カテゴリ:社会主義
理不尽な侵略に抗戦するウクライナを人間として支援する義務を 我々は負うべきだろう・・・・それが、未来に向けてのかすかな希望に繋がる!! 2022-8-20 はんぺん 「我々が、ウクライナから学ぶべきは、国が侵略された時、その国民が本気で戦おうとしない限り、誰も助けてくれないことだ」(東大教授:井上達夫氏、4/8付毎日新聞)
「ウクライナで起きたことが人ごとじゃなくて『自分事』なんだと(日本人は)思っているとは思えないんだよね。ウクライナは降参すべきだとか、右派も左派も言っているでしょう。 なぜロシアに非があるのに、ウクライナに責任転嫁するのか。 ウクライナが降伏してごらんなさいよ、間違いなく、プーチン大統領の独裁の餌食になる。ロシア人に対して、ウクライナ人は2級国民として扱われますよ。」(井上氏、同紙)
「ウクライナは、ソ連崩壊後の1991年に独立した。ロシアによる干渉をはねのけて、民主主義を自分たちの手で勝ち取ってきただ。他方日本人は、アメリカから民主主義をプレゼントされたので、そのありがたみには、無自覚だったから、何もしなくても民主主義が享受できると思っているんだね。それを破壊しようとする外敵が責めてきた場合、命がけで戦わないと、いま享受している自由は消えちゃうんだよ。でも(日本人委は)その意識がない」(井上氏、同紙)
ウクライナは、侵攻直後から、徹底抗戦の構えを見せてきた。ウクライナのゼレンスキー大統領は、2/24の侵攻開始以来、先進国からの(亡命協力)を断り、「私は、ここにいる」と宣言し、キーウに留まり続けている。 国家存立の危機に立ち向かうリーダーとしての姿を示し、国民を鼓舞したという。
「こうした姿勢が、対ロ経済制裁に消極的だった欧州首脳を動かしたわけです。18~60歳の男子の出国が禁じられていることを日本では批判する人もいるけど、大多数の国民が残って戦っているから、女性、子ども、老人を(欧州各国で)難民として受け入れられているんだよ」(井上氏、同紙)
「ゼレンスキー大統領以下、国民が命がけで本気で戦っている。これをやって初めて世界は助けてくれるんです」(井上氏、同紙)
「仮に日本が、侵略されたとします。1億2千万人もの人が抵抗せず逃げ出して、『はい、どうぞ』と受け入れてくれる国がどこにあるのかっていう話ですよ」 「在日米軍基地が攻撃されたら、米軍も。でも基地以外の日本の領土が攻撃されたら、『それは自衛隊で守りなさい』と言われる可能性が高い。」(井上氏、同紙)
ウクライナ侵略戦争は、世界史の大きな分岐点になる。国連常任理事国で、核大国のロシアが、2014年のクリミヤに続いて、非核保有国のウクライナに軍事力を行使して、攻め込んだ・ことの事実は、とてつもなく大きい。
この事態の推移をしっかり注視しているのが、最大の全体主義で、独裁国家、中国共産党だ。ロシアに勝利を許せば、その影響力は、中国の覇権主義にも大きな影響を与えることになる。
世界史の大きな分岐点とは、そういうことだ。にも拘らず、事態の重大性を理解できない日本リベラルの(お粗末さ)には、呆れている・・・・ 政治的存在意義をまったく感じることができない彼らの罪と罰にのみ、僕は関心がある。 地球上に生きるすべての人間は、何らかの貢献が期待されるハズなのだが、彼らには、何も期待できないからだ・・・・・
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
――――――――――――――――――――――――――――――――― 「兵士は家畜扱い」「囚人は生殖器を切られ...」 除隊したロシア兵が明かした戦場の現実 2022-8-20 ニューズウィーク日本版 <「どこへ行くのか分からないが、荷物をまとめて移動せよ」という命令で戦場に送られた挙句、約束されていた負傷手当は支払われず>【木村正人(国際ジャーナリスト)】
