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2022.08.26
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カテゴリ:社会主義

「停戦」を叫ぶ無責任を恥じるべきだ!  リベラルは、(人権)(民主主義)(自由)のために、真剣に戦え!!!  本来のリベラルの原点を忘れるな!!!    2022-8-26   はんぺん

いまでも、「停戦を」と、無責任な主張が、チラチラ見られるが、いい加減にしてほしい・・・・というか、現実を見ない(平和主義主義者)のたわ言が、大手を振って闊歩している悲しさを痛感している。

 

以下は、リベラルの代表(?)の面(ツラ)をして、「憂慮する日本の歴史家の会」という(護憲派)の学者たちが、ウクライナの停戦を呼び掛けた「声明?」だ。

 

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(参考)

「憂慮する日本の歴史家の訴え ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」   「憂慮する日本の歴史家の会」声明  2022329日    長周新聞      https://www.chosyu-journal.jp/shakai/23110

このような戦争が継続することはウクライナ人、ロシア人の生命をうばい、ウクライナ、ロシアの将来にとりかえしのつかない打撃をあたえることになる。それだけではない。ウクライナ戦争の継続はヨーロッパの危機、世界の危機を決定的に深めるであろう。

 だから、われわれはこの戦争をただちに終わらせなければならないと考える。ロシア軍とウクライナ軍は現在地で戦闘行動を停止し、正式に停戦会談を開始しなければならない。戦闘停止を両軍に呼びかけ、停戦交渉を仲介するのは、ロシアのアジア側の隣国、日本、中国、インドがのぞましい。

 

日本が中国、インドに提案して、ロシアの東と南の隣国として、この度の戦争を一日も早く終わらせるために、三国が協力して、即時停戦をよびかけ、停戦交渉を助け、すみやかに合意にいたるよう仲裁の労をとることができるはずだ。

 

 われわれは日本、中国、インド三国の政府にウクライナ戦争の公正な仲裁者となるように要請する。ロシア軍とウクライナ軍は即時停戦し、停戦交渉を正式にはじめよ。」(本文)   

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・・・という主張・・・・・・事態の経過、現状をまったく理解できない、ピンボケの和平提案だ。

(戦争さへ停止すれば、平和が訪れる?)なんという軽いノリだろうか! 彼らは、あのロシアの蛮行、たとえば(氷山の一角だが)無数の集団墓地やブチャの虐殺を忘れたのか? それとも知っていても、見て見ぬふりを続けているのだろうか?

 

2014年のクリミヤ併合では、ウクライナ文化、言語が迫害され、ロシア化が、強行された。それが、全体主義国家の真実だ。

 

能天気に(平和さへあれば、すべて良し)という「奴隷の平和」を叫ぶリベラルの面目躍如たるところだ・・・・  現実は、厳しさばかりが目の前にあるのに。

 

ソ連の占領地域が「停戦」により固定されれば、さらなる悲劇が待っている。停戦以後が、ウクライナ国民にとって(悲劇の始まり)なのだ・・・ということをわかろうとしない リベラルたち・・・

 

ウクライナ国民には、ロシア全体主義が、どのようなものであるかがわかっているから、あれほどの感動的な(!)防衛戦争を戦えるのだ!!!

 

ジョージア侵攻でも、2014年のクリミヤ侵攻でも、悲劇が繰り返された。

リベラルたちは、懲りずに、またまたウクライナで、ロシアの占領地拡大という有利な戦況の下、(停戦)を呼び掛ける愚を、犯すのか??

 

救いは、こんな日本の能天気な傍観主義者たちを、まったく論外というばかりに無視した、自国の領土と生活を守ろうとする真摯な決意のもとに団結してきたウクライナ国民の言動だ。これが、世界中の自由と平和を愛する民衆に力強い勇気を与え続けている。

 

それは、日本のリベラルたちには無い(勇気)だ。無法な外からの侵略に対して、国民一丸となって、守り抜く、当たり前の作風なのだ。

 

「平和憲法があるから、大丈夫」 「非武装中立で、大丈夫」 「『「平和を愛する諸国民の公正と信義』」(憲法前文)があるから、大丈夫」という 無責任極まる論理で、彼らは、ウクライナ国民だけでなく、日本国民をも 破滅に追いやろうとしている・・・!!!  僕は、彼らの(平和)の名のもとに、全体主義に寄り添う、許しがたい暴挙であると糾弾したい!!!

 

さらに、悪いことに、この学者たちは、日本と伴に、中国とインドの3者による仲介を主張しているが、よりにもよって、この馬鹿な選択は誰がしたのだろうか?

 

中国は、ロシアと同じ全体主義国家で、ロシアの経済制裁の(抜け道)で、大儲けしている現在、ロシアよりの裁定をえらっぶことは目に見えている!!

