カテゴリ:社会主義
(停戦=プーチンの勝利)を許さないぞ!! 凍てつく厳冬を迎えるウクライナ国民の戦いの決意に、心ある世界市民は連帯と支援で応えるべきだ!! 2022-11-8 はんぺん これが戦争の現実だ・・・・しかし、「戦争反対」「戦争停止せよ」とは、言えないだろう・・・・今、それを言うことは、ファシスト=プーチンの勝利を認めることになるからだ・・・ 違うだろうか? 真珠湾奇襲で仕掛けられた戦争を米国は受けて立った・・・・リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)・・・・怒涛の反撃で日本を降伏まで追い詰めた・・・・・ 真珠湾でのだましうちの中で、米国民の間にあって(それでも戦争反対)と誰が言えただろうか?? (最近、当時のウラ?で、さまざまな議論があることは、ここでは言わない)
仕掛けられた戦争で、自国の防衛に立ち上がるウクライナ国民・・・・侵略者の思うままに、自国が蹂躙されたら、ウクライナは消えてしまう・・・・と考えるのが自然だ。 周辺のジョージア(グルジア)、モルドバ、チェチェン・クリミヤ半島・・・・・みんな、帝政ロシア・旧ソ連・今のロシアなどから侵略を受けて、国民は悲惨な戦争体験を持ち合わせている。周辺国家・・・・ポーランド、バルト3国、ハンガリー、チェコスロバキアなども、同じ。
評論家の(停戦論)には、恐れ入ってしまう・・・・ 昔、護憲論者の大御所、森嶋通夫(ロンドン大学教授)は、1979年3月9日『北海道新聞』で、こう述べたという・・・・・「不幸にして最悪の事態が起きれば、白旗と赤旗をもって、平静にソ連軍を迎えるより他ない。34年前に米軍を迎えたようにである。そしてソ連の支配下でも、私たちさえしっかりしていれば、日本に適合した社会主義経済を建設することは可能である・・・」 今となっては、「あほらしい・・・」としか言えないのだが、当時の洗脳されたインテリ、社会主義幻想にどっぷり漬かりきった護憲派は、この程度の認識であったといううことだ・・・・・。
(戦争の真実、恐怖と困難は、戦争の後にやってくる・・・・)ということを想像できず、書斎の中で(平和)を夢想することは(護憲派)の致命的欠陥だった・・・・・そんな思考の延長のうえに、リベラル派や橋下徹らの(ウクライナ降伏論)が出てきたのだ・・・・ (「平和憲法」「第9条」で、日本の平和が守れる)という決定的な過ちも、その流れの中での発想だ。 どうして、インテリリベラルたちは、こんなに(甘ちゃん)なのだろうか・・・??? 僕は、不思議で仕方がない・・・・
戦後リベラルの凋落の最大の原因は、この非科学性にあるのではないか?? 幻想に惑わされて、検証も無しに(妄想)の世界にはまっていく・・・・僕たちもその中にいたことが、口惜しく残念でならない・・・・・
皆さんは、どう思われるか? はんぺん ―――――――――――――――――――――――――――― 腕だけの遺体に結婚指輪 沖縄出身志願兵がウクライナで見た「地獄」 2022-11-8 根本晃 朝日新聞 俺は、テキサスで働く救急救命士だったんだ。 ロシアが侵攻を始めて間もない3月上旬に、仕事も何もかも投げ捨ててウクライナに行った。衛生兵になろうとした。
なぜかって? 戦車が、民間人を乗せた車をひく動画を見たからだ。 その時、誰も何もしないなら、俺がなんとかしなきゃと思った。
銃器の経験もあるし、父親は海兵隊員として沖縄の米軍基地にいた。軍隊には慣れていた。 周りのみんなに反対された。「馬鹿」だとか「狂ってる」と言われた。
でも、やらなきゃいけなかった。後悔はしていない。 日本の人たちに一つ言っておきたいことがある。 日本がウクライナを支援しているのはいいことだ。ただ、あなたたちがテレビで目にする光景がどんなに悲惨だろうと、現実はもっとひどいんだ。
沖縄戦を経験した沖縄の人たちは、わかっているんじゃないかな。戦争がどれだけ地獄かって。 ロシア軍が侵攻したウクライナには、各国から志願兵が集まっている。沖縄で育ち、日本人の母と米国人の父を持つ男性(25)もその一人。7月下旬、オンラインで取材に応じた
逃げようとしたロシア兵にロケットランチャーを 飛行機でポーランドに移動し、バスで国境を越えてウクライナに入った。 国境を越えるのは面倒だが、入国してしまえば移動は簡単だ。鉄道があるし、ウーバーもある。
最初はポーランド国境に近い西部リビウの、とある多国籍部隊に入ろうとした。 でも、その部隊の無秩序ぶりを見て、参加しないことにした。 あいつらが悪いわけじゃない。世界中から志願兵を抱えてみろ。
みんな別々の言語をしゃべっているんだ。ウクライナ語、スペイン語、タガログ語、ロシア語、フランス語――。 言葉が通じなければ、一緒に働けない。どこに向かって進めばいいのか。どこを撃てばいいのか。 そんなわけで、別の部隊を転々としながら、他の志願兵に医療技術や武器の扱い方を教えていた。 志願兵のほとんどは欧米人だった。みんな本名を名乗らず、ニックネームで呼び合った。俺は「怒れる熊」だった。
ある日、ロシア兵のスパイが3人捕まった。まだ子どもだった。 そのうちの1人が夜中にバンで逃げだそうとして、検問所の職員が警告射撃をした。 それでも逃げようとしたから、RPG(携帯式ロケットランチャー)を持ちだした。それでようやく諦めた。
