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2022.10.25
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カテゴリ:社会主義

拷問と虐殺と集団墓地・・・・歴史の悪夢を繰り返させるな!! 人類の未来が問われ続けている。「待った!」は、無い!!     2022-10-25   はんぺん

多くの集団墓地が、見つかったという。

占領者(ロシア軍)が撤退した後、奪還したウクライナ軍が、発見したという。

戦争の汚い現実が、明らかになっていく。

 

世界は、この事実を見逃すべきではないだろう。

見て見ぬふりをするべきではないだろう。

不当に、隣国に攻め込んだ全体主義の暴虐を徹底的に追求してほしい。

 

それが、未来のルールとなるように・・・だ。

ロシア軍は、これまでの戦いで、相当多くの戦病死者を出しているという。

その穴埋めに、(部分動員令)が、発動された模様だ。

 

即製の動員で、戦地に送りこまれた(兵隊)は、真っ先に戦争の犠牲者になることだろう・・・・プーチンの無法が、まだまだ続くようだ・・・・

 

今、世界が(プーチンの侵略戦争)を潰さずに、いつやるのか?  

ロシア軍の侵略を認めるような(停戦)を、多くのウクライナ国民は望んでいないことが、明らかになってきている。

 

ロシア全体主義が、この侵略に成功すれば、ほかの全体主義の中国や北朝鮮なども、さらなる威嚇と挑発を世界中で繰り広げることだろう・・・・

すなわち、このウクライナ戦争は、世界のすべての民主勢力にとって、絶対に負けられない戦争なのだ!!

 

能天気なリベラルたちの軽薄な停戦論(ウクライナ)降伏論が、いかに犯罪的なのか! が、わかるというものだ・・・・・・

 

皆さんは、どう思われるか?    はんぺん

――――――――――――――――――――――――――

ロシアの「併合」 許されぬ民意の捏造だ(朝日社説)  

2022102日    朝日新聞

 捏造(ねつぞう)された「民意」をたてに大国が隣の国の領土を力ずくでもぎとる。もはや茶番を通り越して、国際秩序の破壊行為というべき蛮行だ。

 

 ロシアのプーチン大統領が、軍で占領を進めてきたウクライナ東部と南部の4州を自国領に併合すると一方的に宣言した。

 

 根拠とするのが、4州で87~99%が併合に賛成したとされる「住民投票」だ。プーチン氏は演説で「人びとの選択は行われた」と述べ、国連憲章が掲げる「自決の原則」まで持ち出して正当化した。

 

 多くの住民が戦火を逃れたり、迫害の恐怖におびえたりする中での投票結果のどこが民意の証しなのか。現地からは、係員が重武装した兵士と各戸を回って票を回収したとも伝えられた。グテーレス国連事務総長が「国連の目的と原則への侮辱」と形容した通りの事態だ。

 

 4州の併合は、東部2州の住民を「集団殺害から守る」と根拠なく強弁した侵攻当初のロシアの立場とも矛盾する。

 

 プーチン氏は演説で、米国など西側が力でロシアに価値観を押しつけ、弱体化させようとしているなどと、対抗心もむき出しにした。

その言動は、ウクライナを破壊し、住民の命を奪い、隷属国家に作り替えようとしている自分自身にはねかえるものと悟るべきだ。

 

 ロシアの偉大さを説きながら、逆に国際信用を損ね、隣国をさらに西側に追いやる。自国に負の歴史を刻印したプーチン氏の責任は重い。

 

 なりふり構わぬ強硬姿勢は弱みと焦りの裏返しでもある。

 

 ウクライナ東部で大敗走を喫するなど、守勢に立たされている。戦場を自国領とみなして核使用をちらつかせ、欧米にウクライナへの軍事支援をためらわせる狙いがあるのだろう。

 

 加えて8年前のクリミア併合を再現して愛国心発揚も期待しているならば、目算は外れたというべきだ。兵力不足を補う予備役の部分動員は国内に大きな混乱と不安を広げ、支持率は開戦後初めて下落に転じた。

 

 国際規範へのこれほどまでの冒涜(ぼうとく)を放置すれば、力が支配する弱肉強食の時代に戻りかねない。にもかかわらず、併合宣言を受けて開かれた国連安全保障理事会はロシア非難の決議案を採択できなかった。

 

