか?   はんぺん

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ソ連にだまされ送られた「悪魔の棲む町」…シベリア抑留男性、ウクライナ侵略は「いつものやり方」   2022-8-4  読売新聞オンライン   

 ロシアによる侵略が続くウクライナでは、市民が殺され、逃げ惑い、祖国を追われている。「ロシアのいつものやり方だ。断じて許せない」。77年前、シベリア抑留を生き延びた仙台市太白区の庄子英吾さん(95)は、自身の記憶とウクライナを重ね、ロシアの暴挙に憤る。(後藤陵平)

 

 福祉施設の一室で生活し、ごつごつとした右手の中指1本でキーボードに触れて文字を打ち込む。声はかすれ、会話は難しいが、戦争体験を文章に残してきた。

 

 仙台市出身。1944年冬、18歳で満州(現中国東北部)の陸軍軍官学校へ入った。翌年の8月9日、ソ連が中立条約を破って侵攻を始めると、前線に召集された。消耗した日本軍には肉弾戦しかない。爆弾を背負って戦車に体当たりする自爆訓練を続けた。8月15日にラジオで玉音放送が流れると、涙があふれた。

 

 「トウキョウ、ダモイ(東京に帰る)」。1か月後、ソ連兵に告げられ、列車に乗り込んだ。しかし目が覚めると、故郷に向かうはずの列車は、朝日を背に西へ走っていた。「ソ連にだまされた」。着いた先は、炭鉱の町「ブカチャーチャ」。ロシア語で「悪魔の 棲す むところ」という意味だと聞かされた。

 

 零下40度を下回る極寒の地で、森林の伐採や石炭の運搬などの強制労働が始まった。手袋をしていても凍傷になる。食事は限られ、硬い「黒パン」と雑穀のスープを分け合った。

 

 飢え、寒さ、そして伝染病が大勢の命を奪った。発疹チフスで多い日は20人近くが死亡した。自身も感染して高熱で1週間以上、気を失った。「船が来たぞ! 国に帰るんだ!」と絶叫しながら凍死した人もいた。

 

意識が戻り、課せられたのは死んだ仲間の「処理」だ。凍った遺体6、7人分をまとめて縄で縛り、台車に乗せて墓地へ運ぶ。凍った土は硬い。穴を掘ることを諦め、雪をかぶせた。死を悼む気持ちはない。あるのは、「明日は我が身」という恐怖だけだった。入校時375人いた同期は、抑留中に83人が犠牲になったという。

 

 3年間の抑留生活を終えて帰国。結婚して2人の子宝に恵まれた。だが、シベリアでの記憶は家族にも明かさなかった。

 

 母校の仙台高校に招かれて体験を語ったのは10年前だ。ともに生還した仲間も大半が鬼籍に入り、「今語り伝えなければ、永久に消えてしまう」と焦りを覚えた。100ページに及ぶ体験記を執筆、製本して母校や知人に配った。

 

 終戦から77年を迎える夏。ロシアによるウクライナ侵略が続く一方で、日に日に国内の報道は減ってきた。日本人が「対岸の火事だと思っているのか」と憂慮し、あの苦しい体験を死ぬまで記録し続けることにした。「二度と戦争を起こさぬ様にする為」。ゆっくりと入力した15文字に、反戦の決意を込めた。

 

 庄子さんは、子ども向けに内容を要約した冊子を作り、希望者に無料で送付している。問い合わせは、庄子さんが入居する施設「時のかけはし」(022・226・7221)まで。

 

 シベリア抑留 =第2次世界大戦後、ソ連全域とモンゴルの収容所に、日本兵ら計57万5000人が移送された強制抑留の総称。厚生労働省によると、5万5000人が死亡したとされる。

 

 






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最終更新日  2022.08.08 02:32:37
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