[ロンドン発]ロシア軍がウクライナに全面侵攻した今年2月、南部ヘルソンに送り込まれた露空挺部隊のパヴェル・フィラティエフさん(33)は今月1日、自らのソーシャルメディアに141ページの手記『ZOV』を公表した。調査報道を手掛けるロシアの独立系ウェブサイト「 iStories(インポータント・ストーリーズ、大切な物語)」でも取り上げられた。
フィラティエフさんは露南西部ボルゴグラード出身で、2010年にはチェチェン共和国で兵役に就いた経験を持つ。その後、馬の調教師などをしたが仕事を失って金に困り、昨年8月、改めて兵役契約を結んだ。空挺部隊としてヘルソンの前線に送り込まれたものの、どこに行くのかさえ知らされていなかった。フィラティエフさんは目を負傷して除隊した。
「『戦争』という言葉を口にするのは禁止されていた。しかし、これが戦争だ。ロシア軍がウクライナ軍を撃ち、ウクライナ軍が撃ち返し、砲弾とミサイルが爆発する。その過程で双方の軍人が殺される。『特別作戦』と称して戦争を始めた場所に暮らす民間人も殺された」と手記に綴る。『ZOV』はロシア軍の車両に描かれた「Z」にちなむ。
手記によると、2月20日ごろ、フィラティエフさんの部隊に「これからどこへ行くのか分からないが、荷物をまとめて軽装で移動せよ」との命令が下った。到着したのは、2014年からロシアが支配するクリミア半島の北部アルムヤンスク近くの野原だ。それまで1カ月近く同じクリミア半島の南東部にある訓練場に駐留していたため、部隊はすでに疲れ切っていた。
■昨年10月、部隊は急性呼吸器ウイルス感染症に集団感染
「昨年10月に支給された軍服はみすぼらしくてサイズも合わない。落下傘の降下訓練では夜は凍え、みんな寒さで息が詰まる思いだった。多くの兵士は防寒着を持っていなかった。翌日起きたら熱があって肺炎になっていた。1週間以内に私の部隊は約30人が急性呼吸器ウイルス感染症で入院した」とフィラティエフさんは打ち明けている。
ロシア軍が全面侵攻を始める前日の2月23日、師団長がやって来て「明日から日給約7000ルーブル(現在の為替レートで約1万5900円)だ」と告げた。「これは何か重大なことが起きるという明らかな予兆だった」。翌24日午前2時ごろ、フィラティエフさんは装甲車の座席で目を覚ました。
「疑心暗鬼に駆られて誰も殺したくなかった」
装甲車の車列はみなエンジンを切り、ヘッドライトを消していた。フィラティエフさんはゴロゴロという音を聞き、砲撃で空が明るくなるのを見た。装甲車の両脇で自軍のロケット砲が火を噴いた。「地獄のような砲撃だった。何が起きているのか、誰がどこから誰に向けて撃っているのか、はっきりしなかった」。 「始まった」という静かなつぶやきが聞こえた。
「軍では質問しても誰も説明してくれない構造になっている。私にできることは、武器を捨てて後ろ向きに走って臆病者になるか、みんなについて行くか、だけだ。どこかで策略(メディアや愛国心)に、どこかで力(法や罰)に、どこかで砂糖(給料)に、どこかで賞賛(賞や肩書き)に利用されていたのだと今なら理解できる」とフィラティエフさんは書く。
突然、誰もいない道路で装甲車が急に止まり、「戦闘開始」の号令がかかった。車から降り、ある者は膝をつき、ある者は地面に伏せ、ある者は仰向けになり、ある者は汚れるのが嫌だからと言ってただ立っていた。命令は偽りだった。本当の戦闘なら、明らかに訓練不足の部隊はウクライナ軍に翻弄されていただろう。
フィラティエフさんはずっとライフルに弾丸を込め、目の前に現れる敵軍を撃つ準備をして装甲車に乗っていた。どこに行くのか、なぜ行くのか、その理由は明確ではなかった。知らないうちに本当の戦争が始まっていた。ヘルソンに行き、ドニプロ川にかかる橋を確保するよう命令があったことを後で知った。ウクライナを攻撃していることが明らかになった。