ロシアの拒否権行使は想定内として、採決で中国やインドが棄権したのは理解に苦しむ。主権の一体性は両国にとっても現実的な問題だからだ。

 

 「法の支配」で国際秩序を守り抜く。その明確な意思で結束し、プーチン政権の暴走を食い止める。日本を含む各国はその総力を挙げてほしい。

 

――――――――――――――――――――――――

「樹林の十字架」と欧州の苦い記憶(斜影の森から:17)

 福島申二   2022930日    朝日新聞

 今年はもうその日は過ぎたが、ポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ氏が生前に「9月17日」がどういう日かを知らない若い世代のことを嘆いていた。それは1939年、第2次世界大戦の勃発後にソ連軍が国境をこえて祖国に侵攻してきた日である。

 

 ベートーベンの交響曲第3番は「英雄」で、5番は「運命」。はざまの小ぶりな4番を「2人の巨人にはさまれた乙女」とシューマンはたとえたという。似た印象がポーランドという国にもある。だがロマンからは程遠い。

 

 ヒトラーのドイツと、スターリンのソ連。獰猛(どうもう)な狼(おおかみ)と熊にはさまれたポーランドを擬人化した古い戯画を見たことがある。9月1日にドイツが攻め入ってきて第2次大戦が始まり、17日にはソ連。厳しい国難のなかで幾多のおぞましいできごとが起きた。

 

 よく知られるカチンの森の事件もその一つだ。2万人を超すポーランドの将校や知識人らが捕らえられ、処刑されて埋められた。かつての惨劇を、先日、ロシア軍が撤退したウクライナ東部イジュームの樹林で見つかった集団埋葬地のニュースに思い起こした。

 

 欧州の人にとって「樹林の墓穴」はそれこそ、大戦時の様々な忌まわしい記憶を呼び覚ますものに違いない。

 

     *

 

 ワイダ監督の「カティンの森」(2007年)は冒頭、戦時のポーランドを象徴的に描くことから始まる。

 

 西からドイツ軍に追われて逃げる民衆と、東からソ連に追われる民衆とが一つの橋の上で遭遇する。その独ソ両国による占領と支配の交錯が、カチンの事件の真相を深い霧に包んだ。

 

 すべてはソ連の犯行だったが、ソ連はドイツの仕業と主張した。戦後はポーランドがソ連の衛星国だったため事件自体がタブーとされた。ワイダ氏はこの虐殺で将校だった父親を亡くしている。長く温めて完成させた映画には「真実」へのまなざしが光る。

 

 捕らわれた収容所で、不吉な運命を予感する一人の将校が言う。

 「僕たちの死後、軍服のボタンだけが残る」

 

 謎めいたせりふの背後には一編の詩があるという。「カティンの森」のパンフレット(岩波ホール)から引く。

 

  不屈のボタンだけ/死を生き延びたのは/それら犯罪の目撃者たちは/深淵(しんえん)から地表に歩み出る……

 

  聞き届けるのは神だ……

 

 ポーランドの名高い詩人ズビグニェフ・ヘルベルトの詩だという。

 

 ワイダ氏はこの痛切な詩句を、せりふに託して仄(ほの)めかしたようだ。処刑され埋められた父の真実と、真実を知らず父を待ち続けた母への思いが、張りつめた映像から伝わってくる。

 

     *

 

 「ボタン」の詩を書いたヘルベルトは次のような警句も残している。

 

 「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」(「アフォリズム」ロバート・ハリスから)

 

 これは映画人ワイダ氏の生涯にもそのまま当てはまる言葉であろう。

 

 そして、この「源泉」を「真実」に置き換えてみれば、流れ下ってくる情報だけでは真実にはたどり着けないという警句にもなろう。とりわけ戦争では、フェイクやプロパガンダが洪水となって川を流れる。戦争の最初の犠牲者は真実だというが、戦争が終わっても葬られたままの真実もある。

 

 ウクライナの集団埋葬地に話を戻せば、見つかった447人のほとんどは民間人で約半数は女性だという。後ろ手に縛られた遺体もあったという。

 

 木っ端のような十字架の下に埋められた人々の無念を思えば、調査が尽くされ、犯罪者は裁かれ、真実はあやまたず記録されなければならない。それにしても人間の歴史は、いつまで愚行の山を積んでやまないのだろうか。

 