ほかにもこんな話があった。ウクライナ兵が捕虜にしたロシア兵に、「ママに電話しておまえを迎えに来させたら、解放してやる」と伝えた。 そしたら、実際に母親が来た。ロシアから運転して来て、息子を拾って帰ったんだ。本当なんだ。
買い物に行くだけで死ぬかもしれない リビウで2週間過ごした後、ミコライウに行った。 ミコライウは南部の前線地帯だ。街のすぐ東にロシアが制圧したヘルソンがあって、くず野郎たちからしょっちゅう砲撃が飛んできた。
日常生活は死と隣り合わせだ。ロシア軍がスーパーを爆撃するから、牛乳と卵を買いに行っただけで死ぬかもしれない。 ロシア軍はウクライナの民間施設への無差別攻撃を続けている。専門家らは、その狙いをウクライナ国民の士気をくじくためと指摘している
子どもが死ぬのも何回も見た。これが、本当につらい。あの子たちの人生はまだまだこれからだったんだ。 あまりに多くの子どもたちが戦争で殺された。やつらは子どもだろうと気にしてなんかいないんだ。
でも、ロシア軍が戦争犯罪を行うと、その様子を撮影した動画や写真が出回る。だから、アメリカやイギリスから怒った志願兵が大勢来た。 リビウの防空壕(ごう)には兵士や民間人がいて、空襲警報の最中に5歳ぐらいの子どもが遊び回っていた。みんな一緒だ。
ロシアが言うように、ウクライナが民間人を「人間の盾」として使っているわけじゃない。ただ防空壕が少なくて、そこに集まるしかないんだ。 ある朝、俺が働いていたミコライウの部隊に攻撃があった。
ロシア軍は3月18日、ミコライウの兵舎を攻撃。少なくとも50人が死亡したとされる 現場に行って、がれきを取り除き、遺体を引きずり出した。ばらばらの肉片になった遺体をね。
亡くなった兵士の両親や家族が、遺体の捜索作業をゲート越しに見ていた。自分の子どもががれきの下にいないか、心配して来るんだよ。 でも俺たちは、がれきの下にまだ生きている人がいるかもしれないから、丁寧に作業する暇がない。肉片を放り出して、積み重ねざるを得なかった。
遺体を運ぶ担架もぼろぼろだ。血まみれで、まったく衛生的じゃない。それでも遺体を載せざるを得ないんだ。 左足が吹き飛ばされて、他の部分は無傷だった遺体を運ぼうとしたら、担架が壊れて、その遺体が転がり落ちた。仲間の一人は耐えきれず、手を上げて立ち去った。
遺体、泣いている男「俺の弟なんだ」 その時、ベンチに座って泣いている男がいた。「大丈夫か」って聞いたら、そいつが言うんだ。「さっき落ちた遺体は、俺の弟なんだ」って。 俺は18歳まで沖縄で過ごした。父親は海兵隊員で、母親は基地の中にあるレストランで働いていた。
沖縄は故郷だと思っている。友達がいるし、美(ちゅ)ら海水族館にも、勝連城や首里城にも行った。 平和祈念資料館で展示を見た時は、遺体の写真にショックを受けることはなかった。
でも、ウクライナに行って変わった。 がれきの下から人の肉片を引き出していた時、結婚指輪をはめた腕を見つけた。 その時、民間人が攻撃された沖縄戦は、本当にひどかったんだろうって思った。
帰国後も悪夢にうなされ続ける だから今はその種の写真は、ウクライナで見たことや遺体のにおいを思い出して不安になる。見たくないんだ。 3月末にアメリカに戻ってからも、ロシア軍と戦う悪夢にうなされた。目覚めた時、自分がいまどこにいるのかわからない。まだウクライナにいるかのようだ。
俺が寝てるときに空襲警報を鳴らしてみな。ベッドから跳び起きて、パニックになると思う。 運転中とか1人でいる時、ウクライナでの経験について考える。すると、涙が出てくるんだ。
向こうにいる友人のことを思い出す。もうウクライナから出られないやつもいる。死んでしまったから。 また戻ると思う 「戦争には中毒性がある」 これから、米海軍の衛生兵になる予定だ。でも、海軍での契約期間が終わってまだ戦争が続いていたら、ウクライナに戻ると思う。
俺がウクライナに行ったのは、アメリカでは何か重要なことを成し遂げているって気がしなかったということもあるんだ。 戦場には、何かから逃げ出してきたやつがたくさんいる。家庭環境が悪かったり、結婚生活が破綻(はたん)していたり、目の前が真っ暗で破滅的なやつらだ。 ウクライナで戦って死ねるんじゃないか、と思って来るやつもいる。戦場で死んだら何か良いことをして死ねたって思うからだ。
ウクライナである男に「戦争には中毒性がある」と言われた。誰だって塹壕(ざんごう)や床の上で寝たくない。空襲警報が鳴って逃げ回ったり、飯がパンとポテトだけだったりするのも嫌だ。 それでも、戦場では自分がしているすべてのことが重要に思えるんだよ。
最も恐ろしかったことは何かって? この戦争はライフル銃が主役じゃない。砲撃戦だ。 砲弾が飛ぶと、音が聞こえる。聞こえたらしゃがめばいい。慣れると無視するようになる。近くに落ちても「くそ、今回は割と近かったな」って感じだ。 でも、ミサイルは聞こえない時がある。いきなり落ちて、気づいたら周りの人が肉片になっている。
戦争が始まると、みんな国のために団結するだろ。でも、遺体の詰まった袋が国に戻ってきた時、その気持ちが変わる。 砲撃を受けたら、体は肉片になって、二度と元通りにならない。そして国に帰るまでに腐敗が進んで、誰のものなのか、さっぱりわからなくなるんだ。(根本晃)
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最終更新日
2022.11.08 13:55:58
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