カテゴリ:社会主義
(幻想)に洗脳された人々の「戦略的あいまいさ?」は、何も生まないばかりか、地獄への道に通じている・・・・ 2022-9-3 はんぺん 1968年4月に、大学に進学。すぐにベトナム反戦運動などの学生運動に、身を投じた。ソ連軍が中核のワルシャワ条約軍が(プラハの春)の自由化を踏みにじったのは、その年の8月だ。
1回生ながら、そこそこ、知識の蓄えがあったので、強い忌避感を覚えた。有ってはならない蛮行だ・・・・と。
所属するDSL(学生同盟)は、「ソ連派」で有名だったので、内部での動揺は、相当あったと思う。実際に、(共産主義の総路線)を守るために、ソ連軍の行動を支持しようという意見があったのを僕は目にしている。同盟府大会や同盟全国大会で、そういう発言があったからだが・・・
しかし、S全国委員長の適切・強力な指導の下、(今回の暴挙は支持できない)という結論で、組織危機を乗り切ったので・・・・僕は、安心したモノだ。
DSLの中でも、(社会主義幻想)は健在だったが、(社会主義陣営の犯す過ち)には、きちんと対応していく作風は、好ましく思えた。
そもそも、人間自体が、不完全なモノ、未完成品なのだが、その未完成品の寄り集まりの組織や政権が、(過ち)を犯さないとして、(絶対化)することの方が、間違っていたのだが、「革命ごっこ」に興じる(活動家)には、何事にも、絶対化を求めようとする悪しき作風が、常態化していた。
生半可な知識を振り回し、自分たちを絶対化し、対立する相手を(全否定)して、ゲバルト(暴力)で、(粉砕する)という・・・・
中核派と革マル派などによる、内ゲバ(殺し合い)や、無辜の市民に対する日本赤軍の蛮行、連合赤軍の若者たちによる(身内リンチ殺人)など、無責任な(犯罪)は、その典型例だ・・・・・
卑怯なトロツキストたちは、指名手配されても、今も逃げ回っているが、もし身近に潜伏しているのがわかれば、すぐに通報してほしい!! ・・・・(逃げ得)は、許されないのだ・・・・・・・・ 彼らの掲げた(革命)の幻想のために、多くの民衆の犠牲を伴い、社会に大きなつめ跡を残してしまったのだ。
日本赤軍の(犯罪者)重信房子は、「ニュースに取り上げてもらうような事件を起こすことで、自分たちの訴えをアピールしようとした」・・・・だと、彼女は(ほざいた)。
また、ほかの一連の事件を振り返り、「ほかのやり方があったら良かったし、手段を考える機会をもった方が良かった」と反省の言葉を口にしたこともあったという。(娘のメイ談)・・・ いつも、これを読んで自分たちの犯した「革命ごっこ」の結果を、どれだけ切実に認識しているか?と思うと、やりきれなくなる・・・・同時代人として僕は、彼らを絶対許せない!!!
皆さんは、どう思われるか? はんぺん
―――――――――――――――――――――――――――― あらがう心(天声人語) 2022-8-26 朝日新聞 チェコスロバキアの首都プラハにソ連軍の戦車が続々と現れたのは、1968年8月20日の深夜。 翌朝にはチェコ首脳の身柄を拘束し、モスクワへ連行する。 緊迫の1週間、市民は戦車を囲んで抗議した
▼東欧で最も自由化の進んだ国だった。若者たちはビートルズをチェコ語で歌い、複数政党制の意義を論じた。「プラハの春」である。 ソ連指導部は「反革命」の動きが他国へ波及することを恐れた
▼「チェコスロバキア軍は動けず、国民も組織的な反撃はしませんでした」。福田宏・成城大准教授(51)は話す。 プラハの若者は、戦車を迷わせるため街路表示板を外すなど非軍事的な抵抗に徹する。地下放送局からチェコ語版「ヘイ・ジュード」を流し続けた
▼歌い手はマルタ・クビショバさん。ソ連に従順な新政権下で罪を着せられ、歌う場は奪われる。当局から亡命を強いられたが、拒み続けた。 89年に共産党支配が崩れて名誉を回復するまで、黙々と会社勤めをした
▼映画「存在の耐えられない軽さ」はプラハを蹂躙(じゅうりん)する戦車を映し、暴力を可視化する。ウクライナの戦禍と重なった。プーチン大統領は、プラハと同じようにやすやすと傀儡(かいらい)政権を樹立できると誤信していたのではないか
▼力に屈したかにみえたプラハ市民も水面下では抵抗の精神を失わなかった。結局は抗(あらが)う心を戦車で踏みにじることはできない。ロシア軍のウクライナ侵攻から半年。映画で流れるクビショバさんのヘイ・ジュードを聞きながらそう確信した。
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最終更新日
2022.09.03 00:00:22
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