インドも、ロシアの経済制裁に加わわらず、エネルギーの大量輸入で、ロシアを助けながら、これまた大儲けしている・・・・・

 

何を血迷ったのか、日本が、これらの2国に呼び掛けて、仲裁する? 停戦を呼び掛ける?  アホか! と言いたい。

 

この呼びかけ団体「憂慮する日本の歴史家の会」をネットで見たら、あの(社会主義幻想)に洗脳された(和田春樹 東京大学名誉教授)が、入っているではないか!

そう、旧ソ連に寄り添い続け、また北朝鮮による日本人拉致を、しぶとく認めようとしなかった(リベルの大御所)だ。これで、合点がいく。

 

彼らは、最後の最後まで、懲りずに、首尾一貫して、ロシアに寄り添う決意なのだろう・・・と思うしかない!!!

 

皆さんは、どう思われるか?   はんぺん

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戦場カメラマンが見た"ウクライナのいま"19枚の写真」で発信【ノーカット動画】【渡部陽一】

https://www.youtube.com/watch?v=UX9PrDU6Bmg

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占領下の電話、泣き続けた母。 ブチャ虐殺、娘「拷問だったと思う」   2022-8-14    朝日新聞

 ウクライナの首都キーウ(キエフ)北西郊ブチャに暮らすタチアナ・ナウモワ(38)は、母から受けた最後の電話の様子を、鮮明に記憶していた。

 

 元ガス会社員の父セルゲイ・シドレンコ(65)は、ウクライナ民主化運動の熱心な活動家。母リダ(62)は世話好きで、近所の独居のお年寄りらに、しばしば料理を配っていた。

 

 2月27日、ロシア軍がブチャを占領すると、一家が暮らすイワナフランカ地区にも装甲車両が駐留した。リダはロシア兵に「なぜ来たのか」などと母語のウクライナ語で問いただした。

 

 川を隔てた隣町イルピンを死守するウクライナ軍との間で、砲撃戦が激化。

砲弾の中を逃げるか、とどまって戦闘の収束を待つか。一家の判断は揺れた。

 

 自宅は3月3日に停電し、5日にはガスも止まった。3月のウクライナは零下になり、凍える寒さだ。タチアナはこの日、夫や息子とキーウに脱出。父母だけがとどまる選択をした。

 

 「ロシア軍でも、対話をすれば殺しはしないと、両親は信じていました」

 

 父母は砲撃を避けて地下蔵で暮らし、3日に1度は外に出てタチアナに携帯で連絡を取った。通話は1回約20秒。母は次第に「寒い」「腹が減った」と漏らすようになった。

 

 最後の電話は3月22日。涙を見せたことのない母が、3分間ほどの通話の間じゅう泣き続けた。

 「後から思うと、母は別れを告げていたのです」

 

 両親が殺害されたのはその日だったと、タチアナは信じている。母が使う日めくりカレンダーが、22日で止まっていたからだ。

 

 4月1日、ロシア軍はブチャから撤退。近所の住人イリーナ・ガブリリュク(46)が4日に帰郷し、周囲を撮影して避難先のタチアナに送ってくれた。

 

 町外れに放置された黒こげの遺体の写真が、その中にあった。父母だった。母は腕を切断されていた。

 

 タチアナが自宅に戻ったのは16日。血だらけの父の帽子と、頭皮がついた母の髪の毛が庭に落ちていた。

 

 「父母は拷問を受けていたのだと思います」

 ブチャでは、数百人の市民がロシア軍に虐殺されたとされ、その遺体は路上や庭に放置された。

 

 イワナフランカ地区の状況は、中でも凄惨(せいさん)を極めた。タチアナの父母、イリーナの夫と弟を含め、通りの1番地の区画にとどまった5世帯11人が殺された。

 

 一方で、2番地以降の住民のほとんどは、避難したり地下蔵に身を潜めたりして生き延びた。何が生死を分けたのか。

 

     ◇

 

 ロシア軍の侵攻から約半年が経とうとする今も、ブチャでの虐殺は国際社会に衝撃を与えている。イワナフランカ地区で何が起きたのかを2回にわけて紹介する。

 

ロシア軍、最初は穏やかに見えた 「生き残りたいなら、10分で家を出ろ」 ブチャ虐殺  2022814日    朝日新聞

 ウクライナの首都キーウ(キエフ)の都心まで車で30分程度の便利さにもかかわらず、森と湖に囲まれてリゾート都市の雰囲気を持つブチャは、近年、急速に発展を見せた高級住宅街だ。自然環境を求めてキーウから移り住んだ高所得層らが、約3万6千人の住民の多くを占める。

 

 おしゃれな市街地から鉄道の盛り土で隔てられた場所に、イワナフランカ地区がある。農村時代のブチャの面影が残り、住民の多くは地元出身。年配者同士の助け合いの精神が息づく。

 

 この地区に2月末、ロシア軍がやってきた。兵士は若く、総じて礼儀正しく穏やかだったと、地区住民らは一致して証言する。

 住民と兵士は日常的に会話を交わし、冗談を言い合うこともあったという。

 