―――――――――――――――――――――――――

ロシアの戦車よ、国境への道を戻れ(斜影の森から:11)

 福島申二  2022325日     朝日新聞

 権力をからかう笑いは、圧政がきついほど「名作」が生まれるらしい。旧ソ連などかつての共産圏でよく作られた諷刺(ふうし)小話はその好例といえる。

 

 そうした小話の定番の一つに問答形式のものがある。たとえば。

 

 問 「戦車とは何ですか?」

 答 「戦車とは交通手段であり、ソ連の兵士たちが友好諸国への友好的訪問に乗っていくものです」

 

 辛辣(しんらつ)な皮肉だろう。改革を求める市民蜂起をソ連軍が介入して鎮圧するという、世に言う「ハンガリー動乱」が起きたのは1956年だった68年には、当時のチェコスロバキアで進んでいた「プラハの春」と呼ばれる民主化をつぶすために、ソ連を主体とする軍が国境を越えてなだれ込んだ。

 

 それらは市民を制圧する戦車のイメージで世界に記憶された。とりわけプラハでは、素手の市民らの言葉と態度による抵抗が、戦車という鉄塊の醜悪さをいっそう露(あら)わなものにした。

 

 先月からのロシアのウクライナ侵攻に、二つの軍事介入を想起した人は多かったことだろう。しかし規模と凶暴さは、もはやかつての比ではない。

 

     *

 

 国境を破って侵攻するロシア軍のニュースに、思い起こしたのは「存在の耐えられない軽さ」(88年、米)だった。「プラハの春」とその圧殺を背景にしたチェコ出身の作家ミラン・クンデラの原作による映画だ。体制とイデオロギーに人間性を削られる時代の痛みが、哀切にして官能的な映像に一種不吉な緊張をもたらしている。

 

 「人間の顔をした社会主義」をうたう民主化と自由を歓迎しつつ、腕の立つ外科医である主人公の職場で、上司や同僚がこんな会話をかわす。

 

 「ソ連が来るぞ、ハンガリーの例もあるし」

 「まさかね、世界が許すものですか」

 

 しかしある日、主人公の目の前に突如、夜気を震わせて戦車が現れる。そうした場面が今回のロシアの侵攻に重なってくる。

ウクライナでも多くの人が直前まで戦争などないと思っていたという。「世界が許すものですか」という常識と倫理の通じる相手では、プーチンもまた、なかったのだ。

 

 映画では主人公の妻は新米のフォトグラファーでもある。危険を冒して戦車と市民の対峙(たいじ)を撮るが、国内メディアには掲載できないのでフィルムを他国の記者に託す。そのシーンから、ひとりの実在の写真家が胸に浮かぶ。

 

     *

 

 ジョセフ・クーデルカの写真集「プラハ侵攻1968」(平凡社)を、ウクライナの苦難を思いつつめくった。

 

 チェコの若手だったクーデルカの写真は米国の写真関係者に託して持ち出され、匿名で公表されて高い評価を得た。それらは市民が戦車といかに向き合ったかを「人間の記録」として今に伝える。怒り、悲しんで抗議する市民の表情が生きているのに対し、ソ連兵らの顔は無表情にこわばって、悲壮感さえ漂わせているかのようだ。

 

 「イワン、家に帰れ、ナターシャが待ってるぞ」「我々は西側に脅威を抱いていた。だが攻撃を受けたのは東からだった」「昨日は親愛なる友――今日は殺人者」……。写真集には、印刷物やプラカードで、あるいは壁面に書くなどして、侵攻軍に市民が放った言葉による抵抗が記録されている。あらゆる言葉から「理は我に在り」の気概がたちのぼってくる感がある。

 

 逆に兵士らのこわばった顔は、プラハに入った自分たちを正当化する言葉を持ちえなかった証しであろう。命令を受けて制圧する側にも、つらい葛藤はあったに違いない。ウクライナを攻めるロシア兵も同じ表情をしているのではないかと、今、ふと想像する。

 

 常軌を外れた指導者にはいかなる正当な言葉もあるまい。戦車は引き返すべきなのだ。もと来た道を、国境へ。

 

     ◇

 

 ふくしましんじ 元朝日新聞編集委員。2007~16年に天声人語を執筆。近著は『日曜の言葉たち』(岩波書店)。






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最終更新日  2022.10.29 22:36:16
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