「指揮官は『通信がない。一体何が起こっているのか分からない。でも肝心なのは小便をちびらないことだ。とにかく今は移動中だ』と強がった。指揮官は虚勢を張ってそう言ったのだが、その目を見れば、彼もまた混乱しているのが明らかだった。ウクライナの集落では、まれに不機嫌そうな顔で私たちを見る人がいた。疑心暗鬼に駆られて誰も殺したくなかった」
「2月28日、一般車両を自軍の歩兵戦闘車が撃ったという話を聞いた。車内に母親と子供数人がいたが、子供1人だけが助かった。罪のない民間人の死はどんな戦争でもあったし、これからもある。すべてを捨てて逃げる。そうすれば臆病な裏切り者の烙印が押される。しかし参加し続ければ死と苦しみの共犯者になる」とフィラティエフさんは苦しさを綴っている。
■「神様これを乗り切ったら、どんなことでもして変えてやる」
その日、暗くなり始めたころ「全員集合」の号令がかかった。翌日ヘルソンの港に到着した。「みな疲れ切って野蛮な顔つきになり、食料、水、シャワー、一夜の宿を求めて建物を探し回った。中にはパソコンや貴重品を奪い始めた者もいた。私も例外ではなかった。壊れたトラックから帽子を見つけて自分の物にした」
プーチンの空証文だった300万ルーブルの負傷手当
3月3日にはミコライウを襲撃して、さらに南西部の港湾都市オデーサまで行くという。信じられなかった。指揮官は部隊が疲弊していることを理解していないのだろうかとフィラティエフさんは自問した。ミコライウ近くの塹壕の中で、ウクライナ軍の砲撃をただじっと耐える。みんなヒゲと泥にまみれていた。新しい軍服や軍靴、弾薬や防寒着の補給はなかった。
「この地獄から抜け出すため自分の手足を撃って300万ルーブル(約680万円)の負傷手当をもらおうとする人が出てきた。ロシア軍に拘束された囚人は指と生殖器を切り落とされたという話を耳にした。
ある駐屯地では死んだウクライナ人が座席に座らされ、名前を付けられたそうだ」。300万ルーブルはロシアの平均的な労働者が4年間で稼ぐ金額に相当する。
砲撃されるたびフィラティエフさんは地面に顔を押し付け、「神様、これを乗り切ったら、どんなことでもして変えてやる」と誓った。「私たちは彼ら(ロシア上層部や軍)にとって人間ではなく、家畜と同じだ。戦場は土と飢えと寒さと汗、死と隣り合わせだった」。 4月中旬、砲撃で土が目に入り、失明する恐れがあったフィラティエフさんは除隊を決意する。
しかし司令部は兵役逃れの罪で送検する。部隊の半分以上がいなくなった。負傷者や病人はほとんどの場合、補償を拒否される。ロシア兵が「プーチン」と呼ぶ300万ルーブルの負傷手当を受け取った人にお目にかかったことはなかった。
約2カ月の「特別軍事作戦」でフィラティエフさんの口座に21万5000ルーブル(約49万円)が残された。
手記を発表したあと最初は警察に出頭するつもりだった。しかし母親から「今のうちにロシアから逃げなさい」と言われた。毎晩違うホテルに泊まり、人権団体の助けでロシア国外に脱出した。部隊の仲間のうち2割は自分の抗議を全面的に支持しているとフィラティエフさんは今でも信じている。
国外脱出前にモスクワの隠れ家的なカフェで英紙ガーディアンの取材に応じたフィラティエフさんは「21世紀にもなってこんな馬鹿げた戦争を始め、兵士に英雄的行為を要求し、自己犠牲を強いている。彼らは私たちを野蛮人に変えてしまった。この戦争に正義はない」と静かな怒りを吐露している。
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最終更新日
2022.08.21 01:54:01
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