 もっとも、人当たりの良さは偽りだったのかもしれない。ロシア兵は各戸を回り、家族構成を聞き取り、携帯電話の中身を調べた。

 10番地に住むナタリア・アレクサンドロワ(63)のもとにやってきたのは、3月7日。同居のおいウォロディミル(26)の携帯を調べた兵士は、その中にロシア軍の装甲車両の写真を見つけた。おいは、占領後のブチャの様子を撮影し、ウクライナ軍に送っていた。

 「ちょっと話をしたい」

 丁重な態度の兵士に連れ去られたおいが、近所の地下蔵で射殺されたとわかったのは、ロシア軍の撤退後だった。

 

 3月初めからは砲撃戦が続いた。イワナフランカ通り4番地Aのパトキウスカ家の前には、ロシア軍の装甲車両が陣取った。5人家族は逃げようにも逃げられず、地下蔵に身を潜めた。

 

 1歳の娘がいる学校教員のタチアナ(25)は3月9日夕、訪ねて来たロシア兵に「生き残りたいか」と問いかけられた。うなずくと「10分以内に出ろ」。着替えも用意できず、家族5人でこわごわと通りに出た。

 

 砲撃は止まり、静寂が支配していた。白旗を掲げるよう指示され、タチアナの父ワシリー(52)は道端で拾った木の枝に孫の白い服をくくりつけた。ロシア兵の付き添いで、西に向かった。

 

 約50メートル先の線路の手前で、真っすぐ進むよう兵士は指示し、英語で「グッドラック」と別れを告げた。

 家族は線路の土手をのぼった。そこに踏切はないが、住民が頻繁に越えるために小道ができている。「怖くて振り返れませんでした」とワシリーは言う。

 

 線路の反対側に出ると、一家は指示通り真っすぐ進もうとした。

 しかし、目の前の路上に転がる人の足が見えた。

 

 「死体だ」。そこは、遺体が路上に放置されて「死の通り」と呼ばれたヤブロンスカ通りだ。一家はあわてて右に折れ、市内の親戚宅で夜を明かし、救援のバスで翌朝ブチャを離れた。

 

 生き延びた一家が5月に戻った自宅は崩れ落ち、ロシア兵が飲んだであろう酒の瓶が大量に転がっていた。今、一家はリトアニアの救援団体が貸してくれたコンテナで暮らし、生活の再建を目指している。

 

 退避を促したロシア兵の親切心は、戦闘が激化しそうだからだと、多くの住民が信じた。しかし、別の理由だった可能性もある。

 

 ■「私たちの次の部隊は……」のみ込まれた言葉

 ワシリーは、退避を求められる直前、ロシア兵と路上で交わした会話を思い出す。「私たちはあと2、3日後に去る」。そう語る兵士は「私たちの次に来る部隊は……」と言いかけて、言葉をのみ込んだ。

 

 「うーん、早く逃げた方がいい」

後続はよほどひどい部隊なのかと、ワシリーは思ったという。

 

 最初に来た兵士らは、ロシア南部チェチェン共和国の出身だったと、住民の多くが語る。その部隊は3月12日前後に交代し、新たな部隊が地区に到着した。

 

 指揮官は東洋系の顔立ち。ブチャ虐殺への関与が強く疑われる「第64独立自動車化狙撃旅団」の可能性が捨てきれない。

 

 穏やかな兵士たちが「逃げろ」と警告したのは、この部隊が来ることを知っていたからではなかったか。

 

 ロシア軍撤退後の4月1日、線路際の草むらに2体の遺体が放置されているのを、近所の元看護師スベトラーナ・ルデンコ(70)が見つけた。イワナフランカ通りの西端に暮らすパブレンコ家の2人だった。

 

 兄ビクトル(65)は年金生活者、弟ユーリはキーウ市地下鉄職員で、周囲のお年寄りの健康も気遣う穏やかな兄弟だった。

 

 この一角では、シドレンコ家とパブレンコ家の各2人以外にも、3世帯で7人が殺害された。遺体はいずれも、目を覆うばかりの損傷を受けていたという

 

 ■1カ月占領、市民400人虐殺か

 

 2月24日にベラルーシ領からウクライナに侵攻したロシア軍は、首都キーウ攻略を目指し、27日ごろに北西郊のブチャに到達、1カ月あまり占領した。この間に、400人以上が虐殺されたとみられている。

 

 ウクライナ当局などによると、多くは戦闘によるものでなく、後ろ手に縛られるなど無抵抗の状態で処刑されたとみられ、拷問やレイプも多数が報告された。ロシア軍撤退後の4月、路上に遺体が転がる様子が報じられて世界に衝撃を与えた。身元不明の遺体も多く、その埋葬は8月にようやく始まった。

 

 ゼレンスキー大統領は「ジェノサイド(集団殺害)だ」と断じ、ウクライナ当局は実態の解明を国際刑事裁判所(ICC)に依頼。

 

フランスの専門家チームが調査に入るなどした。ロシア側は「ウクライナのフェイク」と関与を否定している。

 

 






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最終更新日  2022.08.26 00:00:19
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